裏日本観察学会・突撃巡礼隊

各地の寺院や神社、霊場の参詣記、納経帳(御朱印)の記録を中心に、面白スポットや街角で見たものなども紹介します。 ※写真(サムネイル)はクリックすると拡大します。

2017-11

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彦根城(滋賀県彦根市) 平成19年9月9日

 彦根城に着くとさすがに観光地らしく多くの人が散策していた。城の付近の寺町は、かつての城下町を再現した造りになっていて景観を保とうとしている。さて、野洲から彦根に来る途中に結構激しい通り雨にあったが、そのせいか車から降りると蒸し暑い。天守閣を目指して城山を登るが、ねっとりとした気持ち悪い汗が出てきて、低い山にもかかわらず登るのがつらい。

彦根城(国宝)
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 城山を登り切ったところに天守があるが、思っていたよりも小さなもの。さまざまな形の破風が施されているのが特徴的。
 途中ぱらぱらと雨が降ってきたが、着いた時には本格的に降り出してきた。雨宿りを兼ねて天守内に入る。窓から彦根の城下を見下ろせば殿様気分だろうが、なにしろ雨の勢いが強く余り展望が良くない。その代わり吹き抜ける風は涼しく、さっきまでのいやな汗が引いていく。そうしばらく待っていたら雨もやんできた。

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太鼓門櫓は、どこかの城の櫓を移築したものという。


再露出画像 008
左右対称の造りから天秤櫓という。
石垣は右側が築城当時の牛蒡積。左が幕末の切石積。

この後に、彦根城博物館を見学。井伊家ゆかりの品々や、復元された表御殿を見る。さて、いま彦根といえば「ひこにゃん」だが館内で撮影会などのイベントを行っていた。その行列たるや凄いもので、人気の高さがうかがえる。おかげで生ひこにゃんを撮影することはできなかった。

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玄宮園でも再び雨に遭う。


20070909195737.jpg雨もやっとやんだので、城の前の通りを散策。いたるところにひこにゃんの姿がある。ひこにゃん様々という感じだ。
まちなか博物館というのがあったので入ってみると、引き札や郷土玩具が展示されていた。引き札は日露戦争勝利や恵比寿大黒、福助、金のなる木などが描かれ、中には荒俣宏の著書で見たのと、同じ物も展示されていた。

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20070909195726.jpg分福茶屋のつぶら餅。
まるでたこ焼きのように作っている。1個60円だったので買ってみると、爪楊枝に刺し、ますますたこ焼きのようだ。食べてみると表面はかりかり、中はもっちりとした薄皮で、あつあつの粒あんをつつんでいる。危うく口の中をやけどしそうになるほど、ほふほふ口の中で踊ったが、二つの異なる触感と熱さが相乗してうまい。



20070909195838.jpg夕飯用に近江牛のすき焼き肉を買って帰ろうと駅前のアルプラザに入ると、ここにもまちなか博物館として近江鉄道の展示があった。明治、大正の鉄道地図や切符などが展示され、中央には昭和30~40年代の近江鉄道沿線をイメージした、Nゲージのレイアウトが置かれている。
単線エンドレスの単調な線路配置だが、駅構内や電車区、ガーター橋の風景など丁寧に作られていて、いつまで見ても飽きない。どこかで見たレイアウトだなと思ったら『鉄道模型趣味』誌上でも発表された作品だった。

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錦織寺(滋賀県野洲市) 平成19年9月9日

 野洲は三上山の麓に平野部が広がり、県内でも有数の穀倉地帯。御神神社から木部までは、収穫に向けて黄色く色づき始めた稲が実った田んぼが広がる。そんな農道風の道を進んでいくと錦織寺へと着く。

遍照山錦織寺(きんしょくじ)・真宗木辺派(本山)
20070909194404.jpg御影堂。
見真大師(親鸞)が当地で『顕浄土真実教行証文類』を書き終え、その喜びを表す正面向きの姿「ご満足の御影」が祀られる。
元禄期まで浄土真宗・浄土宗の二宗兼学だったので、両宗派の建築様式を兼ね備えた造りになっているという。

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 阿弥陀堂は真宗寺院らしく御影堂よりも小さめ。本尊の阿弥陀如来は親鸞聖人が霞ヶ浦で感得された尊像。
 堂内欄間には機を織る天女が飾られているが、寺伝では親鸞聖人滞在中に天女が蓮糸で錦を織って本尊に供えたという。その錦は朝廷に献上されたので四条天皇より「天神護法錦織之寺」の勅額を賜ったという。これが錦織寺の正式な寺号。

20070909194432.jpg天安堂。もともと錦織寺は、慈覚大師(円仁)が伝教大師作で鞍馬寺本尊と同木という毘沙門天像を、天安年間に「一夜で松が生えた」という当地に祀ったのが始まりという。現在の地名は木部だが、松の由来から当時は木辺と呼ばれていたという。
この毘沙門天が親鸞聖人に阿弥陀如来を当地に祀るよう願い出たとの縁起から、真宗寺院に珍しく現在も毘沙門天を安置している。


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錦織寺納経朱印

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御神神社(滋賀県野洲市) 平成19年9月9日

御神(みかみ)神社・式内名神大社・三十番神(二十七日守護)
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御神神社は三上山の麓近くに鎮座する。三上山は神の鎮まります「神奈備」、また近江富士の異名らしく、低いながらも堂々とした山。まさにミカミ、つまり御神(おんかみ)の山だ。この山を大百足が巻き付いたというのだから、昔の人の発想はすごいものだ。手前の田んぼは昭和天皇即位の際に定められた悠紀斎田(ゆうきさいでん:大嘗祭に献納する米を育てる田)の跡。

御神神社は近くを国道8号線が通り、見た目には決して静かな環境とはいえないが、周囲を鎮守の森が囲み外界の喧噪を遮ってくれる。境内には三上山登山を目指す老年ハイカーが集合していた。
20070909193336.jpg檜皮葺の本殿は国宝。
祭神は天之御影大神。本地仏は阿弥陀仏とも弥勒菩薩とも不動尊ともされる。
三上山は俵藤太が竜神に依頼されて百足を退治したことで有名だが、坑道をムカデになぞらえるなどムカデ信仰は鉱山と結びつく。祭神は鍛冶の神である天目一箇神と同体とされるなど、鉱山(ムカデ)の民と琵琶湖など水(竜)の民との対立、征服を示唆するのだろうか。

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若宮(左)。祭神は伊弉諾尊・菅原道真公、天石戸別命・天御鉾命・野槌之命を配祀する。本地は釈迦・薬師・観音。
三ノ宮(右)。祭神は瓊瓊杵尊。本地は地蔵で山王十禅師を勧請。その隣に小さな神明社が建つ。

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御神神社納経朱印

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長浜御坊(滋賀県長浜市) 平成19年6月30日

無礙智山大通寺(長浜御坊)・真宗大谷派
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長浜御坊は東本願寺の別院で、大通寺という。寺の近くは古い町並みを模した商店街になっていて、長浜ガラスや曳山資料館などが建ち、観光客もかなりいる。そんな門前の仲見世をすぎると、巨大な山門が出迎えてくれる。

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本尊は阿弥陀如来。本堂は元伏見城の殿舎であった東本願寺御影堂を、当地に移築してきたもの。

20070630201537.jpg書院は伏見城の威光を移してきたものが多くある。井伊家より住職内室に入ってきているので、大広間や書院などは桃山建築らしく豪華なもの。
しかし、それ以外の部屋などは壁や襖絵の剥落がかなり目立つ。維持修復はかなり大変なのだろう。

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 境内一角にあった戦没者慰霊塔と、仲見世の様子。
商店街などは古い町並みの様子を残しているようだが、観光客相手の店ばかりだったので、特に写真は撮らなかった。この後に須賀谷温泉で一休みして帰路について。

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長浜御坊納経朱印

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渡岸寺観音堂(滋賀県高月町) 平成19年6月30日

 国宝として名高い十一面観音を拝みに、高月町まで突撃巡礼に向かった。高月町は「観音の里」と観光PRしているが、ここに限らず湖北地域一帯は優れた観音像を有する寺社が多数ある。しかし、あまりあれこれと足を伸ばしすぎて慌ただしくなるよりも、場所を絞ってゆっくりする方に今回は決めた。

慈雲山向源寺(渡岸寺観音堂)・真宗大谷派
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仁王門に安置される金剛力士は平安期のもので、仁王像としては全国でもかなり早い時期のものという。

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 本堂。本尊は阿弥陀如来。国宝の十一面観音は本堂隣の収蔵庫に安置されている。観音堂を維持する向源寺(こうげんじ)住職が案内をしてくれた。もともと天台宗が勢力を持っていたが、浄土真宗の隆盛により湖北一帯の寺院は真宗が占めるようになったという。ここもそうした例で、天台宗光眼寺を浄土真宗に転宗して名を改めたという。観音などの仏像は天台宗時代のものだが、織田信長の浅井攻めによる兵火から守るために土中に埋めたという。境内にはその跡が今も残っていた。弥陀一仏の信仰が真宗の特徴だが、にもかかわらず「わが里の仏」という意識があってのことだろうと説明された。
 その後は向源寺に安置していたが、明治期に仏像の海外流出を見て、正式な什物とするよう東本願寺に届けたが、阿弥陀以外を祀ることは真宗の教義に反するとしてなかなか許可が下りず、岡倉天心やフェノロサなどの協力を得て、本堂から離れた飛び地境内に安置するならとして、やっと認められたという。その際にせめて寺らしくと、集落の名「渡岸寺」を取って渡岸寺観音堂と名付けたという。
 収蔵庫内には国宝の十一面観音立像のほかに、重文の大日如来などが安置されている。読経念誦を終えると住職いわく「真宗の宗義から普段は勤行を遠慮させてもらっているのです」とのこと。弥陀一仏というのもなかなか難しいものだと思う。しかし、その後「真宗の教えでは弥陀一仏ですが、観音を守った当時の門徒の心。真宗を熱く信仰しながらも、他の神仏も大切にする心も理解できます」と語られた。

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本堂から少し離れた場所に向源寺が建つ。渡岸寺観音堂とは対照的に、真宗寺院らしい簡素な境内。
 観音堂の近くには「観音の里歴史民俗資料館」が建つ。中には町内の観音像などの仏像をはじめ、民俗・歴史資料が展示されている。優れた仏像が展示されているが、ただし礼拝する気にはならない。先の渡岸寺観音堂の十一面観音は安置されている場所が収蔵庫とはいえ、宝前には三具足が置かれるなど、れっきとした観音堂だった。ここが信仰の対象としての仏像と、美術品・文化財としての仏像の差だろう。堂内の荘厳は信仰心を喚起させるための舞台装置かもしれない。

20070630200638.jpg観音堂前を流れる川にケヤキの大木があり、注連縄が張られていた。これは「野神さま」という風習で、集落の入口にある大木に野の神を祀って安全を祈るものだという。
ちなみにケヤキの古名は「槻(つき)」。ここ大月町はもともとケヤキが多く生えていたので、高槻といわれたという。それが槻からの発想か、大江匡房が「月」の歌を詠んだことで月の名所となり、「高月」になったという。

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渡岸寺観音堂納経朱印

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雄琴温泉(大津市雄琴) 平成19年1月6日

 那波加神社からすぐ近くに雄琴温泉がある。しかし雄琴というと「スケベ」のイメージが強すぎる。実際、すぐ近くはソープ街だ。
 とはいえ現在、雄琴は本来の温泉観光地としてイメージアップにやっきになっているようだ。考えてみれば京都に近く、しかも目の前は琵琶湖に比叡山という最高の場所だ。しかし、一度染み付いたイメージはなかなか払拭ができないだろう。まだまだ雄琴温泉の前途は多難のような気がする。
IMG_1439.jpg さて、そんなソープ街のすぐ隣に日帰りの温泉施設がある。その名も「スパリゾート雄琴 あがりゃんせ」。ここはあのこってりラーメン「天下一品」が始めたという温泉だ。いやその名は以前から知ってはいたが温泉ではなく巨大銭湯だと聞いていたので、いまいち食指が動かなかった。しかし調べてみると、最近になって温泉も始めたということだったので、立ち寄ることにした


 中に入ると館内着が渡される。制限時間7時間とはいえ、ほぼ1日過ごすことができるようになっていた。
 露天風呂が温泉となっていて、少し枯れ草のような匂いのするお湯で肌がすべすべする。目の前が琵琶湖なので風通しがよく、体がほてると休憩して、クールダウンしたら再びお湯へとを繰り返すことができる。しかもドリンクバーまで設けたあった。

 休憩室は2階で、琵琶湖を見渡すリクライニングルームに、マンガコーナーやインターネットの設備も置かれていてのんびり過ごすことができる。そしてまた温泉へと…となんだか湯治に来たようだ。

 17時からはドクターフィッシュが再開されたが、これがなんと無料。しっかりと足の角質をお魚さんに食べていただきました。和食レストランに焼き肉屋、イタリア料理屋なども併設されていたが、天下一品はなかったw

 それでもなんだかんだで4時間近くいたが、なかなかにあなどりがたい温泉だった。こういう場所が増えると、「雄琴温泉に行ってきた」とごく普通に言える日も近くなるのかな。

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那波加神社(大津市苗鹿) 平成19年1月6日

 さて、次の目的地として国宝の六道絵で有名な聖衆来迎寺に行く予定だったが、1月いっぱいまで拝観を停止していた。それならば日を改めることとして、那波加(なはか)神社を目指した。
 どちらかというとマイナーな神社だが、でもここは法華経三十番神のひとつ、苗鹿(のうか)大明神である。
20070106202411.jpg 国道161号線を北に走り、那波加3丁目の信号を左に進んで宅地を通ると那波加神社へと到着する。小さな境内地ながらも静かで落ちついた雰囲気の社。
正面鳥居


IMG_1433.jpg 祭神は天太玉命で、本地仏は阿弥陀如来。天智天皇7年(668)に創建されたという。天台宗においては法華経を守護する三十番神の一つとされ、29日を守護するが、比叡山においてもこの地が重要だったのだろう。
本殿

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本殿に並んで建つ摂社

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境内にあった謎の石。香炉が置かれていたので石仏だろうか?

 地名「苗鹿(のうか)」の由来として、天太玉命が出現した際に、稲を背負った鹿が当地へと導いたからだというが、おそらく苗鹿は那波加の転訛であろう。

20070106202510.jpg 道を挟んで那波加荒魂神社が建つ。先の那波加神社を下社とすると、ここは上社となる。大同2年(807)の創建という。


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本殿の左右に摂社が並ぶ

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不動尊の石碑と桧の神木

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唐崎神社(大津市唐崎) 平成19年1月6日

20070106204011.jpg 世間では3連休というが、仕事の都合で中途半端な休みしか取れず、しかも天気が悪いときて悶々とした気分だ。かといって部屋でゴロゴロするのもつまらない。それなら近場で、雨の似合う所に今年初の「突撃巡礼隊」を決行しようと思い立ちました。
 その雨の似合う所とは「唐崎」。近江八景の「唐崎の夜雨」にならうなら夜に行くべきでしょうが、とにもかくにも近場でありながら、なかなか足を運ばなかった場所に歩を進めることにしました。
歌川広重『近江八景』の内「唐崎夜雨」

IMG_1412.jpg 出発時にはけっこう降っていた雨も、唐崎に着いた時にはやんでしまった。近くにある「鶴喜そば」で少し遅めの昼食をとってから参拝する。
正面鳥居

IMG_1413.jpg 祭神は女別当命(わけすきひめのみこと)で、この地に松を植えた人物だという。日吉大社の摂社であり、かつてここは祓いを行う場所だったという。
本殿

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霊松と琵琶湖の風景

 さて、雪寒に耐えて青い葉を茂らせるマツは古くより「百木の長」と讃えられ、瑞祥の木とされます。特に神仏が地上に現れるための木とされ、各地に「影向の松」伝承は存在し、身近な例が門松ですね。支那では蓬莱島に生える木とされたことも、日本でマツを神聖視する考えが強く影響を受けています。なお、漢字「松」は人に役立つということで、公の位を有する木という意味で生まれたそうです。

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 参拝後は門前のだんご屋でみたらしだんごを食べる。注文を聞いてから焼くのでできたて熱々だった。3本で300円なり。

IMG_1421.jpg 参道途中にあったたばこ屋にて。「煙草小賣所」の看板が年代を感じさせる。


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唐崎神社納経朱印

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都波岐奈加等神社(三重県鈴鹿市一ノ宮町) 平成18年9月4日

 都波岐奈加等(つばきなかと)神社という名前だがは、伊勢国一宮とされるのは都波岐神社で、後世に奈加等神社と合祀したので、このような社名となった。
 一宮とはいうものの、町中にある普通の神社という雰囲気が漂う。
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鳥居の横には大きな木が立っていた。

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拝殿は鉄筋コンクリート製。
祭神は都波岐神社は猿田彦大神、
奈加等神社は中筒之男命、天椹野命。

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都波岐神社納経朱印

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Author:山カズ大王
裏日本観察学会会長
仏歴2518年(昭和50年)生誕

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