裏日本観察学会・突撃巡礼隊

各地の寺院や神社、霊場の参詣記、納経帳(御朱印)の記録を中心に、面白スポットや街角で見たものなども紹介します。 ※写真(サムネイル)はクリックすると拡大します。

2017-07

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赤間神宮(山口県下関市) 平成19年10月8日

赤間神宮
画像 084昔、学研に「劇画サスペンスシリーズ」という海外SFやミステリーなどを漫画化した全集があり、その中にみやぞえ郁雄画の『怪談』が収められていた。その一編、「耳なし芳一」での耳を引きちぎられるシーンが、幼心にトラウマだった。
赤間神宮はそんな平家一門滅亡の地、壇ノ浦を見つめるかのごとく、海に面した社頭。
竜宮城かのような水天門は、安徳天皇が水天宮として祀られることに由来して、建立されている。

画像 089祭神は安徳天皇。
池に浮かぶ拝殿など、社殿周辺は、なんとなく厳島神社をイメージしたかのような作りになっていた。厳島は平氏の氏神だからモデルにしたのだろうか? それとも『平家物語』「灌頂巻」に、安徳天皇と平家一門は竜宮に転生したとあるから、竜宮城の様子なのだろうか。そうであれば、「竜畜経のなかに見えて侍らふ。よくよく後世をとぶらひ給へ」※の通り、心静かに念誦読経する。
※建礼門院が竜宮は「めでたかりける所かな。是には苦はなきか」との問いに対しての、二位尼の答え。『竜畜経』は架空の経典だが、竜も畜生であり、三熱の苦から免れないというのが中世的思考。

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平家一門の供養塔、七盛塚と芳一堂の耳なし芳一像。
もともとは当地にあった阿弥陀寺で安徳天皇の菩提が弔われていたが、神仏分離によって廃寺となり、御影堂は神社に改められた。

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 社殿右側には日本西門鎮守八幡宮が鎮座する。大安寺行教法師が宇佐から石清水へ八幡神を勧請する途中、阿弥陀寺とともに建立したという。後生、八幡神は源氏の氏神とされるが、壇ノ浦に祀られているのも皮肉なものだ。
 さらにその奥へと坂道を上ると大連神社が建つ。満州国大連に祀られたいたが戦後に当地に遷座された。

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境内の左側には、安徳天皇阿弥陀寺陵(あみだじのみささぎ)が鎮まっている。

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赤間神宮納経朱印


  以上で今回の旅も無事終了。近くのレストランで新鮮な魚を食べることにする。最近、下関ではフグだけではなく、イカも名物として売り出しているようなのでそれを楽しみにしていたが、いけすが品切れとのこと。どうやら連休なので漁も休みだったのだろう。何とも残念と思いつつ、フグ刺しを突く。運転してなきゃ、一杯やれるのになぁ。
 そこからレンタカーを返しに小郡へ。なんとか返却時間には間に合ったので、帰りの新幹線が着くまで駅でお土産を物色する。しかし、名物はういろうぐらいしかないため、いまいち心が動かない(個人的にういろうという食べ物は、この世に存在しても、しなくてもどちらでもいいと思っている)。フグとかウニは高すぎて気軽なお土産という感ではなく、瓦ソバも旅先で食べるからいいのであって家では風情がないし…。結局、朝食で食べてうまかった千崎のかまぼこを購入する。魅力的な場所は多いのに、いまひとつ山口ってイメージがわきにくいのは、全国的に通用するお土産がないという点もあるのだろうか?


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功山寺(山口県下関市) 平成19年10月8日

金山功山寺・曹洞宗
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 住吉神社から功山寺は、狭い路地を何度も曲がりながら進むこととなる。途中、長府の町並みうあ毛利屋敷址など、車を止めて散策したい場所もあったが、駐車場が見あたらないし、それにどうしても3時までに新山口駅に帰らないといけないので、心引かれつつも通過する。
 功山寺の駐車場は本堂に隣接しているが、あえて正面参道まで下りてから参詣する。木々に囲まれた三門周辺には石仏が点在して、しっとりと落ち着いた雰囲気。
 三門をくぐり石段を登ると、国宝の仏殿と法堂が並び立っている。法堂前には名水が湧いているので、柄杓ですくってのどを潤す。

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本尊は千手観世音菩薩で、中国三十三観音霊場の第十九番札所。
国宝の仏殿は、鎌倉時代建立の数少ない禅宗様建築なのだが、建物の傷みがかなり激しいように見られる。維持、修復はかなりたいへんなのだろう。

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高杉晋作回天義拳像
当寺は晋作が元治元年(1864)12月16日に、長州藩に向けて挙兵した場所。
境内では観光協会の人が、新作の生涯を紙芝居で語っていた。

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功山寺納経朱印

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住吉神社(山口県下関市) 平成19年10月8日

住吉神社(長門一宮)・式内並名神大社(住吉坐荒御魂神社三座)
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 曇天模様の中、「降るな、降るな」と念じつつ長門から下関へとひた走る。天も感応、鬼神も納受してくれたのか、到着したころには幾分か日も差してくれた。
 長門一宮の住吉神社は宅地に囲まれた場所に、一カ所のみ杜に包まれた丘に鎮座する。参道を進んでいくと、大阪の住吉大社ほどではないが、真ん中に小さな太鼓橋が架けられている。 

画像 078拝殿には「住吉荒魂本宮」の扁額が掛かる。
『日本書紀』では三韓征伐の際に神宮皇后が、住吉三神からの「我(わ)が荒魂(あらみたま)をば、穴門(あなと)の山田邑(やまだのむら)に祭(いは)はしめよ」との神託に従い、「祠(やしろ)を穴門の山田邑に立(た)つ」とある。
「荒魂」は、神霊の持つ威力そのものを神格化したものだが、大学時代に教授から、死後間もない祖霊は、ケガレが多くタタリやすい。つまり「新しい御魂」は同時に「荒ぶる御魂」であり、祭祀を繰り返し行うことで浄化されて和魂(にぎみたま)になる。それが荒魂(新魂)信仰の基礎だと教わった。


住吉本殿
国宝の本殿は九間社流造。
五殿が連なり、主祭神の住吉大神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)荒魂は左端の第一殿に鎮座。順に応神天皇・武内宿祢命・神宮皇后・建御名方命が祀られる。
境内はさほど広くはないが、杜がうっそうとしているためか、町の中とはいえゲニウスロキ風情がある。

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住吉神社納経朱印

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長門湯本温泉(山口県長門市) 平成19年10月7日

画像 070ホテルに荷物を置いて、温泉街へと向かう。雨もやんでくれたお蔭でのんびりと散策できる。
外湯の一つ、「恩湯」は唐破風のある昔ながらの銭湯という外観。円筒型のポストやネオンサインが「昭和」のまま時代が止まっているようにさえ感じさせる。
さほど広くない浴室内には開湯伝承に登場する住吉明神と思われる、衣冠束帯の神像が置かれている。ぬるめのアルカリ泉なので、いつまでものんびりと入っていられる。老人たちが楽しそうに世地元の間話をしている中に混じっていると、「あぁ、こうして今旅に来ているんだな」とあらためて実感できる。

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恩湯の裏には開湯伝承の住吉神社が鎮座する。住吉明神が大寧寺に参禅し、その報恩に報いるために温泉を与えたという。社の右隣には松陰山興阿寺が建つ。寺といっても小堂で地蔵菩薩を本尊としている。
住吉神社からさらに奥にはもう一つの外湯「礼湯」があった。

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川を真ん中に挟んで温泉街は連なるが、これといって観光客相手の店があるわけでもなく、のんびりとした風情。
この日も宿での食事がかなわなかったので、居酒屋に立ち寄って夕食。ウニの巻きずし、カレイの一夜干しがうまい!


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大寧寺(山口県長門市) 平成19年10月7日

瑞雲萬歳山大寧護国禅寺(大寧寺)・曹洞宗
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大寧寺は大内氏によって開かれた、長門最初の曹洞宗寺院。湯本温泉の奥に静まり、境内も木々に囲まれて落ち着いた様子。山門跡から本堂を眺めると、雨上がりというだけあって、より心が静まる。
本尊は釈迦如来。

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かつては「西の高野」と呼ばれたほどの寺域があったとのことだ。
毛利氏の君臣の苔むした墓地が霊気漂うように立ち並ぶ。

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境内の奥には豊川稲荷堂が建つ。
本堂や墓地周辺とは雰囲気はがらりと変わっている。惜しむらくは例えペンキとはいえ、外装は赤ではなく朱に塗れば良かったのにと思う。

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盤石橋は、江戸前期に自然石を組み合わせただけで造られた橋。
実際に渡ることもできるが、雨に濡れているので滑らないように、ゆっくりと歩く。

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大寧寺納経朱印


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俵山温泉(山口県長門市) 平成19年10月7日

画像 062今晩の宿、長門湯本の温泉街を抜けて、さらに山道を進んでいくと、俵山の小さな温泉街へと着く。街の入り口の駐車場に車を止めて散策しようとしたが、雨がパラパラと落ちてきだしたので、急ぎ足で外湯へと向かう。
俵山は現在も旅館に内湯がなく、宿泊客も外湯に入るという昔ながらの形態を守っている。長期滞在向けの宿も多いようだ。3カ所ある外湯のうち、一番外観の古そうな「川の湯」を選んだ。
アルカリ泉のため肌はツルツルするが、なんだか様子がおかしいと思ったら循環だった。しかも2つある湯船は一つしか湯が張られていないし、湯の花だと思ったのはよく見ればゴミや体毛。観光HPトップには「源泉掛け流し」とあったのに…。

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開湯伝説の場所である薬師堂などを巡るつもりだったが、雨がかなり激しく降りだして散策もままならない。
家の軒先、軒先へと飛び移りながら車に戻ることにした。

 後日、再度調べたら、もう2カ所の外湯「町の湯」と観光客向け施設「白猿の湯」が掛け流しだという。しかも「白猿の湯」のために「川の湯」の源泉が取られて湯量も湯温も減ったという。
 あくまでも温泉は地元民のためのもの。観光客はそのおすそ分けをもらっていると自戒している自分としては、こんな地元施設をないがしろにする本末転倒な措置と、俵山温泉のHPトップに「源泉掛け流し」と掲げて、さも全湯がそうであるかのように誤読を誘うようなやりかたに、極めて不満を覚えた。

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秋芳洞・秋吉台(山口県秋芳町) 平成19年10月7日

画像 034秋芳洞はさすがの姿だったが、なにぶん暗い。どうしてこんなに暗いのだろうと思うと、これ以上光量を上げると苔やカビが生え、洞窟内の生態系が変わる危険性があるからだという。
いろいろ頑張ってシャッターを切ったが、なんとか写っているのは数点だけでなんとも残念だ。売店で売っていた、洞窟内でも撮影できるという「写るんです」を買えばよかった。


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秋芳台
秋吉台展望台からの風景。
今さら気が付いたのだが、同じ「あきよし」でも洞窟は「芳」、台地は「吉」と異なっている。なぜだろう?

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秋吉台スカイラインを通って、次の目的地の長門市へと向かう。

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こういう道を走ってみるたびに、「日本もまだまだ広いな」と思う。


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洞春寺(山口市) 平成19年10月7日

正宗山洞春寺・臨済宗建仁寺派
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瑠璃光寺からは香山公園を横切って、毛利氏の菩提寺である洞春寺へと歩く。先と異なり観光客はほとんどいない静かなお寺。

画像 033観音堂
本尊は十一面観世音菩薩。元は観音寺の本堂を大正時代に移築したもので、中国三十三所の十六番札所。
堂内の厨子は巨大な岩屋状。このような形の厨子は禅宗寺院でたびたび見るが、どのような由来があるのだろうか。

画像 031

途中、香山公園には毛利氏歴代の墓地がある。
ここに至る参道は「鶯張りの石畳」と呼ばれ、大きく足踏みや手をたたくと石段と反響して、「キュ」というか、ともかく一種独特な音がする。

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洞春寺納経朱印

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瑠璃光寺(山口市) 平成19年10月7日

 世に「小京都」と名付けられる観光地はあまたとあるが、その元祖とも言えるのがここ山口市。大内氏全盛のころは「西の京」と称された町だが…。少なくとも現在の山口で、いわゆる小京都の風情を味わおうとすれば期待を裏切られる。それなら萩や津和野の方が存分に観光受けするだろう。
 でも考えてみれば当時、「まるで京のようだ」という賛辞は、現代でいうところの「リトル・トーキョー」。時代の最先端を行く街という意味合いであって、古い町並みが残っているというという「小京都」という観光用語とは真逆だと思うが。

保寧山瑠璃光寺・曹洞宗
画像 027

山口のシンボルともいえる国宝の五重塔。
すっきりとした姿で「西の京」の面目躍如といった風情だ。
塔内には阿弥陀如来と大内義弘の位牌を安置する。桧皮屋根がこの塔の特色だ。

画像 026

本堂
本尊は薬師如来。朝早い参拝だったがけっこう多くの観光客でにぎわっていた。

画像 028境内はさほど広くはないが、山門と本堂を回廊で結ぶなど、禅寺らしい様式。
もともと毛利盛見が兄義弘の菩提を弔うために香積寺を建立し、五重塔もその一つだったが、後に寺は塔を残して萩に移転。寺跡に仁保の瑠璃光寺を移したという。
香積寺どの寺観がどの程度だったかは分からないが、瑠璃光寺は塔の後に寺を建立したためか、また塔の姿が良すぎるためか、境内配置や堂宇とのバランスが一点豪華のためか、いまいちちぐはぐな感がしないでもない。

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瑠璃光寺納経朱印

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湯田温泉(山口市) 平成19年10月6日

 湯田温泉で第1日目は一泊する。ホテルに入るとまずは下着などを洗濯して、それから大浴場へ。アルカリ泉なので湯船につかると肌はつるつる、すべすべ。いつまでも入っていたいが、ひとまずは汗を流す程度とする。

画像 023湯田の開湯伝説は、白狐が寺の池に湧く温泉を見つけ、そこから薬師如来を感得したとのこと。町の至る所にはマスコットキャラが使われている。
しかし、古い歴史ある温泉ならたいていは温泉守護の寺社があるはずだが、この温泉街には見あたらない。もちろん気づかなかっただけかもしれないが、観光地図にも紹介されていない。
どうしてだろうか?

画像 022 画像 024
湯田温泉ゆかりの中原中也と種田山頭火の歌碑(共に碑文は自筆から)。

 童謡 中原中也

 しののめの
 よるのうみにて
 汽笛■鳴る。
 こころよ
 起きよ
 目を醒ませ。

 しののめの
 よるのうみにて
 汽笛鳴る。
 像の目玉の
 汽笛鳴る。
    1933.9.22
(※第3節の「■」はペンでかき消した誤記)



 ちんぽ古も
 おそそも湧いて
 あふれる湯
    山頭火

「ちんぽこ」と「おそそ(女陰)」を詠んだ句が、歌碑として残されるとは山頭火も思いもよらなかっただろう。ただ現在の湯田温泉にはそんなのどかな温泉街の風情はなく、ごくごく普通の町中に温泉も湧いていると言った方がふさわしい感じがする。

外湯に入った後に、居酒屋に立ち寄って刺身やフグ鍋を突きつつ杯を重ねる。ハモのつみれが実に上品な味。

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山口ザビエル記念聖堂(山口市) 平成19年10月6日

山口ザビエル記念聖堂
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 突撃巡礼隊では数多くの神社仏閣に参詣しているが、キリスト教の教会は今回が初めて。教会の外観は幕屋(テント)をイメージしたものだが、これは8年前に旧聖堂が焼失したために再建されたもの。焼失ニュースはなぜか記憶の片隅に残っていて、信者が涙を流しながら炎に包まれる教会を見ていたシーンを覚えている。
 内部は1階が資料館でザビエルや日本でのキリスト教ゆかりの品が展示されている。ザビエルはもともと貴族出身だったと初めて知った。また興味深い展示品として、ザビエルによる布教を赦す書面に“西方から新しい仏教が伝わったので、仏法興隆のために云々”と書かれていたこと。当時はキリスト教を仏教の一派と誤解していたようだ。
 聖堂内は近代的な模様のステンドグラスと空中につり下げられた十字架など、通常イメージするカトリック教会とは違っていた。キリスト教は信仰の対象ではないが、先賢に敬意を表して合掌礼拝する。
 教会を見つめるように、隣接する亀山公園近くには井戸端で布教するザビエルの銅像が立っている。

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阿弥陀寺(山口県防府市) 平成19年10月6日

華宮山阿弥陀寺(東大寺別院)・華厳宗
画像 019彼岸花が土手を彩る、そんな田園地帯を走り抜け山の麓へと阿弥陀寺に至る。東大寺復興の大勧進であった俊乗房重源ゆかりの寺。
茅葺きの山門が出迎え、そこから木々に囲まれた参道をしばらく歩くことになる。


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参道途中には石風呂がある。


画像 013重源法師が施浴のために作られた風呂で、内部は石製の浴槽がある。湯船にはいるのではなく、湧かした湯を体に掛けるという入浴法のようだ。実際に現在も月に一度は入浴できるようだ。


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本尊は阿弥陀如来。堂内に上がって念誦読経していると、山から吹き下りる風と、池から聞こえる水音ですがすがしい気持ちになる。
奈良以外で華厳宗寺院は珍しいが、住職に伺うと儀式などは真言宗に準じているという。

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重源法師を祀る開山堂と念仏堂。重源は真言僧だが、各地の霊山霊場を巡り、自ら「南無阿弥陀仏」と名乗る念仏聖でもある。61才で大勧進となり周防の杣山にも分け入ったという強靱的な人物。その念仏は専修念仏と異なり、作善による滅罪と念仏による往生というもっと土俗的なものだったのだろう。

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阿弥陀寺納経朱印


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周防国分寺(山口県防府市) 平成19年10月6日

浄瑠璃山金光明四天王護国之寺(周防国国分寺)・高野山真言宗
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防府天満宮から、民家の間をぬうような路地を進んで国分寺を目指す。駐車場に車を止め、漆喰の取れた土塀に沿って歩くと、二本の大木に挟まれるように国分寺の山門が見える。
 門をくぐり境内に足を踏み入れると、住宅地の中とは思えないような広大な敷地。かつては堂塔伽藍が甍を並べていたのだろうが、現在は二重入り母屋造りの金堂があるのみだが、堂宇自体がどっしりした感じがあるためか、古代寺院を思わせる雰囲気は漂う。
 現在も国分寺の名を冠する寺は多くあるが、大半は廃絶した国分寺の名を近隣の寺が継承したもので、現在の寺域と旧境内は離れているものが多い。その中で周防国分寺は、金堂の位置が移動していない。つまり創建当時の境内域に堂宇が残る数少ない国分寺だ。

 本尊は薬師如来、脇士は日光菩薩・月光菩薩。須弥壇には十二神将や四天王が配される。薬師如来の薬壺には、丁子や人参、五穀などの薬が実際に入っていたという、全国でも珍しい例だという。また十二天立像や、高麗より伝わった如来形の金銅毘盧舎那如来(大日如来)と、滅多に目にすることのない仏像が安置されていた。

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国分寺納経朱印

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防府天満宮(山口県防府市) 平成19年10月6日

防府天満宮
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「扶桑菅廟最初」と謳う防府天満宮は市街地を見下ろす高台に鎮座する。防府観光の中心でもあるので、先の玉祖神社とは対照的に観光客が多い。
重厚な朱塗りの楼門をくぐると、それとは対照的に簡素な造りの社殿が迎える。主祭神は菅原道真(天満大自在天神)。本地仏は十一面観音。社殿では太宰府に左遷された道真がその道中、当地に一時滞在していたという。その縁によって死の翌年には霊廟が建立されたことが始まりという。

画像 007春風楼
文政・天保年間に長州藩によって五重塔が建立される予定だったが中止され、その後に設計を変更し楼閣としたもの。
ここからは市街を見渡すちょうどいい展望台になる。建立当時は風光明媚だったのだろう「春風」にふさわしい眺めだったのかもしれないが、今はごく普通の地方都市という観しか望めない。ただ、吹き抜ける風は名前とは逆に涼やかな秋風で心地いい。

画像 008

大専坊跡
表参道の両脇には、かつての別当寺(酒垂山万福寺)の遺構が残っている。

画像 010境内東に隣接して天神本地観音堂が建つ。本尊は十一面観音、脇士は不動尊・毘沙門天。周防国三十三所の二十四番札所とあった。神仏分離によって神社の管理ではなく、近くの寺院によって維持されているが、それでも本地堂が現存する希有な例に出会えた。


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防府天満宮納経朱印

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玉祖神社(山口県防府市) 平成19年10月6日

玉祖(たまのおや)神社・式内名神大社(周防一宮)
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新山口駅からレンタカーを走らせ防府市へと向かう。一宮は市街地から外れ田畑が広がる場所に、一角だけ杜に包まれた場所に鎮座する。

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祭神は玉祖命ともう一座未詳の二座。本地仏は薬師如来。
祭神の「玉」にちなみ、宝石やガラス、メガネ関係者の信仰が篤いようで、境内には眼鏡塚もあった。
 社務所で納経朱印を申し出た際に京都から来たことを話すと、「わざわざ、どうしてお参りに?」と驚きの様子。確かに他府県から観光客が来るようなタイプの神社ではなく、極めて普通の、どこにでもある社だろう。一宮参拝をしていなければ、自分も立ち寄ってはいないだろうから。

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境内には日本鶏の一種で天然記念物の「黒柏」が飼われている。玉祖命が天孫降臨の際に連れてきたとし、当地は「黒柏発祥の地」だという。
名前のように真っ黒な姿だ。

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玉祖神社納経朱印

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山カズ大王

Author:山カズ大王
裏日本観察学会会長
仏歴2518年(昭和50年)生誕

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