裏日本観察学会・突撃巡礼隊

各地の寺院や神社、霊場の参詣記、納経帳(御朱印)の記録を中心に、面白スポットや街角で見たものなども紹介します。 ※写真(サムネイル)はクリックすると拡大します。

2017-05

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法善寺(大阪市中央区) 平成19年1月20日

IMG_1463.jpg 歌舞伎の開演に間に合うように難波へと向かう。地下鉄から降りて松竹座へ向かう途中、法善寺へお参りする。
 相変わらず、ひっきりなしにお参りに来る人が多い。寺務所の隣に建つのは金毘羅天王堂とお初大神(最上稲荷)の祠。
山号:天龍山
寺号:法善寺
宗派:浄土宗

20070121224636.jpg 本尊は阿弥陀如来。この付近を千日前というのは、刑場であった当時この寺で千日回向を行っていたからだという。
 有名な水掛不動尊は梅田の太融寺、高津の清水寺とともに浪速三ヶ所の西向不動という。
苔むす姿の不動尊

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法善寺納経朱印
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どんどろ大師(大阪市天王寺区) 平成19年1月20日

IMG_1458.jpg 「どんどろどんどん どんどーん♪」は舟木一夫の『怪傑!!児雷也』の歌い出しだが、どんどろ大師という不思議な名前のお寺があるので、お参りに行く。
 住宅地の中に建つ2階建てのお寺で、1階が庫裏。2階が本堂になっている。
山号:如意山
寺号:善福寺
宗派:高野山真言宗

IMG_1459.jpg 本尊は弘法大師で、脇士は不動尊、愛染明王。「どんどろ大師」の名の由来は、大坂城代であった土井利位の屋敷が近くにあったので、土井殿がなまったものだという。「傾城阿波の鳴門」にもこの寺は登場する。
 この付近は寺町なのでたくさんお寺が並んでいる。機会を見つけて突撃巡礼を敢行しよう。
大師堂

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勝軍地蔵堂と石仏

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どんどろ大師納経朱印

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玉造稲荷神社(大阪市中央区) 1月20日

IMG_1455.jpg 森之宮からしばらく南に歩き、西へ入ると玉造稲荷神社へと着く。『日本書紀』仁賢天皇六年秋九月に「難波玉作部鯽魚女(なにはのたまつくすりべのふなめ)」の伝承があるが、その難波玉作部の郷が当地だという。
 起源は垂仁天皇十八年に創建され、聖徳太子が物部守屋と戦に勝利を祈願して箸を立てたところ、そこから若葉が生えたとの伝承がある。後に豊臣・徳川によって稲荷として信仰され、大阪城の鎮守と位置付けられた。
正面鳥居

IMG_1449.jpg 祭神は宇迦之御魂大神と、下照姫命、雅日女命、月読命、軻遇突智命。社殿は真新しい朱が目にまぶしい。境内には古代の家を模した玉造資料館があった。
拝殿

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資料館

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左から順に末社の厳島、万慶稲荷、新山稲荷神社

20070121224047.jpg豊臣秀頼の胞衣(えな)を祀る胞衣塚(よなづか)大明神。
夜泣きに御利益があるという。


20070121224056.jpg豊臣氏が奉納した鳥居だが、
阪神大震災で倒壊したという。


20070121224149.jpgかつて境内にあった観音堂は大坂三十三ヶ所の十番札所だった。
正面鳥居の脇にそれを物語る石碑が建てられている。


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玉造稲荷神社納経朱印

20070121224412.jpg表参道から真っすぐ南に歩くと、道の真ん中に木が立っていた。小さな祠もあったので、何か理由があって残されているのだろう。

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鵲森宮(大阪市中央区) 平成19年1月20日

IMG_1448.jpg JR環状線森之宮駅から降りてすぐの場所に鵲森宮(かささぎのもりのみや)が建っている。通称は森之宮神社。カササギとはカラス科の鳥で、朝鮮半島では、七夕で天之川に架かる橋の役目を務めるとされる。
正面鳥居

IMG_1445.jpg 祭神は用明天皇、穴穂部間人皇后、聖徳太子の三柱。『日本書紀』推古天応六年四月に「難波吉士磐金(なにはのきしいはかね)、新羅より至(まういた)りて、鵲二隻(かささぎふたつ)を獻(たてまつ)る。乃(すなは)ち難波杜(なにはのもり)に養(か)はしむ」とある。そこから難波杜は鵲森と呼ばれるようになり、四天王寺も当初はこの森の近くに造営された。ただし現在の社地はかなり縮小され近世に移転している。
拝殿の蟇股には2羽の鵲が彫られている。

IMG_1446.jpg 境内には『小倉百人一首』にも収められている大伴家持の歌「かさヽぎのわたらせる橋にをく霜の白きを見れば夜ぞふけるに」の歌碑がある。歌にちなんでか明治までは実際に鵲橋という橋が現存したという。
実際の歌碑は万葉仮名で書かれている。

IMG_1447.jpg社務所の女性に朱印を求めると、話し好きらしく神社の由来についていろいろと説明をしてくれた。それによると、空襲で狛犬などに焼夷弾の跡が今も残っているが、不思議と延焼はなかった。そのため小学生が毎年平和祈願の折り鶴を納めるという。「平和」
五幸稲荷社

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鵲森宮納経朱印

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勝尾寺(大阪府箕面市) 平成18年10月9日

 箕面の滝へと向かう車の列で大渋滞に巻き込まれた。行楽シーズンである程度は覚悟していたが、ここまでとも思わなかった。考えてみれば(考えなくてもそうだけど)3連休の最終日だったんだな。昨日、一昨日と仕事だったのですっかり忘れていた。

 勝尾寺へは10年ぶりになる。改修工事を行っているようで、山門や本堂の朱が真新しい雰囲気がする。境内はそんなに大きく変わってはないはずだが、なんだか昔と変わったような気がするのはなぜだろう。
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仁王門
 勝尾寺(かつおうじ)は山号は応頂山。宗派は高野山真言宗。西国霊場の札所として信仰される。寺号の由来は第6代・行巡座主が玉躰安穏を祈るとその霊験が高く、清和天皇が「王に勝る」として勝王寺と命名したが、寺側が畏れおおいとして「王」を「尾」に差し替えたという。

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表参道と、その脇の池に建つ弁天社

 しばらく石段を登ると達磨が納められた小屋がある。寺号にちなんで必勝祈願がされたもの。また、境内の至る所に小さな達磨が置かれていた。
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祈願達磨

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厄払い荒神堂。
日本最古の三宝荒神とされる。

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奥之院薬師堂

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開山堂。開山は光仁天皇の皇子である
開成法師。当初は弥勒寺と号した。

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弘法大師を祀る大師堂。
お堂の周囲には四国八十八カ所の御砂踏みがある。

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西国二十三番札所の本堂。
本尊は十一面千手観世音菩薩。
御詠歌「重くとも罪には法(のり)の勝尾寺 ほとけを頼む身こそやすけれ」

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不動堂

 本堂から少し歩くと二階堂が建つ。讃岐に流された法然上人(円光大師)が再び京都に戻ることを許されたが、入洛までの4年間は当地で過ごされたという。また念仏三昧のおり、夢に善導大師(支那浄土宗の中興)が現れたという。
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善導大師と法然上人を祀る二階堂。
円光大師二十五番霊場の五番霊場でもある。
御詠歌「柴の戸に明け暮れ掛かる白雲を いつ紫の色に見なさん」

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多宝塔

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勝尾寺納経朱印(本堂・二階堂)

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御堂・本願寺別院(大阪市中央区) 平成18年9月23日

 御堂筋の名前の由来となった本願寺別院にお参りする。
 まず初めは南御堂こと真宗大谷派難波別院(久太郎町)。いわゆる“東本願寺”の別院(東本願寺は通称であって、正しくは真宗本廟)。本堂内は彼岸法会の最中だった。
 本尊は阿弥陀如来。
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南御堂

 今度は御堂筋を北に進むと、北御堂こと本願寺津村別院(本町)に到着。こちらは浄土真宗本願寺派、いわゆる“西本願寺”の別院(西本願寺も通称であって、正しくは本願寺)。本堂の外観は洋風の外観。
本尊は阿弥陀如来。
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北御堂

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御霊神社(大阪市中央区淡路町) 平成18年9月23日

 難波の産土神である御霊神社にお参りする。祭神は天照大神荒魂 (瀬織津比売神) ・津布良彦神・津布良媛神・応神天皇・源正霊神の五柱。
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拝殿

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東宮

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松之木神社と大黒社。不動明王の石仏も祭られていた。

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鳥居脇に立つ十一面観音と御詠歌の石碑。江戸期まで当社の神宮寺観音堂(本尊:十一面観音)は大坂観音巡りの三十三番札所だった。

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御霊神社納経朱印

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坐摩神社(大阪市中央区久太郎町) 平成18年9月23日

 地下鉄御堂筋線「本町」駅を降り、南御堂(真宗大谷派難波別院)の裏手に、坐摩神社は建つ。船場のビル街に囲まれた商都らしい神社。
 坐摩と書いて「いかすり」と読むが、通称は「ざま」。祭神は生井神・福井神・綱長井神・阿須波神・波比祇神の五柱。
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正面の三つ鳥居。
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拝殿

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本殿南側には火防陶器神社が建つ。青磁の灯篭が印象的。

 当社は摂津国一宮とされるが、通常は住吉大社を一宮とする。坐摩神社を一宮とする伝承はあまり聞いたことがないが、何に基づく説なのだろうか。

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坐摩神社納経朱印

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繁昌亭(大阪市北区天神橋) 平成18年9月23日

 繁昌亭はこの9月にオープンしたばかりの上方落語の定席。建物外観は想像よりもこぢんまりした感じで、寄席というよりも地方都市の公民館という雰囲気がする。
 本日の第1回目は11時30分から。かなりの人で混雑している。

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天満天神繁昌亭

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初代春団治にちなんだ人力車と顔はめ。
 まず初めに桂春菜が「みょうばん丁稚」を。続いて桂きん太郎、桂三馬枝が創作落語。笑福亭三喬が「花色木綿」を演じる。ここでは、オチへとつなげる部分で横山たかし・ひろしの物まねを組み合わせたが、このネタと自然に組み合わさっていた。そして桂米輔の「佐々木裁き」で中入りとなる。

 中入り後には繁昌亭こけらおとしの口上が披露され、桂きん枝が特別出演した。

 ひざは笑福亭仁智の創作落語。そしてトリは露の五郎兵衛の「浮世床」。話のところどころに艶笑を織り込まれ、客席は思わずにやりとする笑いに包まれた。

テーマ:落語 - ジャンル:お笑い

大阪天満宮(大阪市北区天神橋) 平成18年9月23日

 天満天神繁昌亭のこけらおとし公演を見るために、大阪天満宮へと向かう。繁昌亭は天満宮のすぐ隣に建っているからだ。
 大阪天満宮へはかなり久しぶりに尋ねることになるので、地下鉄堺筋線「南森町」駅で降りた方が近いのだが、あえてJR環状線「天満」駅から天神橋筋商店街を散歩がてらに1㎞ほど歩いて向かうことにした。

 繁昌亭には10時15分ごろに到着。公演は11時30分なので初めに天満宮をお参りする。
 祭神は菅原道真(天満大自在天神)。本地仏は十一面観音
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神門
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本殿

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本殿東側にある登竜門。屋根の部分に瀧昇りをする鯉が彫られている。

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大将軍社
大将軍神は陰陽道での方位神のひとつ。大阪天満宮はこの大将軍社の森に道真を祭ったのが始まり。

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十二社
吉備真備、早良親王、橘逸勢などの御霊が祭られている。道真も御霊であり、天神信仰はこの御霊を鎮める祭りであった。御霊(ごりょう)とは「おんりょう(御霊)」であり、それは「怨霊(おんりょう)」である。

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霊符社
天之御中主神が祭られているが、おそらく元は妙見社であろう。妙見大菩薩は北極星であり、道教の鎮宅霊符尊神と同一視された。この社名もその名残と思われる。
しかし、神仏分離により妙見大菩薩やを祭る神社は、ことごとく天之御中主神に祭神が変更された。それ以前はこの神に対する信仰はほとんど無かったが、江戸期の国学者の説で宇宙の中心的神と位置づけられたからだ。

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白米稲荷神社とその奥宮

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大阪天満宮納経朱印

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北向地蔵尊(大阪市北区芝田) 平成18年8月9日

 阪急梅田駅ビルにある紀伊国屋書店の西側に「地蔵横丁」という一角がある。
 その横丁の最南端に「北向地蔵尊」は鎮座されている。駅ビルの中に静かにたたずむお地蔵様は、道行く人々を見守っておられるようだ。
 この地蔵尊は、明治24年に仲谷弥三兵衛が畑仕事の最中に掘り出し、2年後に弥三兵衛によって、北向きに祭られたという。

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 ビルの中にお祭りされる北向地蔵尊

 「北向」と称する地蔵尊は各地にお祭りされるが、なぜ北なのだろうか? 
 支那では「王者南面」といい、皇帝や王侯は北を背にして南を、家臣は北を向く形で王宮が作られる。日本も、この様式を受け継いでいるので御所は南向きに作られる(「北面の武士」はここからきている)。だから、京都では東が右京、西が左京になる。
 北を向く仏壇を良しとしないのも、仏や先祖を下座に置くのは無礼だからという、気遣いから生まれた考えだが、この由来を知らないととんでもない迷信に堕してしまう。
 であれば、地蔵尊は上座に座られず、あえて人間の下座に位置されて、衆生済度のために奔走されているのではないだろうか?

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お初天神(大阪市北区曽根崎) 平成18年8月9日

 久しぶりに「お初天神」をお参りする。正しくは「露天神社」で、祭神は少彦名大神、菅原道真など。
 もともと、曾根崎は曽根州と呼ばれる大阪湾の小島であり、この地に「住吉須牟地曽根ノ神」を祭ったのが始まりと伝わる。
 社名の由来には道真が太宰府配流の際、当地に立ち寄り「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」と歌を詠んだことからだとされる。

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本殿

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社名の由来ともされる露之井。現在は飲用不可。

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金比羅宮と水天宮

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稲荷社

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牛は天神のお使い。道真の神号「天満大自在天神」の名は、仏教守護神のひとつ「大自在天」にも由来する。大自在天(シヴァ)は水牛を眷属とする。天神はまた雷神でもあるので、農耕神でもあり、この面でも牛とはかかわり深い。

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お初天神は『曽根崎心中』の舞台。「お初徳兵衛」の銅像が建てられる。

 さて、お初徳兵衛に限らず、お染久松・お千代半兵衛・小春治兵衛など心中ものの題名は女性が先だが、これは人間なら男女の順だが、心中は“畜生の行為”の故に女男の順とするという倫理観から。特に幕府は心中の字が「忠」に通じるとして、「相対死(あいたいじに)」と呼び、死後の埋葬の禁止などの措置を執った。

 お初天神参拝後は、お気に入りのそば屋「瓢亭」に立ち寄るのが定番コース。
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まず初めにビールとだだ茶豆の塩ゆでを頼む。
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さらに銚子も追加。ちょっといい気持ちになったころに、名物「夕霧そば」が出される。
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柚子を練り込んだ、さっぱりとした風味。お酒でちょっとほてったところに、冷たいそばをすすりこむのは気持ちがいい。

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ごて地蔵(大阪市北区曽根崎) 平成18年8月9日

 旭屋書店にて『異界談義』、『修験と念仏―中世信仰世界の実像』を購入。店を出た後、路地裏をぶらりと歩くと、「ごて地蔵」の祠がある。
 奇妙な名前の地蔵尊だが由来書きを見ると、昭和の初めに梅田界隈で病気が流行し、託宣をすると「地蔵尊が埋まっているので、掘り起こして祭るとよい」との結果だった。そこで託宣通りに行うと病が治まり、以降は地域の守り本尊となったという。
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ごて地蔵。「ごて」は「ごねる」の意味だろうか

 民俗学者・折口信夫は「たたり」とは、本来“神がこの世に顕現すること”を意味するという。そして時代がたつにつれ、その霊威による災禍や警告という現象が「祟り」とされた。いずれにせよ、「たたり」は「しずめ」と一帯である。鎮まらない祟りは祟りでなく単なる災いである。鎮まることによって、その災いが神霊からの警告と認識され、生者は日々の生活をあらためる契機となる。
 そしてそれは、国家や村落などの共同体すべてが共通して認識される一種の「うしろめたさ」があってこそ、人間の傲慢な行為が制御される。

 「たたり」の根源を訪ねれば、昨今のオカルト番組で取り上げられる、“個人に対しての祟り”などなんとも安っぽい物か。
(自称“妖怪研究家”として、マスコミで取り上げられる“心霊現象”は大嫌いです)

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Author:山カズ大王
裏日本観察学会会長
仏歴2518年(昭和50年)生誕

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