裏日本観察学会・突撃巡礼隊

各地の寺院や神社、霊場の参詣記、納経帳(御朱印)の記録を中心に、面白スポットや街角で見たものなども紹介します。 ※写真(サムネイル)はクリックすると拡大します。

2017-07

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毫摂寺(福井県越前市) 平成19年10月29日

出雲路山毫摂寺・真宗出雲路派(本山)
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越前町から武生市街を抜け、静かな農村地ともいうべき清水頭に着く。
越前四カ本山巡りも最後の場所、毫摂寺へと着く。町の雰囲気とも相まって、なかなかに雰囲気の良いお寺だ。


画像 035御影堂門。
越前にありながらなぜに「出雲路」と疑問に思うが、元は京都出雲路にあった草庵を、当地へ移転したためにこの名があるという。


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御影堂。


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阿弥陀堂。
両堂は共に内拝することができた。


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阿弥陀堂門と鐘楼。


画像 040寺のすぐ横に「水の道」という案内があった。しかしすぐ横を流れる川は正直どぶ川で、とても「水の道」なんて名を冠する代物には思えなかった。しかし案内に従って進んでいくと、その川から外れて宅地の方へと誘導された。
すると、宅地の真ん中にきれいな湧水池があった。おばあさんがそこでダイコンを洗っている。


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池の底からはポコポコと水の湧く様子が見て取れる。


画像 044清水頭という地名から、水の豊富な土地なのだろうか。
水草がゆらゆらと揺らぎ、思いがけずに心が安らいだ。



 以上で今回の突撃巡礼隊も無事終了。いろいろと思いがけない、予想だにしない眼福が得られた旅だった。
 この後、武生IC近くにある製麺工場直営店「越前そばの里」でおろしソバを食う。この田舎っぽい太めの麺が食べ応えあってウマイ。地味な印象のある福井だが、なかなかに侮りがたい土地だな。
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劔神社(福井県越前町) 平成19年10月29日

劔神社(越前二宮)・式内小社
画像 030越知山から丘陵地帯を抜けて、越前町織田へと着く。ここは信長を生んだ織田氏発祥の地。
近くの文化歴史館に車を止めて、いったん表参道側に回って参拝する。参道には天満宮や庚申社が建つ。
祭神は素盞鳴大神。氣比大神・忍熊王を配祀。
社殿周囲は結構な杜に包まれていてゲニウスロキを感じる。


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奇稲田媛神社と小松建勲神社。
小松は「小松殿」こと平重盛、建勲は織田信長を指す。


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社殿右手には式内小社の織田神社が、左手には薬師神社が建つ。

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神宮寺であった旧神前院護摩堂は、御輿蔵となっている。
当社には「劔御子寺鐘神護景雲四年九月十一日」の銘がある国宝の梵鐘が伝わるので、早い時期から神宮寺があったのだろう。


劔
劔神社納経朱印

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大谷寺(福井県越前町) 平成19年10月29日

 朝風呂を浴びてゆっくりと朝食を取る。湯豆腐のだしが少し甘めだが、北陸独特の甘口しょうゆのため。漬け物やみそは自家製で、水も井戸を汲んでいるという。今日は特に急ぐ予定もないので、いつもより遅めの出立で越知山へと向かう。

越知山大長院大谷寺(おおたんじ)・天台宗
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 越知山は標高612.8mとさほど高くない山だが、白山開祖の泰澄(諡:神融禅師)ゆかりの地。大谷寺は越知山の別当になる。来るまでは「おおたに」だと思っていたら「おおたん」。先の瀧谷寺でもそうだったが、ここでは谷は「たん(だん)」と発音するようだ。
 門前には蓮池がある。案内によると蓮糸で曼荼羅を織った故事から、ここ一帯を「織田」というとあった。

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 本堂には「越知大権現」の扁額が掛かる。本尊は三所大権現本地の十一面観音(本社)・阿弥陀如来(奥院)・聖観音(別山)。堂内には地主権現本地の不動尊などが祀られる。
 住職さんが庫裏でお茶をご馳走してくれた。そこで泰澄禅師や越知山の歴史について話を伺った。曰く、明治以降の神仏分離で白山の関係者は、北陸の宗教史から修験を軽視し、泰澄も「伝説上の人物」としてとらえていない感がある。自分は越知山の歴史を調べる事で、泰澄を再評価していきたい、と。

 越知山には古代仏教の遺跡が多くあるそうで、試掘に訪れた大学生が「少し見て回っただけでこんな古いものが転がっているなんて」と驚いた話や、山中のお堂に安置する仏像を防犯対策から寺に移動した時に、丸太だと思って薪にしようと持ち帰ったら、たまたま訪れていた博物館の学芸員が「両足を直立させた古い形式の蔵王権現像の残骸だ」と鑑定してくれた話(これは同時に北陸に吉野系修験が、かなり早い時期に広まっていた事の証拠だという)や、鉈彫の西限であり「鉈彫=荒削り」の常識を覆す不動像などの興味深い話ばかりだった。
 「ここ一帯の地名を丹生と言う。本来は北陸は『越国』ではなく、但馬・丹波・丹後と連なる『丹国』。丹生は水銀であり、不老不死の霊薬。つまり大陸から見れば日本海側こそ、肥沃な土、豊富な魚介、美しい水のある「蓬莱」であり「浄土」だったと思う。それが中央集権的な大和の視点で、遠地を想像させる『越』に成ったのだ」とも語り、「ここの方言で土のことを『ベト』という。辞書にはその発音は載っていないが、今も越南と書いてベトナムと読むように、越には土という意味もあったのではないか」と持論を展開してくれた。
 その後、重文の「木造泰澄及二行者坐像」と件の蔵王権現を特別に拝観させてもらった。また本堂に掛けられる真新しい『越知山本地仏曼荼羅』は、「蓮糸の本地仏曼荼羅が寺に伝わるが、『蓮糸で織るなんて不可能だ』とよく言われたので、それでは可能か不可能か試してみようと織り上げたものです」とのこと。なかなかに行動派の住職だ。

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寺境内と地続きで越知神社の里宮が建つ。初めは寺の鎮守社かと思ったが、そうではなく独立した神社だった。
越知山三所の祭神は伊邪那美神・大山祇神・火産霊神。ここの里宮には天照大神や思兼命、文殊菩薩、毘沙門天などを祀っているようだ。

画像 026大師堂と先師供養塔。
11月3、4の両日は万灯会を行うとのことで、それを知らせるのぼりが至る所にはためいている。

画像 025泰澄禅師が入定された御廟。
九重石塔は重文に指定されている。
ここから越知山へと至る山道が続いているが、現在「越知山」と呼ばれる山ではなく、もともとの越知山は標高200mほどのこちら側だという。

大谷
大谷寺納経朱印


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芦原温泉の薬師堂(福井県あわら市) 平成19年10月28日

 再び芦原温泉に戻り町内を散策。ここは、ごく普通の町にホテルや旅館が建っているので、温泉情緒ある町並みはないが、それでも温泉守護の薬師堂が3カ所あるためそれらを巡った。

二面薬師堂
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コンクリート製の小堂。三薬師の中で一番仏堂らしい作りになっている。
境内には小さな池と地蔵堂がある。


舟津薬師堂
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温泉街の中心部の公園の一角に建つ。もともと明治までは神社だった地に建てられているためか、作りは神殿風。


田中薬師神社
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本地仏の薬師如来の名を冠した神社で、祭神は少名彦命。
不動尊を祀る祠もある。


 今晩の宿は駅前にある旅館「米和」。宿そのものは「昭和の旅館」という感じで豪華さのない作りだが、芦原では数少ない源泉掛け流し。
 さほど広くない大浴場に入るとかすかな硫黄臭が漂う。少し熱いめの湯は大変柔らかく、肌触りが良い。飲泉場もあるので飲むと、にがりのようなえぐみと甘みが混じったような味で、体の中から効きそうだった。湯上がり後もいつまでも体はほかほかするし、肌もすべすべになる。

 休憩所でのんびり本棚を眺めていると、芦原温泉の歴史を述べた一冊を見つけた。新聞連載をまとめたもので刊行は昭和47年。パラパラと眺めていると「好色CM作戦」という面白い内容が。
 概略はというと、近くの山代や片山津など加賀温泉は過激なお色気広告をTVで放送し、団体観光客をどんどん受け入れている。対して芦原の広告は品行方正なものばかりだ。小人数の観光客ならこんなCMでも良いが、巨大団体を受け入れるには芦原ももっとお色気に力を入れるべきだ、という内容。当時は大都市部でない限りは、温泉地に行かなければ「お父さん方」は羽目を外すことができなかった時代だったろうが、今ではそうやって売り出していた温泉地が、逆に観光客の減少に悩んでいる。時代の流れというものをしみじみと感じさせる内容だった。

 今度は岩風呂に入る。給湯口のある岩には注連縄が張られていた。ここの旅館は自家源泉なのでいつも新鮮な湯が楽しめる寸法だ。ただ浴槽だけで、こざかしい施設は何もないが、そういう宿が「湯」そのものが楽しめて好きだ。

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瀧谷寺(福井県あわら市) 平成19年10月28日

摩尼宝山法幢院瀧谷寺(たきだんじ)・真言宗智山派
画像 016 画像 013
 今晩泊まる旅館に車を置き、それから電車に乗って三国まで行く。広々とした田園地帯を一両編成のローカル電車に揺られると、一昔前の「いいちこ」や「ニッカウヰスキー」のCM気分だ。三国駅を下りるとそれから歩いて瀧谷寺へ向かう。ずっと「たきだに」だと思っていたが「たきだん」だと知った。
 うっそうと茂るツバキに囲まれた参道を歩き山門をくぐると、苔むした前栽が印象的な境内へと着いた。古びた堂宇と調和した、ここまで見事な苔庭だと思っても見なかったため、実に印象的。本堂に上がると、歴代の福井領主の祈願所だった事や、いままで火事にあったという記録がない事など簡単な寺内説明があった。
 本尊は薬師如来。念誦読経していると、ネコが一匹上がり込み外陣をのっそりと歩いていた。

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 観音堂の本尊は如意輪観音。堂の前栽は心字の石庭、そして東側には石塔や石仏が並んでいる。
 本堂裏には国名勝の築山式庭園となっている。

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室町時代に作られた重文の鎮守堂。
この後に宝物館で国宝「金銅毛彫宝相華文磬」や重文の「絹本着色地蔵菩薩図像」、「天乃図」を拝観する。地方の寺社では国宝を有していても、普段は観覧できない事が多いが、ここは常に見る事ができるようなので、思いもよらない眼福だった。


瀧谷
瀧谷寺納経朱印

 瀧谷寺を後にして少し遅めの昼食とする。目に付いたすし屋でちょっとリッチに海鮮丼とビール。甘エビ、生ウニそして越前米がうまい。すっかり満腹、満足になると、早起きと運転の疲れも出たのか少し眠くなる。港の方も散策しようと思っていたが、予定を早めて芦原行きのバスに乗った。

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専照寺(福井市) 平成19年10月28日

 福井電鉄の路面電車と併走して車を運転していたら、市内に架かる幸橋周辺には何人かシャッターを構える人がいた。朝の風景を撮っているのかと思っていたら、その後に聞いたニュースで、今日が6年ぶりに橋の架け替えが完成した日だったと知った。記念の特別電車も走らせていたようなので、それを狙っていたのかな?

鹿苑山専照寺・真宗三門徒派(本山)
画像 010専照寺は市内中央、フェニックス通りから少し中に入った場所に建つ。
山門、御影堂は大きく立派だが、境内の奥行きは建物の大きさに比べて、やや狭いように感じた。昭和23年の震災では天保年間に建てられた御影堂を残して、すべての堂宇が倒壊したという。現在も復興中とのことで、庫裏や宗務所の工事を行っていた。


画像 011阿弥陀堂が並んで建つ。
浄土真宗の本山は基本的にがらんとした境内に、巨大な御影堂と小さな阿弥陀堂が並ぶという構造が多い。
この日は境内では骨董市が行われていたが、正直並んでいるものは、大層に「骨董」というよりも、「ガラクタ」と言った方がふさわしいようなものばかりで、一々眺めていて実にタノチイ。

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證誠寺(福井県鯖江市) 平成19年10月28日

 「北陸門徒」と言われるように、福井・石川・富山と浄土真宗が盛んな地域。武生・鯖江・福井には「越前四カ本山」と呼ばれる真宗四派の本山がある。證誠寺もその一つで鯖江の市街地から東に外れた、田園地帯に建っている。

山元山護念院證誠寺・真宗山元派(本山)
画像 009本山とはあるが先の誠照寺に比べると境内も格段に狭く、山門や建物も最近になって建てられたものばかりだった。
境内正面には御影堂が建つ。この御影堂の裏には、中央から直線上に並ぶように御廟があり、ちょうど拝殿のような感じで建っていた。


画像 008左側には一回り小さな阿弥陀堂。共に堂内には入れなかった。内拝希望者は寺務所までとの張り紙もあったが、そのまま外で礼拝する。
境内にはイチョウの巨木がじっと立っていた。

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誠照寺(福井県鯖江市) 平成19年10月28日

 仕事で数年前から取り組んでいたプロジェクトが、やっと終わり一安心。ほっとするため温泉にでも行きたいな、できれば源泉掛け流しの、同時に突撃巡礼ができて、そしてうまい魚が食えて、なおかつ3時間以内で行ける場所…。そんなご都合主義的な所はないだろうと考えていたら、ありました。
 それは芦原温泉。
 昨年、永平寺や加賀温泉に突撃した際、帰りにふらりと立ち寄った程度で、じっくりと腰を据えていないので、仕事の疲れもどこやらと向かう事にしました。


上野山誠照寺・真宗誠照寺派(本山)
画像 001 画像 002
 鯖江ICを下りると、ところどころにメガネ関連の看板が目立つ。市街地に向かって西へと進み、北陸本線をまたぐ高架橋を越えて商店街の付近に誠照寺は建つ。思ったよりも早く着いたので町には人の姿はあまりなく、町中なのに静かな境内だ。
 四足門に施されている竜は左甚五郎作だと伝わっている。

画像 004
正面には親鸞聖人像を安置する巨大な御影堂。その左側には二回りほど小さな阿弥陀堂が建つ。共に自由に堂内拝観ができるので中に入と、真宗寺院独特の金箔が施された内陣。誰もいないお堂で一人静かに念誦読経する。


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阿弥陀堂と鐘楼

画像 007阿弥陀堂の裏は墓地になっている。そこに真宗寺院には珍しい、五輪塔や地蔵尊などの石仏が集められた小堂があった。この石塔や石仏は、ダムによって沈んだ岐阜県徳山村にあったもの。村の住民の多くが誠照寺門徒だった縁から当地に移されて安置されているという。

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名田庄の土御門家遺跡(福井県おおい町名田庄) 平成19年8月5日

 美山町から国道をさらに車で北上し、福井県に入ると名田庄となる。ここは安倍清明に連なる陰陽道・土御門家ゆかりの土地。ここは陰陽道の神、泰山府君を祀る土御門家の領地であり、一時は応仁の乱を逃れ、同地で3代にわたり天文道場を開いたという。
 道の駅近くには暦の歴史を学ぶ資料館もあり、天文観測の資料や暦学、宮中年中行事についての展示がされている。

加茂神社
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 国道沿いの小さな集落に加茂神社が鎮座する。茅葺きの拝殿が印象的な小さな社頭。名田庄の鎮守として養老年間に勧請されたという。

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祭神は加茂別雷神。善積川上大神(土御門十二代祖霊)と泰山府君、貴船明神を合祀する。

20070806154717.jpg神社入り口には十王堂がある。閻魔法王を含む冥界十王が祀られる。泰山府君は山東省泰山の神で寿命を司る。仏教と習合してからは閻魔王の眷属、あるいは同体ともされた。
日本では陰陽道でもっぱら祭祀されている。

薬師堂
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 加茂神社から山に向かってしばらく歩くと、茅葺きの古びた薬師堂が建っている。本尊は薬師如来。
 堂内には祈願のために穴を開けた石が何個か奉納されていた。また鰐口の代わりに、丸い板を掛けられていた。
20070806154845.jpg薬師堂の裏手には土御門家3代(有宣・有春・有脩)の墓石がある。
中央には自然石、その左右に小さな石塔が立つ。


天社宮・泰山府君社跡
20070806154904.jpgかつて土御門家が泰山府君を祀っていた場所。泰山府君社の隣に黒塗りの小さな社があったが、何の神を祀っているのかは不明だった。

20070806154918.jpg天壇の周囲には四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)を表す四色の鳥居が立つ。

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天社の後背には磐坐とおぼしき石が置かれる一角がある。

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境内には葛の葉稲荷神社も建つ。安倍清明誕生伝説にゆかりの深い稲荷だ。

 陰陽道というと最近の安っぽいオカルト特集のお蔭でか、悪魔払い師かなにかと勘違いされがちだが、本来は天文、天体の動きを観察し、人の生業を守るための暦を作り、吉凶を判断する。その派生として祈祷も行ったが、それは律令体制崩壊後の話。マンガなどで安倍清明が祈祷師のような振る舞いをする描写がよくあるが誤解であり、それ以前に陰陽道の本義たる天文学・暦学についてまったくふれていないモノが大半。
 名田庄は陰陽道ゆかりの地だが、前述のようなオカルト趣味を満たしてくれるようなものはない。ただ、静かな自然に囲まれた地に、変に時代に迎合することなくひっそりと天文・暦の伝統を伝えている、そんな場所だ。

20070808164220.jpg天社土御門神道本庁。
ごく普通の茅葺き民家だが、土御門家の伝統を今に伝える機関。

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 本庁内には祭壇が置かれる。提灯には清明桔梗(五芒星)と太一(たいいつ)が書かれている。太一は道教で宇宙の根源を象徴する概念であり、また北極星を神格化した神。星と暦の里らしい祭壇だ。

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土御門の遺跡は小さな集落に点在しているが、特に観光化しているわけでもない。道の駅から国道を若狭に向かってしばらく走り、巨大な杉の木のそばに車を止めて散策するとよい。

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芦原温泉(福井県あわら市) 平成18年10月23日

 今回の旅の目的もすべて終わり、後は帰るだけとなったのだが、時間はまだ1時過ぎ。このまま直帰するのも惜しい気がする。
 そこで芦原温泉にも立ち寄って疲れを取ることにした。車を走らせていると雨が降り出してきた。

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セントピアあわら
芦原の湯は無色透明なお湯で少し熱め。
風呂上がりに施設内の展示を見ていると、明治時代に潅漑井戸を掘っている最中に、お湯が沸いたという。

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地図を見ると、近くの公園に薬師神社があるというので参拝する。行ってみると、確かに神社風の造りだったが、名称は薬師堂とあった。
 もともとは薬師如来を祀る王子堂があったが、神社合祀令により、薬師神社と改称して近くの春日神社に移されたが、温泉発掘後に守護尊として新たに薬師如来を勧請したお堂とあった。

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別の場所にある薬師神社。祭神は少名彦尊。


 この後、少し早めの晩飯として福井市内でカツ丼を食べる。普通のカツ丼ではなく、ウスターソースに漬けた、薄切りのトンカツ3枚が載ったソースカツ丼。いかにもB級な味でウマイ。白米とウスターソースってどうしてこんなに相性がいいのだろう。

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東尋坊(福井県坂井市) 平成18年10月23日

 東尋坊の名は先にも記したが、平泉寺東尋坊にいた荒法師が投げ込まれたことによる。
 ここも有名な観光地なので、あれこれ書く必要もないだろう。
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近づくたびに足がすくみそうになる。

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安島方面

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自殺をとどめる立て札がもの悲しい


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お昼に食べた海鮮丼。
人間、自殺したらこんなうまいものも食えなくなる。

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吉崎御坊(福井県あわら市) 平成18年10月23日

 北陸門徒といわれ、また一向一揆の例など、この北陸地方は浄土真宗が篤く信仰されている。この北陸において信仰を拡大したのが蓮如(諡号:慧灯大師)布教の中心地であったのが吉崎。小高い丘の周囲には東西本願寺別院などが甍を並べている。

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吉崎御坊跡へと続く参道。
 東西別院に挟まれた細い石段を登っていくと、「嫁脅しの肉付き面」で有名な願慶寺に着く。ごく小さなお寺だが、次々と団参者が訪れ面の縁起に耳を傾け、堂内には笑い声が響いていた。

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山門と本堂
吉崎では現存最古の寺で真宗大谷派、本尊は阿弥陀如来。

 ここからさらに丘を登ると、吉崎御坊跡へとたどり着く。現在は寺はなく、松林と苔むした広い公園になっている。
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御坊跡と高村光雲作蓮如上人像、蓮如上人腰掛け石

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北潟湖を望む


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東別院の山門と本堂
真宗大谷派の別院で、本尊は阿弥陀如来。本堂横の会館には御影道中(東本願寺から蓮如御影を輿に乗せて、吉崎まで練り歩く行事)の写真や、蓮如伝説の解説などが置かれていた。

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太鼓楼
御影が到着すると太鼓を鳴らすという。中は宝物館にもなっている。


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西別院の本堂と蓮如を祀る中宗堂、念力門
浄土真宗本願寺派(西本願寺)の別院で、本尊は阿弥陀如来。宝物館には嫁脅しの等身大ジオラマや吉崎の七不思議などが展示されていた。

 この吉崎に来て感じたことは、現在の浄土真宗では無縁とされがちな土臭い民俗信仰的な蓮如信仰だった。嫁脅しの面なども一種の奇跡譚であり、北陸だから蓮如だけれども、これが四国なら弘法大師の伝説になるだろうなと思わせる、そんな素朴な信仰だ。

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願慶寺・東別院・西別院、それぞれの納経朱印
浄土真宗では納経朱印を行わない寺院がほとんどだが、吉崎では行っていた。これも吉崎という信仰の地ならではなのだろうか。


丘の下に祀られていた観音菩薩と石仏群
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伝承では付近の漁師が海上安全を願って観音を建立しようとしたところ、夢に蓮如の母が現れ「石山寺の観音を祀れ」とお告げがあった。蓮如の母は石山寺の如意輪観音の化身でもあるので、吉崎にはふさわしいとして祀られたという。

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北潟湖

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平泉寺白山神社(福井県勝山市) 平成18年10月21日

 永平寺から小一時間ほど車を走らせて勝山市へと向かう。市内には恐竜の看板が幾つも目につくが、当地は日本一の恐竜発掘現場でもある。
 さて、あの越前大仏の外観だけを眺めながら、目的地の平泉寺白山神社へ車を進める。その田園から、いきなり杉木立に囲まれた小道へと大きく景色は変わる。

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越前大仏外観

 当地は泰澄禅師が白山へ登ろうとした起点であり、白山修験の越前側の拠点がここ平泉寺であった。しかし、神仏分離により寺は廃され白山神社となった。参道にはかつての僧坊跡と思われる遺跡がある。

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東尋坊跡。この坊にいた荒法師が投げ込まれたのが、越前海岸の「東尋坊」。

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現存する平泉寺旧塔頭の顕海寺。
天台宗で本尊は阿弥陀如来。

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一の鳥居から続く参道。杉木立に囲まれ、自然石を利用した緩やかな石段を歩く。周囲は苔むしていて、低地ながらも山の霊気を感じさせる。
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泰澄禅師の廟所。泰澄は「越の大徳」・「鎮護国家法師」とも呼ばれ、白山の主神である妙理大菩薩を感得した行者。元正天皇の治病を祈り「神融禅師」の勅号を賜った。

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泰澄が妙理大菩薩を感得した御手洗池。平泉寺の名の由来の地でもある。

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寺院風の拝殿。

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妙理大権現(伊弉冉尊)を祀る本殿。その左右には越南知(おおなむち)権現(大己貴尊)と別山権現(忍穂耳尊)の祠が建つ。この三神が白山三所大権現。

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泰澄禅師を祀る開山社。

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境内一面は苔に覆い尽くされている。

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平泉寺本坊跡に建つ社務所と、その庭(旧玄徳院庭園)。室町期のもので北陸では現存最古の庭園。

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白山神社納経朱印

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永平寺(福井県永平寺町) 平成18年10月21日

 北陸への旅は先月から予定していたのだが、あれやこれやと雑用が重なり、やっと念願かなっての北陸旅行となった。
 さて、第一の目的地は曹洞宗の大本山永平寺。北陸自動車道福井ICを下りて、山を目指すかのように車を進める。
 しばらくすると土産物屋が建ち並ぶ門前町に着く。いずれも名物のゴマ豆腐や越前そばの字が目に入る。
 そうそう、福井はそば処。麺中毒の私としては気持ちが、やや昼食へと傾き始めていた。

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永平寺正門
 永平寺の山号は吉祥山で、開山は希玄道元(諡号:承陽大師)。物静かな禅寺のイメージをしていたが、観光シーズンとあって拝観者が多く(自分もその一人だが…)、けっこうにぎやかだった。

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 拝観受付を済ますと、まず初めに巨大な会館の一室に集められ、そこで僧侶より永平寺の歴史と参拝の注意事項をなどを受ける。
「寺内には近代的なものもあり、俗っぽく感じるところもあるかもしれません。しかし、ここはあくまでも修行道場です。境内建物はご自由に撮影されても結構ですが、修行僧へは決してカメラを向けないでください」
 確かにその通りだ。

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天上絵が見事な傘松閣。

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修行僧の生活の場である僧堂には、文殊菩薩が祀られる。

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僧堂から仏殿、法堂へと続く回廊。五来重先生の著作に、”最高なものという意味で「高野の料理、禅の掃除」という”とあったが、ニスを塗ったかのごとくピカピカに磨かれた床だった。

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道元和尚を祀る承陽殿。

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阿弥陀仏・釈迦牟尼仏・弥勒仏を祀る仏殿。それぞれ過去・現在・未来の三世を表す。昼時の勤行の最中で、堂内には仏頂尊勝陀羅尼の声が響いていた。
仏殿のさらに上には観世音菩薩を祀る法堂(はっとう)が建つ。堂内では若い修行僧が、法会での所作の練習を繰り返していた。

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仏殿側から山門を眺める。

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永平寺納経朱印



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お昼に食べた名物のおろしそば。

テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

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Author:山カズ大王
裏日本観察学会会長
仏歴2518年(昭和50年)生誕

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