裏日本観察学会・突撃巡礼隊

各地の寺院や神社、霊場の参詣記、納経帳(御朱印)の記録を中心に、面白スポットや街角で見たものなども紹介します。 ※写真(サムネイル)はクリックすると拡大します。

2017-09

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阿須賀神社(和歌山県新宮市) 平成19年4月22日

阿須賀神社へは、熊野速玉大社から新宮城に沿い、熊野川河口へと向かうようなルートで進む。神社の周囲は宅地や商店などで、ごく普通の町中のお宮おいう雰囲気。ただし、社殿後輩には蓬莱山と呼ばれる小さな丘陵があり、神奈備の風情が色濃く残る。

20070427152625.jpg祭神は事解男之命、熊野夫須美大神、家都御子大神、熊野速玉大神。阿須賀大行事と号され本地は大威徳明王。
神倉に降臨した三所権現は阿須賀に遷り、そして新宮に鎮まったという。上記の縁起は、山から海の彼方を拝んでいた信仰を思わせる。阿須賀の語源は、当地が浅州処(アスカ)と呼ばれていたことによるという。
もともと、速玉社の摂社だった。
社号:阿須賀(あすか)神社

20070427152612.jpg稲荷神社と徐福之宮。
新宮は徐福伝説の地であるが、これも古代海洋信仰が徐福伝説や神仙思想と融合したものではないだろうか。
稲荷は食の神であり、食の神は依り来る神でもあるが、当社が大行事(寺社の祭祀を運営する役職)と号されたように、速玉社への神饌を司る意味があったのではと、五来先生は考察している。

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境内と同じ敷地内に市立歴史民俗資料館があり、竪穴式住居が復元されている。この周辺には弥生時代の土器や住居跡が出土しているという。

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阿須賀神社納経朱印

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熊野速玉大社(和歌山県新宮市) 平成19年4月22日

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正面鳥居と神木の椰(なぎ)の大木。
本宮が山の霊場、那智が滝の霊場であるならば、新宮は海の霊場だろうか。熊野の道を辺路(へち)という。辺地・辺道とも記されるが「辺境の地」の意味であり、紀伊半島以外にも伊豆、能登、そして四国などにもある。四国のヘチは後世に遍路となるが、いずれも海沿いの道である。海の彼方に神霊の世界を見いだし、その神霊が寄りつく場所を歩むことが修行だった。

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手力男神社と八咫烏神社。

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神門

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拝殿内には十二社権現の本地仏や「熊野観心曼荼羅」が掲げられていた。
社号:熊野速玉大社
祭神は以下の通り。
第一殿(結宮):熊野夫須美大神・伊弉冉尊(千手観音)
第二殿(速玉宮):熊野速玉大神・伊弉諾尊(薬師如来)

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第三殿(証誠殿):国常立尊・家津御美子大神(阿弥陀如来)
第四殿(若宮):天照皇大神(十一面観音)
(神倉宮):高倉大命(愛染明王)
第五殿(禅児宮):天忍穂耳尊(地蔵尊)
第六殿(聖宮):瓊々杵尊(竜樹菩薩)
第七殿(児宮):彦火々出見尊(如意輪観音)
第八殿(子守宮):鵜葺草葺不合命尊 (聖観音)
第九殿(一万宮・十万宮): 国狭槌尊・豊斟渟尊(文殊菩薩・普賢菩薩)
第十殿(勧請宮):泥土煮尊(釈迦如来)
第十一殿(飛行宮):大斗之道尊(不動尊)
第十二殿(米持宮):面足尊(毘沙門天)

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新宮神社と熊野恵比寿神社。
エビス社の存在は当地が、海から依り来る神の聖地であることを意味するという。
新宮神社は周囲の神社を明治に合祀した社。

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新宮の熊野牛王は48羽の烏で描かれる。

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熊野新宮大社納経朱印

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神倉神社(和歌山県新宮市) 平成19年4月22日

 新宮は町中の神社なので、本宮や那智に比べるとやや野趣に欠ける気がする。しかし、それは現在の社地のみを見て感じること。ここ神倉神社を参詣してこそ、新宮の価値があると思う。

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神倉山は熊野権現が最初に降臨したとされる場。速玉大社を「新宮」と呼ぶのも、この地を「元宮」とするからという。
昨年参拝したときは車を置く場所がなくて困ったが、今は参拝者も増えたのか、駐車場が新たに設けられていた。これも世界遺産効果なのだろう。
社号:神倉神社(熊野速玉大社飛地摂社)

20070427150736.jpg20070427150747.jpg自然石を利用した急峻な石段を、こわごわと上る。2月6日の御燈祭りの、松明を持った千数百人の男が一気に駆け下りる映像を見たことあるが、実際にこの石段を見ると考えただけで怖くなる。もっとも、中の地蔵堂からは石段も緩やかになるので上りやすくはなるが。


20070427150822.jpg祭神は高倉下命、天照大神。神倉権現の本地は愛染明王。
高倉下命は神武天皇東征を助け、熊野三党の祖とされる。おそらく、いにしえの神を祀る民と、神武東征伝承が融合して現祭神に、なったのではないのだろうか。
社殿の背後にはゴトビキ岩とよばれる磐坐がある。ゴトビキはヒキガエルのことだが、これ以外にも周囲には巨岩が多く古代の神の姿さながらだ。


20070427150835.jpg熊野川の河口を眺める。天より降った雨は祖霊の集う山々に静まり、一筋の流れは大河となって里を潤す。そして水はもう一つの他界、海へと帰っていく。山と海。この二つの他界を結ぶ川。そこを往来する水はまさに神霊そのものだ。海へと帰った水はまた再び雲となって天へと昇る。
命の再生。それが如実に表れた地が熊野ではないだろうか。

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神倉神社納経朱印

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勝浦温泉(和歌山県那智勝浦町) 平成19年4月21日

 熊野周辺は魅力的な温泉が多数あるが、今夜の宿は勝浦温泉。さて、勝浦といえばホテル浦島が有名。去年は奮発してそこに泊まったが、確かに忘帰洞など温泉は良かったが、いかんせん食事が(後略)。せっかくの漁師町なのに海のものが(自主規制)。
 それだったので、今回、浦島は始めから選択肢に入れなかった。そこで、いろいろとほかの宿をネットで探していたら、「勝浦一の温泉」と号されるホテルを見つけた。それが海のホテル一の滝。

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ホテルは勝浦の漁港沿いにあり、外観も正直豪華とはいえない、どちらかというと古びた様子の小さなホテル。でも外観で判断してはいけない。
部屋はすべて海沿いで、目の前に弁天島が、そして湾の対岸には那智山が見えるという絶好のロケーションとなっている。

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荷物を置いたらひとまず散歩する。ブラブラと歩くと潮の香りと船の重油が臭いが混じった漁港特有のなつかし雰囲気がする。ホテル側からは反対向きの弁天島は、潮が引いているので、のかなり近くまで行くことができたが、完全な引き潮なら島まで渡れるという。日本海育ちのなので、大きな潮の満ち引きは経験したことがなかっただけに、海の底までが見える引き潮にはちょっと感動的だった。


 さて、ホテルに戻って夕食前に一風呂浴びることにした。湯船は100%の源泉をそのままのものと、加熱したものの2種類で、いずれも掛け流し。始めに源泉風呂に入るが、お湯はかなりぬるい。しかし肌触りは心地よく独特の温泉臭も良い。少し湯船に横たわる感じで入っていたらいつの間にか、ウトウトと眠っていた。目を覚まして今度は加熱風呂に。もちろんこれも源泉100%に変わりはない。浴室は扇形でパノラマ展望台のように、海を眺めることができる。熱い湯で体がほてったら再び源泉に、これを何度も繰り返した。ちなみにシャワーまで温泉という念の入りよう。

 風呂上がりは夕食。波の音を聞きながら名物のマグロの造りなど、海の幸に舌鼓。お銚子もついつい、いつもよりも多くなる。食後は酔い覚ましにと、潮風に当たりながら読書をするうちに、また寝てしまった。
気が付けば9時半だったので、もう一度温泉に。源泉風呂にゆっくり、ゆっくりと、1時間以上入る。
 さすがにぬるい湯とはいえ、そんなに入ったら喉も渇く。缶ビールを買いにロビーに向かったら、瞳のぱっちりとしたロングヘアの奇麗な女性が一人立っていた。“こんな小さなホテルに一人旅?”とついつい見とれていたら、なんのことはない。しばらくして旦那の風呂上がりを待っている地元の人だった…。
 イカン、イカン。せっかく熊野に来たのに煩悩はなかなか制御できないようだ。

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朝、部屋から眺めた弁天島。天気予報では雨が心配されたが、どうやら今日1日はもってくれそうだ。

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飛瀧神社(和歌山県那智勝浦町) 平成19年4月21日

 熊野三山とはいうが、もともと本宮・新宮・那智は個々独立した信仰だった。それが修験道の影響により「三山」という巨大な霊場へと発展したという。そして那智は、この滝信仰の霊場だった。

20070427151605.jpg一の鳥居。
飛瀧神社は那智大社の別宮。本社でも本殿第一殿に三山の神ではなく滝宮が鎮座することでも分かるが、そんな理屈はともかくとして、現代人が見ても滝に神秘性を感じるのだから、当時の人々にとってはその雄大な姿は、神が地上に顕現したと見たのだろう。
社号:飛瀧神社(那智大社別宮)

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祭神は大己貴命。飛瀧権現と号され本地は千手観音。「那智」の語源は祭神のオオナムチによるという。
滝の落差は133mで、文観上人や花山法皇の修行場としても名高い。この大滝のさらに上には二之滝(本地:如意輪観音)、三之滝(本地:馬頭観音)があり、山中には大小多数の滝があるという。これらを総称して「那智の滝」というそうだ。

20070427151640.jpg山に鎮まった祖霊は水となって里に依り来る… 本宮参詣時に思いついたことだが、まさに滝は祖霊の持つ荒ぶる力と潤いの力。この二つの生命力(エネルギー)が渾然一体となった様相だ。生と死、動と寂。この自然の働きこそが神霊の姿なのだろう。

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不老延命の水

20070427151651.jpg御滝祈願所。大己貴尊(飛瀧権現)のほか、不動尊、観世音菩薩や役行者、弘法大師、伝教大師、花山法皇、文観上人、一遍上人を併せ祀る。いずれも熊野信仰にゆかりのある方々。堂内には神道護摩壇が置かれていた。


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飛瀧神社納経朱印

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妙法山(和歌山県那智勝浦町) 平成19年4月21日

 熊野那智大社や青岸渡寺は、かなり観光化されているのはしかたないとしても、熊野が死者の山、祖霊の集う霊場であると認識したいのであれば、ぜひに那智山の奥之院といわれる妙法山に登るといいだろう。
那智大社・青岸渡寺の門前駐車場からスカイラインを10分ほど走るだけで浄域へと着く。

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木々に包まれた境内は、至るところが苔むし、さらに小雨模様も手伝ってか、肌に霊気がまとわりつくような感覚がする。
山門は鳥居型で、左側に鐘楼堂がある。
山号:妙法山
寺号:阿弥陀寺
宗派:高野山真言宗

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この鐘は「ひとつ鐘」と呼ばれ、死者の幽魂は、葬式のお供えに用いるご飯が炊きあがるまでに熊野に詣で、そしてここの鐘を突くという。鐘の表面には「南無阿弥陀仏 空海(花押)」と書かれてある。
伝承では弘法大師が高野山開基の前年の弘仁六年(815)、妙法山で修行し、極楽浄土の入り口として阿弥陀如来を祀ったという。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」と念仏を唱えつつ、鐘を突いた。


20070427145942.jpg本堂。本尊は阿弥陀如来。
この日は21日、弘法大師の御影供だった。午前中は多くの参拝者が訪れていたのだろうか、堂内には座布団が並べられていた。
中に入ってお参りすると、先祖の回向供養の最中だった。


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妙法山の名の由来は、大宝三年(703)に唐僧の蓮寂上人が、この山に法華経を納め、釈迦如来を祀ったことにあるという。
そこは現在、奥之院となっているが、昨年参詣した際は時間の関係で行けなかったので、今回は念願がかなった。本堂から奥之院へは葯800mの山道で、薄暗い木々に囲まれている。山道といっても緩やかな坂なのでそれほど苦しくはないが、とはいえどこまで続く道なのか分からないのは、なんとなく心細いものだ。

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奥之院に近づくと、薄暗い木々の間から、パッと陽光が差してくる。さながら阿弥陀如来の来迎を思わせる。なるほど、極楽浄土を実体験させるかのようだ。

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海抜749mの妙法山山頂に建つ、奥之院浄土堂。本尊は釈迦如来。
 現在、法華経信仰というと日蓮教学が主流となったために、浄土信仰や修験道とは相容れないものかのように思われがちだが、日本では古くから法華経は滅罪経典として通仏教的に信仰された。
特に山岳信仰では盛んに写経・埋経された。そして法華経の持つ滅罪の力と、阿弥陀如来の本願力よって極楽往生を遂げようとした。この山は浄土信仰、山岳信仰が融合された、原初の日本における法華経信仰が残る霊場ともいえよう。

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応照上人の火生三昧跡。
法華経の「薬王菩薩本事品」にある薬王菩薩に倣い、一切衆生の罪を背負って自らを焼いた場所という。これも渡海同様に自らの肉体を布施する行為だが、とても現代人の常識では考えられないことだろう。

20070427150101.jpg納骨髪堂。
この地方では、遺骨・遺髪の一部を、極楽往生を願い妙法山に納めるという。同様の例は高野山や伊勢の朝熊山などでもみられる。

妙法山の御詠歌
  熊野路をものうき旅と思うなよ
   死出の山路で思ひしらせん

ここは死者の集う地であると実感できる。


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弘法大師堂は、手前が参籠堂で奥が大師堂と、2つのお堂がつながった構造になっている。


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妙法山の展望台から那智の海を眺める。

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阿弥陀寺納経朱印

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熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町) 平成19年4月21日

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一の鳥居と児宮(多富気王子)。多富気とは「手向け」なのだろうか。
お参りに北老夫婦が鳥居の前で、「観音様が右、お宮が左…。さてどっちから先にお参りすればいいのかな?」と迷っていたので、上で境内がつながっているのでどちらから参詣しても大丈夫だと伝えた。すると「それなら先に観音様に…」と右側の石段を上っていった。
机上の空論を弄ぶ国学者や古神道家(註1)の論理で、明治に神仏分離という愚挙が行われたが、それで一番困るのは、実際に信仰する側だ。

(註1…私は、いわゆる古神道と称する教えは「古の神道」という意味ではなく、「古神道」という固有名詞を冠する、神道とも、古の神道とも別形態の宗教だと思っている。実際、古神道の理論や行法と称するものの大半は、密教・道教・修験道の修法をまねたものを、古代から伝わっているかのように牽強付会したものが多い)

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社殿の前には寺院の香炉のように、神道護摩炉が置かれ、修験の道場であった名残を醸し出している。
社号:熊野那智大社
祭神、および本地仏は以下の通り。
第一殿(滝宮):大己貴命(千手観音)
第二殿(証誠殿):家都御子神(阿弥陀如来)
第三殿(中御前):御子速玉神(薬師如来)
第四殿(西御前):熊野夫須美神(千手観音)
第五殿(若宮):天照大神(十一面観音)
第六殿(八社宮):八柱神

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社殿左側には八社殿(四所王子、四社明神相殿)と、八咫烏を祀る御県彦社が並んで建つ。
第六殿に祀られる四所王子と四社明神の祭神は以下の通り。
禅師宮:忍穂耳尊(地蔵菩薩)
聖宮:瓊々杵尊(竜樹菩薩)
児宮:彦火々出見尊(聖観音)
子守宮:葺未合尊(如意輪観音)
一万宮・十万宮:国狭槌尊・豊斟渟尊(文殊菩薩・普賢菩薩)
勧請十五所:泥土煮尊(釈迦如来)
飛行夜叉:大戸之道尊(不動尊)
米持金剛:面足尊(毘沙門天)

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境内の一角には、平重盛手植という楠が立つ。基部は空洞になっていて、胎内くぐりができる。
青岸渡寺とは塀を隔てて、このすぐ隣。互いに行き来しやすいように、門も造られている。

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那智の牛王は72羽の烏で書かれている。

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熊野那智大社納経朱印


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青岸渡寺(和歌山県那智勝浦町) 平成19年4月21日

20070427144726.jpg20070427144713.jpg那智山へ登る途中、車を降りて有名な大門坂を散策。世界遺産に登録されてからすっかり観光名称となり、大型バスも待機していた。
嗚呼、いつかは田辺から中辺路を歩いて熊野三山を巡ってみたいものだ。


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青岸渡寺の山門。
駐車場からは土産物屋が軒を連ねる石段を上り、途中で左に熊野那智大社、右に青岸渡寺と参道が分かれる。
山号:那智山
寺号:青岸渡寺
宗派:天台宗

20070427144749.jpg本堂。本尊は如意輪観世音菩薩で、西国三十三所の1番札所。

那智山が1番札所なのは、東国から伊勢参宮を終えて熊野三山を巡りつつ観音巡礼を行い、谷汲山を打ち終えて中山道から善光寺へと向かうルートが確立したから。古くは中山寺から始まり三室戸寺で終えるなど、時代時代で変遷があった。個々として独立していた霊場を線で結び、一つの巨大な霊場へと拡大するという形態は、修験道の影響を受けているとされる。
 今でこそ「青岸渡寺」という寺号があるが、これは明治になってからの名称。以前は単に如意輪堂といい、那智権現の境内堂社の一つだった。それが神仏分離により神社と寺院に分けられたことで、現寺号を冠するようになったという。

 さて、那智権現の本地仏は千手観音だが、なぜ如意輪堂が重視されるのかが疑問だった。この疑問に五来重先生は、この如意輪観音が那智開山の裸形上人が感得した尊像であるという伝承から、もともとは裸形上人を祀る開山堂ではなかったかと指摘している。
 山岳信仰の霊場では開山者は神仏に等しい存在として信仰される(例:大峯の役行者や高野山の弘法大師など)。那智では裸形上人が如意輪観音と同体とされていたのではないのか。それが次第に裸形上人を離れて、純然たる如意輪観音として信仰されるようになったのではとある。山岳信仰の美術で僧形の神の姿が描かれるが、これももともとは神そのものではなく、神を仏式で祀る修行者が神格化されたものといわれる。熊野三所権現の垂迹図でも本宮は法体(僧形)、速玉は俗体(男)、那智は女体で表される。

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如法堂(大黒堂)には大黒天、弁才天、毘沙門天を中心に、七福神が祀られる。本来、如法堂とは法華経を写経する道場のこと。

20070427144813.jpg 補陀洛や岸打つ波は三熊野の
   那智のお山にひびく滝つ瀬

那智山の御詠歌そのままに、遠く離れていても飛瀑の音が聞こえてくる。

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本堂下には塔頭が数ヶ寺並んでいる。
その一つ尊勝院は天皇、皇族の宿坊だったので、唐破風の四脚門が建っている。

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青岸渡寺納経朱印

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補陀洛山寺(和歌山県那智勝浦町) 平成19年4月21日

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新宮市から国道42号線を、左に熊野灘を眺めながら南下する。那智勝浦町に入ってしばらくし、JR那智駅前の交差点を右折すると補陀洛山寺が見えてくる。
この地は熊野と伊勢の分岐点。それを示す石柱、振分石が公園の一角に立っていた。

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補蛇洛山寺参詣の前に隣接する熊野三所大神社に参詣する。ここは熊野九十九王子の一つ、浜宮王子に相当する。
境内は楠の巨木(夫婦楠)が天を覆う。

20070424214642.jpg社殿はけっこう杜に囲まれている。祭神は夫須美大神・家津美御子大神・速玉大神の三柱。
王子とは通常、御子神とされているが、宗教民俗学者の五来重先生は、熊野の王子を「海の彼方から寄り来る神」を祀った海洋信仰が原始の姿と指摘している。そして後世に、熊野三神や天照大神、稲荷やエビスへと変容したいう。

20070424214653.jpg20070424214703.jpg社殿両脇に祀られる、三狐神(みけつかみ)と地主神の丹敷戸畔命(にしきとべのみこと)の石祠。
三狐神はミケ(御食)の神で稲荷として信仰されるが、ここにも、依り来る神としての王子の姿があるのかもしれない。海の彼方からは食がもたらされるからだ。

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神武天皇頓宮跡の記念碑。
前に置かれる3つの丸石は力石。



20070424214727.jpg神社の左隣に補陀洛山寺は建つ。補陀洛とは梵語Potalakaの音写で観音浄土のこと。この寺は那智権現の七所本願の一つ。
本尊は千手観世音菩薩。真新しい本堂へは昇殿して参拝することができる。堂内には熊野参詣曼荼羅の写真や地蔵菩薩、不動尊なども祀られている。
山号:白華山
寺号:補陀洛山寺
宗派:天台宗

 補陀洛山寺は「補陀洛渡海」で有名な寺。はるか南海の観音浄土を目指し、うつぼ舟に乗って出航する。海の彼方に祖霊の住む常世をみた古代海洋信仰と仏教が融合したものだと理解していた。しかし、たまたま団体客への案内を聞いていたら、こんなことを言われた。

「一般に補陀洛渡海といわれていますが、実は観音浄土を目指したという記録は一つも残っていません。後世の人が『おそらく、そうではないか』と考えたものです。そもそも観音浄土は南にあるとされますが、この那智沖は黒潮が流れています。そして地元民なら『この沖に出ては南に行けない』ことぐらい常識です。そして黒潮に呑まれれば小舟など、観音浄土に着く前に沈んでしまいます。つまり、ここから出航すれば死が待っているのは分かり切ったことです」
 この言葉は衝撃的だった。観念的な世界であれ、無批判に南海の観音浄土を目指す旅と思っていただけに、この黒潮という指摘はさすが地元ならではの強烈な一言だった。
「だからこの旅はユートピアを目指すものとはいえません。自ら死へと向かうものです。そして渡海をする行者は千日間那智へ山籠もりをします。この先に行われる千日行によって、死に対する恐怖というハードルを下げていくのではないのかと思います」。

 死への恐怖からの解放。渡海信仰への思いがけない一面をみた。もちろん修験道では入水往生、火生三昧、土中入定、捨身供養などの一種の自殺行為が多々行われる。渡海もこれらの流れを汲むものであるとは知ってはいたが、机上の理論ではなく、この地を踏んだことでそれがよりリアルに感じることができた。
 そういえばイエズス会の宣教師の報告書に、母親を殺した罪を悔いて山伏に成った男が、何年も苦行を行い、最後には村の災いを一身に背負うと言って、火の付いた小舟に乗って海に出たとある。宣教師も「悪魔の教え(註:仏教のこと)を信じる者にもかかわらず、われわれよりも気高い行いをする」と締めくくられたというが、さながら原罪を背負って磔刑に処されたイエスの姿と重なったのではないのだろうか。

20070424214736.jpg復元された渡海舟。四方に建つ鳥居は、この舟が古い型式の墓である殯(もがり)であることを意味している。
五来先生は水葬が変化したものと指摘しているが、実際に江戸期の渡海は死者を海に流していたらしい。那智参詣曼荼羅に描かれる渡海舟の様子も、葬送儀礼さながらだという。

20070424214746.jpg貞観十年(868)の慶龍上人から亨保七年(1722)の宥照上人まで、渡海上人25名の名を記した記念碑。実際は記録にない多くの行者がいたという。


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本堂の裏山には、渡海上人たちの供養塔が並んでいる。

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平維盛の供養塔。重盛の嫡男で、彼も渡海したという。

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補陀洛山寺納経朱印

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川湯温泉(和歌山県田辺市本宮町) 平成19年4月20日

20070424213847.jpg湯峯から今晩の宿、川湯温泉へと移動する。昨年同様に民宿大村屋を利用した。玄関に着くなり、看板犬のペコ(ブルドック)が元気に飛び出してきた。
宿の裏には温泉守護の十二薬師如来を祀る浄妙堂が建つ。

20070424213905.jpg川湯温泉は、その名の通り川からお湯が沸く。だから河原を掘ればマイ温泉を造ることもできる。そこで今回はスコップを持参して温泉造りに挑戦した。
川を見ると所々に小さな泡が立っている場所がある。そこを中心に「エーンヤコラ」と穴を掘るのだが、なかなか思うようにお湯はたまらない。しかも実際に掘ってみると入浴可能な大きさにするには、かなりの労力を有する。
結局、吉本流の必殺技「今回はこれぐらいにしといたるわ!」を使って、河原にある共同露天風呂に入る。去年はここに入ろうと思ったら、水着を着ての入浴だったので断念した。今回はちゃんと水着を用意したのだが、先客のおっちゃんたちは素っ裸で入っていた。どうやらその時々の状況で入浴スタイルは変わるようだ。
お湯はかなり熱めだが、ポンプで川の水を汲んで冷ますという、野趣あふれる露天風呂。川の流れと、そこを横切るこいのぼり、そして山々にいだかれて、と雄大な気分になりつつゆっくりと入浴。ほてると川に入って体を冷ます。それを何度も繰り返した。
湯上がりは河原を散策する。川下には旅館が掘った露天風呂も2カ所あった。
もちろん、普通の共同浴場もあるのでそこにも入浴。一昔前の銭湯という風情だが、豊富なお湯が掛け流してある。

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大村屋から眺めた朝の大塔川。つり橋を渡った先に露天風呂があるが、入浴時間は午後3時からなので、露天での朝風呂はできない。
夜中雨が降ったお陰でか、空気が凄くさわやかだ。


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20070424213946.jpg川湯温泉から新宮市へ向かう途中の熊野川の風景。

テーマ:温泉旅行 - ジャンル:旅行

東光寺・湯峯温泉(和歌山県田辺市本宮町) 平成19年4月20日

20070424213404.jpg本宮から湯峯へと至る熊野街道こと、国道311号線の狭く蛇行した道を行く。その途中に「小栗判官の車塚」があった。
餓鬼阿弥となった小栗が元の姿と戻るために湯峯まで訪れ、今まで乗っていたいざり車を納めた場所だという。
説教節『をぐり』では、小栗の乗る車を湯峯へと導くことの功徳を説くのが一遍上人だが、時宗(時衆)と熊野信仰、救癩活動とのかかわりを示す物語だ。


道中では2匹の猿が道を横切っていた。去年も道ばたでエサを食べる猿に遭遇したが、なかなか自然の豊かな所だ。さらにしばらくして温泉街に近づと、「小栗判官蘇生の地」と描かれたのぼりが目に付くようになる。しかし小栗判官・照手姫といっても、今の人にどれほどピンとくるのだろうか?
20070424213418.jpg湯峯温泉街に東光寺は建つ。本堂の左側には湯谷川が流れ、右側には共同浴場がある。いかにも温泉守護の寺院らしい。
本尊の薬師如来は、湯の花が凝固して仏の姿となって現れた尊像だという。本尊の白黒写真が飾られていたので見てみると、確かに仏像のような石の塊だった。薬師如来の胸から湯が沸いていたので、当初は湯胸と呼ばれていたのが、いつごろからか湯峯と呼ばれるようになったと説明されていた。
山号:薬王山
寺号:東光寺
宗派:天台宗

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東光寺の裏山には、熊野九十九王子の一つ、湯峯王子の祠が建つ。
湯峯は熊野へ参詣する前に湯垢離を取る場所でもあった。古くは東光寺脇にあったが、明治の火災で現在地に移動したという。


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東光寺のすぐ近くに一遍上人の爪書名号碑がある。「南無阿弥陀仏」と書かれているのだが、風化が激しくて判読は難しい。「正平二十年」と書かれているので、実際は南北朝時代に書かれたものだという。


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小栗判官が蘇生したことで知られる「つぼ湯」は、共同浴場で予約してからの入浴になる。この日は1時間待ちだった。湯谷川に温泉の噴出口があり、硫黄臭が漂っている。そこで玉子や野菜をゆでることもできるのは、故郷但馬の湯村温泉を思わせる光景。
共同浴場は温泉を水でぬるめた一般湯と、88℃の源泉を時間をかけて適温までさませたくすり湯の2種類がある。くすり湯の方が少し入浴料が高く石鹸の使用は不可だが、当然にこちらの方に入る。ごく簡素で小さな浴室だが、硫黄臭と湯船に浮かぶ湯の花が風情を誘う。体の中にじっくりと温泉成分が染み渡るようだ。
裏山の不動滝から流れてくる、小さな川の音が最高のBGMとなっている。

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東光寺納経朱印

テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町) 平成19年4月20日

 熊野の語源は「隈(くま)の野」、つまり遠く離れた最果ての地を意味するという。現代でも遠いが、それが歩くしか手段のない時代であれば、いっそうに「熊野」であったろう。にもかかわらず、「蟻の熊野詣で」、「伊勢へ七度、熊野へ三度…」と、朝野問わずに多くの人々が熊野へと旅立ったのは、彼の地が「信・不信」「浄・不浄」を問わずに救済する現世の極楽世界、神仏の集う浄土と信じられていた。そして、そこへ至る行程は死出の旅路であり、そこでの難行・苦行はまさに死後の裁きであり、罪や咎を清める滅罪行であった。

理屈ではない野生の教理と救済の地、それが熊野であろう。

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社号:熊野本宮大社
正面鳥居と八咫烏ののぼり。参道の両脇には「熊野大権現」と書かれたのぼりが奉納されている。

20070424155820.jpg神門から内部は撮影が禁止されている。
本殿には左から順に第一殿、第二殿の相殿、本殿の第三殿、若宮と熊野十二社のうちの上四社を祀る三つの社殿と、社殿もなにもない満山社の拝所がある。
第一殿(結宮):熊野牟須美神(別名・伊邪那美大神)・相殿:事解之男神
第二殿(速玉宮):速玉之男神 ・相殿:伊邪那岐大神
第三殿(證証殿):家津美御子大神(別名・素盞鳴尊)…本宮の主祭神
第四殿(若宮):天照皇大神
満山社:八百万神

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参道脇には熊野古道がある。実は現社地は明治になって移築されたもので、本来はここからさらに500m程離れた場所にあった。


20070424155843.jpg畑と杜の中に立つ巨大な鳥居がひときわ目立つ。
旧社地は大斎原(おおゆのはら)と呼ばれ、熊野川と音無川に挟まれた場所にある。明治の洪水で社殿が流されてしまい現在地へと移転したが、川は聖俗を区切る境界であるので、現在の社地だけでなくここにも参拝しないと、本宮へは片参りではないだろうか。


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「鎮守の杜」という言葉がふさわしい大斎原。


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右側に中四社・下四社の祠と、左に摂末社合祀別社の祠があるのみで、それ以外は木々に囲まれた更地。
「中四社」
第五殿:忍穂耳命
第六殿:瓊々杵命
第七殿:彦穂々出見命
第八殿:鵜葺草葺不合命
「下四社」
第九殿:軻遇突智命
第十殿:埴山姫命
第十一殿:弥都波能売命
第十二殿:稚産霊命

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境内の一角にある一遍上人(諡号:證証大師)の六字名号碑。熊野は阿弥陀如来の極楽浄土とされ、多くの念仏聖の集った場所。一遍上人も本宮で権現の神示を受け悟りを得た。
一遍の念仏は専修念仏でありながらも、同時に日本古来の神祇信仰、山岳信仰、民俗信仰とも深いかかわりを持つ。


20070424160218.jpg熊野川と熊野の山脈。
紀伊の語源は「木の国」だという。木々に包まれた山は祖霊の集う他界であり、神霊の宿る異界である。であれば天から降る雨は地上へと舞い降りた神霊ではなかろうか。水は山の木々を茂らせ、そして一筋の流れとなり里を潤す。熊野川に沿っての道中、ふと「水」というキーワードに気が付いた。


熊野三山(本宮・新宮・那智)にはいずれも十二社の神々が祀られるが、それぞれの本地仏と代表的摂末社の本地仏は以下の通り。

「三所権現」
証誠大菩薩(証誠殿・本宮)…阿弥陀如来
速玉大権現(中御前・新宮)…薬師如来
結宮大権現(西御前・那智)…千手観音
「五所王子」
若宮(若一王子)…十一面観音
禅師宮…地蔵菩薩
聖宮…龍樹菩薩
児宮…如意輪観音
子守宮…聖観音
「四所明神」
一万眷属・十万金剛童子…文殊菩薩・普賢菩薩
勧請十五所…釈迦如来
飛行夜叉金剛…不動尊
米持金剛童子…毘沙門天
(以上、十二社権現)

飛竜権現(那智別宮)…十一面観音
神倉大行事(新宮摂社)…愛染明王
阿須賀大行事(新宮摂社)…大威徳明王
礼殿執金剛…弥勒菩薩
満山護法…金剛童子

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大斎原参道入り口近くには、伊邪那美命荒魂を祀る産田社が鎮座する。

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湯峯への途中に鎮座する真名井社。天村雲命を祀る。1月7日の八咫烏神事では、ここの水を用いるという。水はこんこんと湧いていたが、結界がされているので勝手に汲むことはできない。

20070424194326.jpg88羽の烏で描かれた本宮の牛王(ごおう)神符。牛王の語源は牛黄、つまり牛の胎内にできる胆石などの牛玉で高貴薬と珍重された。そこから転じて仏教では諸病・諸疫を除く霊験があるとされ、牛黄を混ぜた朱肉・墨で摺った護符が生まれたという。

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熊野本宮大社納経朱印

テーマ:神社めぐり - ジャンル:旅行

白浜温泉(和歌山県白浜町) 平成18年10月29日

 日も開けない3時に目が覚めた。普段ならしばらくすれば再び夢の中だが、この日はなぜだか知らないが寝付けない。寝ようとすればするほど目がさえてくる。そこでかなり早いが朝風呂に入ることにした。お湯の中でゆったりとすると段々眠たくなってくる。それからもう一度布団に入ると、そのまま意識を失う。結局、朝食を知らせる電話が鳴った8時まで寝てしまった。
 宿を出るとバスに乗って三段壁に向かう。昨日の雨が嘘のようで汗ばむぐらいの天気となった。到着してみると観光客は結構多い。さすがに絶景だとは思うがスピーカーから流れる音楽がうるさい。養老の滝でも同じような経験をしたが、観光地で安っぽい音楽を流すことに、どれほどの意味があるのだろうか。それとも「音楽を流せ!」と毎日100件を超える要求でもあるのか。まぁ無いだろう。どうもスピーカーから音楽を流す観光施設を見ると、時代から取り残されている感がいなめないのだが。
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三段壁

 さて、何はともあれ洞窟の見学とエレベーターに乗って地下36mまで下りる。押し寄せる波は迫力があり、この波の力によってこれだけの洞窟が作られたのだから、やっぱり自然の力は凄いものだ。もっとも、ここは鉛鉱脈があったのでその鉱坑跡でもある。とはいえ、こんな場所に坑を掘った昔の人もエライ。
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洞内に祀られる弁才天。十六童子と大黒天、毘沙門天が併せ祀られている。縁起書を見ると海上安全と自殺者の慰霊のために、「五条の本山」より勧請した弁才天とあった。「五条の本山」というの弁天宗のことだろう。そういえば幟に書かれた桔梗紋も弁天宗のものだ。

 小学校の時、この洞窟は怖い思い出しかなかった。というのは当時、「あなたの知らない世界」だったか怪奇特集番組でここが取り上げられ、自殺者の亡霊が招く地と紹介されたからだ。その番組を見た後でここに来たものだから、押し寄せる波が死者の招きのように思えガクブルしたものだ。そんな無邪気な時代もあったのに…時の流れは無情だなぁ。
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自殺防止の看板も立つ絶壁。自分が崖際に立つのはさほど怖くなかったが、ほかの人が崖に近づく姿を見ると足がすくむのはナゼだろう。

 次に千畳敷へ向かうが、ちょうどいいバスの時間はなかったが、距離それほどたいしたことないので歩いて行くことにした。
 千畳敷の岩の質は砂を押し固めたような軟らかいもの。そのためか至る所に落書きが彫られていた。ハートマークや「○○君、愛してる」などのたぐいも多い。こんな事をするバカップルは今ごろ破局しているだろう 。ケケケケケ(念のために言いますが、やっかみではありませんから。念のため…)

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 その次の目的地はの湯だが、そこへ向かうバスも時間がずれている。やっぱり歩くことにした。のんびりと旅するつもりが、なんだかいつものパターンになりつつある気がしてきた。
 の湯は白浜でも一番古い温泉だという。小さな脱衣所と男女をしきる囲いがあるだけで、あとは何もない露天風呂と目の前、というか海のすぐ際に湯船があるので、時折波しぶきが掛かる。温泉に入っているのか海水浴に来たのか、そんな錯覚を覚える雄大なロケーションで、こんなに感動した露天風呂は岡山県の湯原温泉に入ったとき以来だった。
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近くで売っていた温泉玉子

 円月島へ向かおうと思ったが、これまたバスがない。結局、バスセンターまで歩いたら、やっとバスに乗れた。あらためて気付いたのだが白浜は見所が離れている。有馬、城崎はその点で温泉街に見所が集中しているので、歩いて散策するのに向いているが、ここは自動車がないといささか不便だったのだ。「温泉街を散策しながらのんびりと過ごす」という当初の目的だったが、白浜を選択した時点でミスしていた。出鼻のつまずきはそれを象徴する出来事だったのだ。
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白良浜

 円月島を眺めた後に昼食。その後、南方熊楠記念館を見学。周囲は木々で覆われ記念券への道というより、悪の秘密結社のアジトへと向かうようだ。
 館内には熊楠の遺品や遺稿、幼少期に書き写した『和漢三才図会』や『本草綱目』、植物採集帳などのほか、男性器そっくりなキノコの標本などまで展示してある。入り口には熊楠関係の書籍も販売していたが、その中には水木しげる御大による伝記『猫楠』も置いてあった(未読の方は一度お読み下さい)。
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円月島と南方熊楠記念館

 次に再び歩いて白浜美術館と寛喜神社へ。ここは白浜の珍スポットとしてもその筋では有名な場所だが、館内にはチベットやネパールなどの男女結合像を中心とした宗教美術館となっている。
 隣接する歓喜神社は伊邪那岐命・伊邪那美命を祭神とし、夫婦和合や子授けの御利益があるという。岩肌には男女の性器が彫られているが、女性に比べ男性の方は形がはっきりしない。
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白浜美術館と歓喜神社

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本殿の陰陽岩と境内にあった陽物

 やっとのことでタクシーを拾いお土産を買いにとれとれ市場に向かう。その名の通り魚介類を中心とした物産センターで、ごぼう巻きなどを購入。

 さて、何はともあれ出鼻ではくじかれたが、それでも白浜では(当初の「のんびり」とは大きく異なったが)なんとか無事に過ごせたので良しとしよう。そう思いつつ高速バスで帰ることとしたのだが、これまた失敗。渋滞に巻き込まれてしまい50分ほど遅れて梅田に到着。今回の旅は「白浜オクレ旅」と名付けることにした。古人曰く「二度あることは三度ある」とはよくいったものだ…とここで終わるべきなのでしょうが、京都へ向かう快速電車でつい寝過ごししまい、目が覚めたら大津。
 まさに今回の旅を締めくくるオチでした。

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45万円のクエ

テーマ:温泉旅行 - ジャンル:旅行

白浜温泉(和歌山県白浜町) 平成18年10月28日

 考えてみれば「突撃巡礼隊」といえば、限られた時間内にどれだけたくさんの目的地を巡ることができるかといった慌ただしい行程ばかり。たまには一ヶ所に腰を据えて、それも温泉地でのんびりとする旅もいいのではないかと思い、先週加賀温泉に行ってきたばかりなのですが今週末も1泊2日の温泉旅行を思い立ちました。
 とはいっても28日土曜日は午前中出勤なので午後からの出発。であれば京都からあまり遠くには行けない。そうなると候補となるのは有馬、城崎、白浜ぐらい。有馬は5月に行ったばかりだし、城崎は地元に近いからいまいち興味がわかない。そうなると残るは白浜。白浜は20年ほど前に行ったきりでもあるから目的地に決定。早速に宿を手配し、その上仕事が終わっても急げば京都駅12:33発の「オーシャンアロー」に乗ることができると分かり、職場から即駅に向かえるように準備を整えました…と、ここまでは良かったのですが。

 さて、仕事も終わり自転車に乗って大急ぎで駅に向かいました。駅に着いたのは京都行きの普通電車の到着する3分前。なんとか間に合ったと安堵してホームに立ったが、待てども暮らせども電車は来ない。それもそのはず。先行していた特急列車の故障のためダイヤが大幅に狂っていた。やっと来た電車も信号待ちなどで結局、20分遅れで京都駅に到着。当然、乗る予定だったオーシャンアローは出た後。しかし天災や事故でならともかく、故障が原因の遅れならば乗客に対してもっとそれなりのサポートがあるべきでは。車内放送も謝罪の言葉ばかりで、肝心な乗り換えの情報はほとんど流さなかったように思える(もっとも、放送音が不明瞭だったので聞き取れなかったのかもしれないが、それも問題だ)。出鼻がくじかれたことで少しイライラしつつ、新快速で新大阪に向かう。しかし、今回の旅の遅れはこれだけでは済まなかった。

 新大阪駅構内で1時間ほど待って14:03発の「くろしお」に乗る。売店で買ったカツサンドと缶ビールで車内昼食。当初の予定では京都から車窓を眺めつつ駅弁の予定だったのだが…。くろしおを運行する381系は振り子式電車なので車内は大きく揺れる。そのためか酔いもよく回るので、いつのまにかウトウトした。ふと目が覚めると電車は雨空の下、紀ノ川に架かる橋で停車していた。信号待ちかなと思っていたが、これまた走り出さない。すると「踏切で異常が発生したため安全確認を行っています」と放送が流れたものだから、なんだか嫌な予感がした。こういう出だしにケチが付いた旅はこのままだと、ろくな事にならない。験直しを兼ねて心の中で般若心経や観音経をお唱えし、神仏の加護を祈ることにした。

 10分ほどの遅れで白浜に到着。雨は幾分かやんできた。タクシーに乗って本日の宿ホテルシラハマに向かう。その宿だがホテルと冠しているが昔ながらの国民宿舎で、さながら田舎の公民館という雰囲気の古びた宿。もっとも設備は古いが掃除も行き届いているのでさほど気にならないし、宿泊代も安いので文句は言えない。早速に着替えて温泉に入る。浴室は少し狭いが源泉掛け流しなのがうれしい。お湯は少し濁っていてほんのり塩味がする。温度はぬるめなのでゆっくりと漬かる。

 夕食後は外湯へと向かう。まずは白良浜沿いにある白良湯。内装はレトロっぽい雰囲気で、湯船からは海が眺める。こちらはけっこう熱めの湯なので体がしゃきっとする。湯上がり後に浜辺で浴びる潮風が気持ちいい。
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白良湯
 次に向かったのは松乃湯。こちらは昭和40~50年代の古びた銭湯といった雰囲気で、観光客向けというより地元向けの外湯。かなり熱めのお湯だが、こういう熱い湯で長風呂をするという、一番体に悪い入り方が好きなのでうれしいかぎりだ。
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松乃湯
 その後、軽く一杯飲みたいと思い銀座通りへ。大晏という小さな寿司屋でビールと盛り合わせ、締めにエビの踊りを食う。値段も安い。もう少しブラブラしていたいが、国民宿舎の門限が10時までと決められている。宿に戻って布団でゴロゴロしているといつのまにか睡魔に襲われた。途中で目を覚まし、あらためて寝る体制に入る。
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銀座通りにあった足湯。飲み食いもできるようになっている。

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Author:山カズ大王
裏日本観察学会会長
仏歴2518年(昭和50年)生誕

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