裏日本観察学会・突撃巡礼隊

各地の寺院や神社、霊場の参詣記、納経帳(御朱印)の記録を中心に、面白スポットや街角で見たものなども紹介します。 ※写真(サムネイル)はクリックすると拡大します。

2006-07

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染殿地蔵(京都市中京区) 平成18年7月30日

 藤原明子(染殿皇后)がここの地蔵尊に祈願したところ子をもうけ、後の清和天皇となるところから、安産祈願で知られたお寺。
正式には染殿院で、宗派は時宗。
本尊は弘法大師作と伝わる裸形の地蔵菩薩。
表通りの賑やかさとは打って変わって、静かな境内。
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立江地蔵(京都市中京区) 平成18年7月30日

 新京極通りを歩くと、「くさよけ 立江地蔵大菩薩」と書かれた石碑がある。以前から気になっていたが実際に立ち寄るのは今回が初めて。
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 立江地蔵は四国19番札所「立江寺」の地蔵菩薩を勧請した物であることは、すぐに予想できたが、「くさよけ」の意味が分からなかった。
 後日、『京都大事典』で調べてみると、正式には大原山善長寺で浄土宗西山禅林寺派。「くさ」とは疱瘡(天然痘)のことで、通称は「くさがみさん」だという。
 現在ではあまり流行しない御利益だろう。

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矢田地蔵(京都市中京区) 平成18年7月30日

 博物館を出て当てもなく東を向いて歩いていたら、寺町通りの矢田地蔵に着いた。「送り鐘」の看板が盆の近づきを感じさせる。
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 矢田地蔵は正式には金剛山矢田寺。宗派は西山浄土宗。もともとは大和国の矢田山金剛寺別院で、本尊の地蔵菩薩は、地獄の亡者に成り代わって苦しみを請け負う「代受苦」信仰で知られる。そのため、ここの地蔵尊は火焔に包まれた姿で表現されている。
 また、使者を送るときにここの梵鐘を鳴らすとされ、16日の精霊送りの際にもここの鐘を突く。

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 矢田地蔵へは寺町に買い物に訪れるたびにお参りしているが、納経をしたのは初めて(というよりも、納経可能とは知らなかった)。

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京都文化博物館(京都市中京区) 平成18年7月30日

 京都文化博物館で「北斎と広重展」が開催されているので、足を運ぶ。日本化薬元会長の原安三郎コレクションが今回は公開される。さて、北斎・広重両者の代表作である『富岳三十六景』と『東海道五十三次』も、全編ぞろいで展示されていたが、今になって両者の違いが何となく見えてきた。
 北斎の描く冨士は生活空間の一部である。『富岳三十六景』は確かに冨士が主題ではある。しかし北斎には冨士そのものよりも、冨士を中心とした江戸や各地の市井の人々の生活を描きたかったのではないだろうか。日常空間の中に、非日常空間(江戸期、冨士信仰は爆発的に急増する)である冨士が顔をのぞかせる。『富岳三十六景』は北斎自身も画面描かれる人物と同一の視点に立っているように思えた。
 対して『東海道五十三次』は、旅という非日常空間での光景を描いている。だから描かれる人物も風景の一部であり、そこはどこかしら「物語(フィクション)」の一面のようである。広重が『東海道中膝栗毛』の影響を受けて東海道を歩き「五十三次」を描いているが(実際、作品中には弥次喜多を思わせる人物がいる)、そこは旅人の視点で風景・人物を捉えている。であればこそ、雪の降らない「蒲原」を雪景色で描いたのだろう。
 「人物のいる風景」と「風景としての人物」。この違いがあるからこそ、同じ風景浮世絵でありながらも、代表格とされるのだろう。
 しかし、本来浮世絵とは、美術館や展覧会などであらたまって見る物ではなく、手に取り、あるいは寝そべりながら眺める物であったのだから、その視点で見たらまた違う発見があるだろう。

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 昼食は館内1階にある「鳥彌三 あざみ」で、賀茂なす御前と瓶ビール。焼いた賀茂なすにダシを掛け、すり下ろしたオクラを乗せた夏らしい一品。

 館内掲示板を見ると2時30分から「あねさん亭」と銘打って落語会が行われるとあったので、立ち寄ることにする。
 桂ひろばの「ろくろ首」、笑福亭晃瓶の「ちしゃ医者」、桂坊枝の「舟弁慶」、トリは桂福楽の「仔猫」。特に「仔猫」など、前半は孝女物と思わせて因果話と移り、最後にあっけないほどオチで終わる。しかし、この手の「親の因果が…」という系統の噺はテレビではできないのだろうな。

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 京都文化博物館

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大手いこ井の泉(岐阜県大垣市郭町) 平成18年7月29日

 その後、お土産を買うために大垣市へと足を伸ばす。市営駐車場に車を止め、市内散策を兼ねながら、柿羊羹の老舗「つちや」へと向かう。
 途中、和菓子屋を発見。店先には井戸水が張られた水槽があり、その中には水まんじゅうが冷やしてある。その場で食べるため1個買うと、氷水の入ったガラス器に水まんじゅうが盛られた。井戸水と一緒に食べるとのこと。
 旅先で、しかも店頭でまんじゅうを食べると、がぜん旅の雰囲気が出る。
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金蝶園の水まんじゅう

店の隣には自噴する井戸があり、「大手いこ井の泉」という名が付けられていた。名前から察することができるように、一般公募で命名されている。井戸は道路よりも低い位置にあるが、町中だけあって水を汲みに来る人も多く、スロープも設けられている。
今回は名水紀行のような旅だ。
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大手いこ井の泉

さて、交差点の地下道を下りて店に向かうのだが、この後大失敗をする。目的地の店は、南に進まなければならないのに、間違えて東側出口から出てしまった。しかし、本人は南に向かっていると思いこみ、しかも簡単な地図しか用意していなかったので、いっこうにたどり着けない。結局、間違いに気付き来た道を戻るなどして、1時間近くもウロウロしてしまった。
 つちやに到着したころには疲れ果ててしまい、目的の柿羊羹は買ったけど、店の外観など撮る気力もなかった。
 兼好法師の「仁和寺のある法師…」ではないが、旅には充分な用意が必要なことに、今更ながら思い知らされた。
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つちやの柿羊羹

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養老の滝(岐阜県養老町) 平成18年7月29日

 養老の滝へ向かう途中、車で滝のすぐそばまで行ける道があったが、やはり歩いてみたいと思い、麓の駐車場へ行く。
 駐車場の近くには養老寺が建つ。滝の水を汲んだら酒だったという養老伝説の主人公、「源丞内」が建立したと伝わる。本尊は阿弥陀如来。宗派は真宗大谷派。
 手前は幼稚園のおまつりの準備。肝試しをするようだ。
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本堂

 本堂の左手の小堂には滝守不動明王が祭られている。養老の滝の守護尊だという。浄土真宗で不動尊が祭られるのは珍しいが、元は法相宗であったのが、再建時に改宗したことによるもの。おそらく、滝に対する山岳信仰もあったのだろう。
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滝守不動堂

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孝子源丞内の墓

養老寺
養老寺納経


 滝までは2㎞ちかい道のりだが、午前中の雨のおかげか川風が涼しくて気持ちいい。道に並ぶ土産物屋には伝説にちなみ、ひょうたん細工が多い。
 木々が濃くなるに従い涼しさが増す。しかし、リフト乗り場のスピーカーからラジオの大音量が流れてきて興ざめ。こんなところでラジオを流す意味があるのだろうか。養老寺の近くの公園でもカラオケ大会をしていたが、せっかくの自然の中なので、もう少し音に対して気を配った方がいいのではないだろうか。

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 養老の滝。ここ数日の大雨も影響していると思うが、水量も多く迫力がある。

 帰り道で養老神社に参拝。祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)ともいわれ、菅原道真が合祀されている。
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 境内には名水「菊水霊泉(きくすいれいせん)」が湧く。元正天皇が飲んだ霊泉で、白髪が黒髪になったともいわれる。
 菊水(きくすい)は植物のキクというよりも、「ククル(潜る)ミズ」の漢字表記「菊り水」を、さらに音写したものであろう。「ククル」は水の流れであり、また「ククル(括る)」は複数のものを一つにする意味だから、繁栄や統治などの言祝ぎの意味でもある。水は再生の象徴であり、菊理媛神は『日本書紀』では黄泉の国から逃げる伊弉諾神に慰めの言葉を掛けた神でもある。まさに蘇り(黄泉がえり)を手助けた神。
 またキクも、東晋代の『荊楚歳事記』に重陽(9月9日・菊の節句)に菊酒を飲む風習が記され、日本でも古くから宮中で行われていた。キクは長寿を祝う花である。そこから、彭祖がキクの露を飲み神仙となったという能楽『菊慈童』が生まれるが、「菊」という字には大和言葉・漢文共に長寿をイメージさせる。
 養老伝説も古い時代の水神信仰がかかわっているのだろう。
なお、和名「キク」は漢名「菊(ju2)」の音読みに由来する。



そういえば、お菊さんも水(井戸)に縁の深い名前だな…

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菊水霊泉

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神社入り口にある水汲み場。

『続日本紀』霊亀3年(717)9月元正天皇の改元の詔には
「詔曰。朕以今年九月。到美濃國不破行宮。留連數日。因覽當耆郡多度山美泉。自盥手面。皮膚如滑。亦洗痛處。無不除愈。在朕之躬。甚有其驗。又就而飮浴之者。或白髪反黒。或頽髪更生。或闇目如明。自餘痼疾。咸皆平愈。昔聞。後漢光武時。醴泉出。飮之者。痼疾皆愈。符瑞書曰。醴泉者美泉。可以養老。盖水之精也。寔惟。美泉即合大瑞。朕雖庸虚。何違天貺。可大赦天下。改靈龜三年。爲養老元年」
とある。
 美濃国への行幸の際、多度山の泉に手を触れると手は滑らかになり、また痛みも治まった。また黒神に戻る者、髪が生える者、目の開く者などの奇瑞が現れた。後漢代の光武帝の御代にも同じような霊泉が湧いたとあるので、霊亀より養老と改元するとある。
 もっとも、この「多度山美泉」が現在の養老の滝であるかどうかは、疑問視する意見もあるが、『古今著聞集』などで孝子伝承がこの改元と絡めて語られるようになる。

養老神社
 養老神社朱印。朱印はふるさと会館で頂ける。

駐車場近くの露天でトマトが一籠100円で売っていた。形は悪いが真っ赤な色に誘われて購入。

 関係ないが、帰路で養老町内に「養老乃瀧」がないか探してみた。あれば「これこそ本家養老乃瀧」とネタに使おうと思ったのだが…ケッキョクミツカラナカッタ。

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歌川広重『六十余州名所図会』より「美濃 養老瀧」。実際はこんなに大きくない。

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南宮大社(岐阜県垂井町) 平成18年7月29日

 元来た道を戻るような感じで車を走らせる。今回の旅では行程が間違ったかなとも思う。南宮大社に到着したころには雨はほとんどやんだが、おかげで少し蒸し暑くなった。
 南宮大社は『延喜式』の「仲山金山彦神社」のことで、主祭神は金山彦命。国府の南に位置していたから南宮と呼ばれる。美濃国一宮。
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楼門
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拝殿、回廊などはすべて朱塗り。手前に建つのは舞殿。

え 絵馬
祭神に由来して、鋤や鍬などの金物や鉱石が奉納されている。

 境内の左側に進むと「聖武天皇行幸曳常泉」の石碑、その奥に湖千海神社,(引常明神)と鉄塔が建つ。聖武天皇は大仏建立を願った際に、ここの霊泉を飲んだとされ、また北条政子が源頼朝の供養のために塔を築いたという。
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湖千海神社

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鉄塔

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社殿に使用した古瓦を納めた瓦塚。

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駐車場の近くに建つ美濃国総社。

南宮
南宮大社朱印

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華厳寺(岐阜県揖斐川町) 平成18年7月29日

 横蔵寺から15分ほどで谷汲山に到着する。雨は少し小降りになったが、それでも傘は必要だ。参道には西国霊場の結願所らしく土産物屋が軒を並べるが、シーズンオフのためか閑散とした雰囲気がする。参拝客は断然、横蔵寺よりも多いのだが、店に立ち寄ろうとする人はあまりいなかった。
 華厳寺というよりも、山号の谷汲山といった方が通りがよい。開山の豊然上人が観音堂を建立した際に、土中から油が湧き灯明に用いたことが「谷汲」の由来とされる。宗派は天台宗。

山門
門前町から山門を眺める

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参道には塔頭寺院が並ぶ。左は弘法大師堂。

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豊川稲荷こと妙厳寺から勧請した枳尼尼真天が祭られる、稲荷堂。

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経蔵

谷汲
本堂。他の西国霊場の本堂は、扁額や絵馬、幟などが納められて、それが札所らしい雰囲気を醸し出すのだが、この本堂堂内にはそれらが無くスッキリとしていた。

谷汲おいづる 谷汲満願 谷汲
ここの納経は、過去(笈摺堂)・現在(満願堂)・未来(本堂)を表すとして、三種類が押される。これで本来なら西国霊場の結願となるのだが、自分の場合はまだ全部廻ってないので、「結願」ではない。

おいずる
笈摺堂。結願した巡礼者が笈摺や納経帳、杖などを納めるお堂。隣は子安観音堂。

元三
元三大師堂。元三大師とは第18世天台座主良源(慈恵大師)の俗称。正月三日に遷化したところからこう呼ばれるが、凄まじい法力を有していた。またおみくじを考案したとされる。

書院
書院

 帰り道、揖斐茶を売る茶店を見つけ、お土産に煎茶を買った。帰宅後に飲んでみると、煎茶でありながら番茶のような色と、山里を思わせる野趣あふれる風味がした。以前、生のチャノキの葉を軽く火であぶって飲んだことがあるが、その香りを思い出した。もちろん煎茶としての甘みもある。
 ちなみのその茶屋は骨董というよりも、ガラクタ屋も兼ねているようで面白い外観をしていたのだが、なぜだか写真を撮るのが気まずかった。

(後日、満願堂と本堂柱にある「精進落としの鯉」のことを思い出した。どうして確認し忘れたのだろうと悔やむ)

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横蔵寺(岐阜県揖斐川町谷汲) 平成18年7月29日

 関ヶ原ICを下り、揖斐川町へと向かう。道中「徳川家康最初陣跡 桃配山」など古戦場を案内する看板がところどころに立ち、関ヶ原らしさを感じさせるが今回の目的地でもなく、また余り興味を引かないのでそのまま通り過ぎる。
それよりも至る所で目にする「御首神社」という看板の方が気になったのだが…(後日、調べてみると平将門を祭った神社だと判明。足を伸ばしておけばよかったorz)

 揖斐川周辺では名物の梁漁を知らせる看板が目立つ。焼きたてのアユを頭からかぶりつき、冷たいビールを飲んだらウマイだろうなと生臭いことを考えながら、田んぼを抜け、山道を走り目的地の「横蔵寺」へと到着。車を降りると曇り空から、いきなり雨が降り出した。生臭いこと考えていたためだろう
か。
 山号は両界山。天台宗でご本尊は伝教大師作と伝わる薬師如来。雨に濡れる青紅葉に赤い橋が映えている。
横蔵 橋
参道入り口

横蔵山門
山門

多宝塔
多宝塔を見上げる

横蔵寺
本堂

横蔵観音堂
本堂の後ろに建つ観音堂。ここは西美濃観音霊場の一番札所でもある。

舎利堂
 舎利堂。妙心上人のミイラが安置されている。 上人は諸国遍歴や冨士での修行後に、38歳で山梨の御正体山で入定したという。村で祭られていたが、明治に山梨県庁預かりとなり、明治天皇が天覧。その時に故郷の谷汲に返すようにとのお言葉から、横蔵寺に祭られるようになったという。
 土中入定や入水往生、焚身供養など、修験道では一種の自殺といえる修行が存在する。この背景には、「涅槃経」や「法華経」などの経典に説かれる捨身供養、つまり自己犠牲行為により他者を救うという思想のほか、他者の犯した罪を自身が成り代わって咎を受けるという代受苦などがある。
 ただし、そのような行者の遺体をミイラ化し、礼拝するという行為は江戸後期から多く見られるようになったという。有名な湯殿山の即身仏もその例だが、一般に断食をして土に埋められ、ミイラ化したら掘り起こされると思われがちだが、大半は死後、人工的にミイラ化されたもので、ときには病死・老衰死した遺体をも加工したという。
 一種の猟奇的行為だが、この妙心上人は自然にミイラ化したものだという。眼前にある上人の姿を見ながら、何がそこまでの苦行に身を置くきっかけとなったのか、またそれを祭った村人はなにを思ったのか、そんな気持ちを抱きながら深々と礼拝した。
 ちなみに、上人が安置されている厨子は、すぐそこまで近寄ることができる。鴨居には上人の一代記が描かれた絵馬が奉納されていた。

横蔵本堂 横蔵観音
納経は墨書きは不可で、事前に紙に書かれたものを張るタイプだが、実をいうとこのスタイルの方が古式。もともとは経典を奉納した証明書を、自分で帳面状にまとめていたのが、時代が下がるにつれて白紙の帳面に朱印するようになったのだから(ちなみに横蔵寺本堂と観音堂の二枚一度に戴ける)。
 宝物館(瑠璃堂)に本尊の薬師如来が祭られている。周囲には十二神将が安置されている。また重要文化財の「板彫法華経曼荼羅」(平安期)もある。法華経曼荼羅といっても現在知られている日蓮宗系のものではなく、密教系のもの。 本尊厨子の横にある深沙大将像には、「西遊記の沙悟浄」と説明がなされていたが、厳密には沙悟浄のモデルであって同一ではない。

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裏日本観察学会会長
仏歴2518年(昭和50年)生誕

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