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津島神社(愛知県津島市) 平成19年3月19日

駐車場に車を止めて、南門から境内にはいると、東側に楼門があった。
てっきり社殿が南面していたので南門が正面だと思っていた。
社号:津島神社

楼門
周囲は工事中で、立ち寄れない摂末社が幾つかあった。
祭神は建速須佐之男命。大穴牟遲命を配祀する。津島牛頭天王と呼ばれ本地仏は薬師如来。牛頭天王は祇園精舎の守護神とされるが、元々は陰陽道での行疫神。
平安末期から御霊(怨霊)を鎮める神として祀られる。
弥五郎殿社楠正成に従い四条畷で戦死した堀田弥五郎が造営した社。
遠祖の武内宿禰を祀る。

後で知ったのだが、津島神社の社殿は尾張造と呼ばれる、この地独特の構造。

磐坐か磐境と思われる三石。
『尾張名所図会』にもこの位置で書かれているという。
居森社祭神は建速須佐之男命幸御魂。蘇民将来の子孫という老婆が、牛頭天王を初めこの森に祀ったという。
右側は疹社。建速須佐之男命和御魂を祀り麻疹・疱瘡にご利益がある。左は大日孁社。

津島神社納経朱印
甚目寺(愛知県甚目寺町) 平成19年3月19日

尾張四観音の一つ。
どの程度のお寺なのか、まったく前知識なしにお参りしたので、
正直その境内の広さに驚いた。
山号:鳳凰山
寺号:甚目寺(じもくじ)
宗派:真言宗智山派

境内は広々としているが、閑散とした雰囲気ではない。
お堂や木々が調和している雰囲気だ。
写真を撮っていたら、何かに驚いた鳩が一斉に飛びかかってきて、こっちが逆に驚かされた。

三重塔には愛染明王が祀られる。
お願いをするときは底の抜けた、お礼参りには底の付いたひしゃくを奉納するという。
本堂本尊は聖観世音菩薩。敏達天皇14年に物部氏によって海に捨てられた三尊仏の一つとされ、この地の漁師龍麿が拾い上げたものという。なお残り二体は善光寺の阿弥陀如来、太宰府安楽寺の勢至菩薩だという。
釈迦堂と八十八ヶ所霊場。釈迦堂には御尊様(おそそさま)という女神が祀られる。女性のアザや肌荒れにご利益があるそうだ。
甚目寺のすぐ隣、というか境内とほぼ地続きで漆部(ぬりべ)神社が建つ。祭神は三見宿称命。尾張氏祖の天火明命の子孫で漆部氏の祖。甚目寺鎮守の八大明神も合祀。明治までは甚目寺が神宮寺か別当だったのだろう。
塔頭の法花院。本堂は改築されたばかりのようだ。

塔頭の大徳院。本尊が左甚五郎作の恵比寿大黒天という珍しいお寺。
唐破風には大黒天を祀る寺院には、またしても珍しい因幡の白兎。厳密にいえば大黒天と大国主命は別の尊格で、音が共に「ダイコク」だから室町期ごろには同一視された。

甚目寺納経朱印
日泰寺(名古屋市千種区) 平成19年3月19日
各地の寺院に仏舎利が伝わるが、それは石英や水晶で見立てられたもの。そんな中、正真正銘の仏舎利。つまり釈尊の御真骨を祀る日本で唯一の寺が日泰寺。1898年にイギリス人によって発見された仏舎利が、インドからシャムへ寄贈。そして国王から各地の仏教国へ分与されたものの一つが奉安される。“なんちゃって仏教徒”、“信仰心薄き巡礼者”とはいえ、ぜひお参りしたい、いや、しなければならない寺だ。

山門
両脇には釈尊十大弟子のうち、阿難・迦葉両尊者が祀られる。
山号:覚王山
寺号:日泰寺
宗派:超宗派(19宗派によって維持)
境内はもの凄く広く、堂宇も伝統的建築様式ながらも、近代的な雰囲気がする。今までお参りしてきた寺院の雑然さと対照的に、整然としすぎていて、そのギャップに少しとまどいを感じる。
銅像のチュラーロンコーン王より仏舎利は分与された。
開山当時は日暹寺だったが、国名がシャムよりタイに改められた時に日泰寺と改称された。どちらにしても両国友好を祈る寺号だ。山号の覚王は広義では仏だが、ここでは釈尊を差す。
お参りに来ていた女の子が、足元の小さな象を見ながら、「ぞうさん」の歌を歌っていた。

本堂
本尊は釈迦如来。本尊はチュラーロンコーン王より、タイ語で釈迦牟尼仏と書かれた勅額は、プミポン・アドゥンヤデート王から下賜されたもの。

仏舎利は境内からやや離れた奉安塔に祀られる。
ガンダーラ様式の塔だというが、拝殿からは足元しか見えない。しかし、遠くより拝する方がいいのかもしれない。

日泰寺の周囲には八十八ヶ所霊場や大小さまざまなお堂が並んでいる。21日は弘法市が並んで賑わうという。
近代的な日泰寺の雰囲気に対して、非対称的なこれらのお堂は、泥臭い、前近代的ともいえる信仰かもしれない。しかし、大乗仏教もインドで釈尊の遺骨を祀るストゥーパ(卒塔婆)の周囲に、在家信者たちが集ったことによるのだから、この姿は自然といえば自然かもしれない。

日泰寺納経朱印

山門
両脇には釈尊十大弟子のうち、阿難・迦葉両尊者が祀られる。
山号:覚王山
寺号:日泰寺
宗派:超宗派(19宗派によって維持)
境内はもの凄く広く、堂宇も伝統的建築様式ながらも、近代的な雰囲気がする。今までお参りしてきた寺院の雑然さと対照的に、整然としすぎていて、そのギャップに少しとまどいを感じる。
銅像のチュラーロンコーン王より仏舎利は分与された。開山当時は日暹寺だったが、国名がシャムよりタイに改められた時に日泰寺と改称された。どちらにしても両国友好を祈る寺号だ。山号の覚王は広義では仏だが、ここでは釈尊を差す。
お参りに来ていた女の子が、足元の小さな象を見ながら、「ぞうさん」の歌を歌っていた。

本堂本尊は釈迦如来。本尊はチュラーロンコーン王より、タイ語で釈迦牟尼仏と書かれた勅額は、プミポン・アドゥンヤデート王から下賜されたもの。

仏舎利は境内からやや離れた奉安塔に祀られる。ガンダーラ様式の塔だというが、拝殿からは足元しか見えない。しかし、遠くより拝する方がいいのかもしれない。

日泰寺の周囲には八十八ヶ所霊場や大小さまざまなお堂が並んでいる。21日は弘法市が並んで賑わうという。近代的な日泰寺の雰囲気に対して、非対称的なこれらのお堂は、泥臭い、前近代的ともいえる信仰かもしれない。しかし、大乗仏教もインドで釈尊の遺骨を祀るストゥーパ(卒塔婆)の周囲に、在家信者たちが集ったことによるのだから、この姿は自然といえば自然かもしれない。

日泰寺納経朱印
笠寺(名古屋市南区) 平成19年3月19日
朝、目を覚ますとさわやかな晴れで、昨日のような風もない。朝食はパンやスープ、ドリンク類などの簡単なバイキング形式。バナナのマフィンがうまい。このホテルは宿泊費の割に綺麗な内装とスパ設備などもそろっていて、なかなかポイントが高い。
チャックアウトを済ませ笠寺へと向かう。山本正之の歌『名古屋はええよ!やっとかめ』の一節に「道が広いがね」とあるが、本当に道路網が整備されていて、京都とは大違いだ。渋滞情報を聞いて「じゃあそこは避けて通らないと」と思っていたら、何のことはない、すでにその区間を走っていた。つまり京都基準の渋滞と名古屋基準が違っていたぐらいだった。
笠寺は尾張四観音(笠寺、甚目寺、龍泉寺、荒子観音)の一つ。商店街を抜け市内環状線を渡った突き当たりに建つ。
ただし、そこは西門側でなので車を駐車場に置き、南側の山門へと向かう。門の前には小さな池があった。
山号:天林山
寺号:笠覆寺(りゅうふくじ)
宗派:真言宗智山派
本堂
本尊は十一面観音。
寺号にふさわしく、幔幕には笠が染め抜かれている。
玉照姫と藤原兼平を祀る玉照堂。
笠寺の由来は、元は小松寺と名乗っていたが興廃し、本尊も雨ざらしとなっていた。そこで、気の毒に思ったある娘が観音像に笠を被せた。その娘は後に藤原兼平に見初められ入洛。玉照姫と呼ばれ、寺を復興し笠覆寺と名付けたという。
笠地蔵を思わせる霊験譚だ。

地蔵堂の六地蔵
六角形の石塔に地蔵菩薩が浮彫されている。

多宝塔
本尊は阿弥陀如来。
笠寺の周囲には塔頭寺院が数ヶ寺建っている。
山門側の塔頭、泉増院にも玉照姫堂(写真左側)があり、近々開帳をするようだ。右側は大日如来を祀る本堂。
西門側の塔頭の西方院。
道路に面して烏瑟沙摩(うすさま)明王を祀る
明王堂が建つ。

笠覆寺納経朱印
チャックアウトを済ませ笠寺へと向かう。山本正之の歌『名古屋はええよ!やっとかめ』の一節に「道が広いがね」とあるが、本当に道路網が整備されていて、京都とは大違いだ。渋滞情報を聞いて「じゃあそこは避けて通らないと」と思っていたら、何のことはない、すでにその区間を走っていた。つまり京都基準の渋滞と名古屋基準が違っていたぐらいだった。
笠寺は尾張四観音(笠寺、甚目寺、龍泉寺、荒子観音)の一つ。商店街を抜け市内環状線を渡った突き当たりに建つ。ただし、そこは西門側でなので車を駐車場に置き、南側の山門へと向かう。門の前には小さな池があった。
山号:天林山
寺号:笠覆寺(りゅうふくじ)
宗派:真言宗智山派
本堂本尊は十一面観音。
寺号にふさわしく、幔幕には笠が染め抜かれている。
玉照姫と藤原兼平を祀る玉照堂。笠寺の由来は、元は小松寺と名乗っていたが興廃し、本尊も雨ざらしとなっていた。そこで、気の毒に思ったある娘が観音像に笠を被せた。その娘は後に藤原兼平に見初められ入洛。玉照姫と呼ばれ、寺を復興し笠覆寺と名付けたという。
笠地蔵を思わせる霊験譚だ。

地蔵堂の六地蔵
六角形の石塔に地蔵菩薩が浮彫されている。

多宝塔
本尊は阿弥陀如来。
笠寺の周囲には塔頭寺院が数ヶ寺建っている。山門側の塔頭、泉増院にも玉照姫堂(写真左側)があり、近々開帳をするようだ。右側は大日如来を祀る本堂。
西門側の塔頭の西方院。道路に面して烏瑟沙摩(うすさま)明王を祀る
明王堂が建つ。

笠覆寺納経朱印



