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法界寺(京都市伏見区) 平成19年3月24日

醍醐寺からは南に下がった静かな住宅地に法界寺は建つ。
元は日野氏の氏寺で、通称は「日野薬師」。
日野出身の親鸞や富子ともゆかりの深い寺。
山号:東光山
寺号:法界寺
宗派:真言宗醍醐派
国宝:阿弥陀堂七間四方の巨大なお堂で、中には国宝の阿弥陀如来が祀られる。天井には飛天が、柱には金剛界曼荼羅の諸尊が描かれ、往時の人はさながら極楽浄土をイメージしたのだろう。
丈六の阿弥陀像の周囲を回りながら、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」と念仏を唱える。

重文:本堂(薬師堂)
阿弥陀堂に対して本堂の方が少し小さい。
本尊は薬師如来。伝教大師作と伝えられ、日野資業が当所に安置したのが法界寺の始まりという。

日野薬師は乳薬師ともいわれる。
内陣と外陣を区切る格子には、安産や子供の健康を祈る
大量のよだれ掛けが奉納され、内陣の様子は分からないほどだ。
境内の様子観光コースとは大きく外れた場所だが、
親鸞聖人ゆかりの地とあって
浄土真宗の門徒さんのお参りがある。

法界寺(阿弥陀堂・薬師堂)納経朱印

近くに本願寺別堂日野誕生院が建つ。
文化年間に西本願寺が親鸞生誕の地を顕彰するため、
法界寺より境内地を譲り受けて建立した。
院号:誕生院
宗派:浄土真宗本願寺派

本堂は昭和6年に建てられたもの。真宗寺院に珍しく回廊造り。本尊は阿弥陀如来。両脇に親鸞聖人童形図と父親の日野有範像を安置する。


門前の誕生院保育園の一角に、親鸞聖人のえな塚と産湯井戸がある。法界寺からはちょうど裏手の場所。
えな塚は土饅頭に石を置いただけの簡単なもの。えなとは出産時に排出された胎盤・卵膜などのこと
醍醐寺三宝院(京都市伏見区) 平成19年3月24日
醍醐寺・下醍醐(京都市伏見区) 平成19年3月24日
上醍醐の参詣も無事に終えて、今度は下醍醐をお参りする。仁王門は工事中で全体がシートで覆われていた。さて、醍醐寺といえば豊臣秀吉の花見で知られるように桜の名所。境内のいたるところには、ぼんぼりが飾られ花見の準備中。まだまだ花見を楽しむには早いが、それでも枝垂桜など、一部は開花していた。
山号:深雪山
寺号:醍醐寺
宗派:真言宗醍醐派(総本山)

重文:清滝宮本殿

国宝:五重塔
醍醐天皇の追善のため建立された塔で、
現存では京都最古。
雨空のため綺麗に写真が撮れなかった。

祖師堂
弘法大師と理源大師を祀る。
真如三昧堂真如苑が建立したお堂で、大日如来と涅槃釈迦如来を祀る。
真如苑教祖の伊藤真乗は、醍醐寺で修行した経歴があるため関係が深い。
不動堂五大明王を祀る。有名な「五大力さん」こと仁王会(にんのうえ)は
ここで行われる。
国宝:金堂醍醐天皇建立の釈迦堂を、
秀吉が移築・再建したもので和様建築。
本尊は薬師如来、脇侍は日光菩薩・月光菩薩。

醍醐寺(金堂)納経朱印
醍醐寺・上醍醐(京都市伏見区) 平成19年3月24日
大学時代から長年かけて巡ってきた西国三十三観音霊場も、いよいよ最後の札所の醍醐寺。京都に移り住んで何年も経つのですが、なぜか醍醐寺へはお参りしてこなかった。市内だと「いつでも行ける」という感覚があったのかもしれないが、同時に「最後はいつまでも残していたい」という感情も同居していたのかもしれない。
醍醐寺の伽藍は笠取山の麓(下醍醐)と山上(上醍醐)に分けられるが、第11番札所准胝堂は上醍醐に建つ。ここへは小一時間ほど山道を登っていくしか交通手段はないので、ハイキング気分半分で打ち納めの参拝とする。
上醍醐への表参道。
醍醐寺は当山派修験の本山でもあるので、山岳信仰の霊場らしく入り口には鳥居が立っている。“寺院に鳥居”というと奇異に感じるが、山岳信仰の霊場では多くその例が見える。これは楼閣建築の門が作られる以前の、原始的な聖俗を区切る門の名残が、鳥居として残ったのだろう。
山号:深雪山
寺号:醍醐寺
宗派:真言宗醍醐派(総本山)
女人堂。
かつて上醍醐は女人禁制だったので、
ここで女性は山上を遙拝した。

上醍醐への山道

不動の滝
ここには小さな休憩所が設けられている。

音羽魔王大権現の祠
かつてここに「天狗杉」という杉があったが、枯れてしまったのでその跡に天狗を祀る祠を築いたという。


さらに山道は続く。
国宝:清滝宮拝殿
醍醐寺の鎮守社の拝殿で懸造構造。祭神の清滝大権現は弘法大師が学んだ青龍寺の守護神という竜女。本地仏は准胝観音・如意輪観音とされる。
醍醐水
醍醐寺開山の聖宝(諡号:理源大師)が地主神より湧水を与えられ、醍醐水と名付けたという。醍醐とはバターのような乳製品で最上の味を意味し、そこから仏法の、特にここでは密教の教えを差している。
残念ながら醍醐水は渇水のため飲むことはできなかった。
開山縁起や清滝大権現への信仰からみても、ここは古代水神信仰の山だったのだろう。東山沿いの西国霊場には清水寺・今熊野観音寺(泉涌寺塔頭)のように、水にかかわる札所が並ぶ。水の持つ潤いの力に観音菩薩の慈悲を重ねたのだろうか。

准胝堂(西国第11番札所)
本尊は准胝観世音菩薩。観音の一つとされるが、正しくは准胝仏母と呼び、仏を生み出す智慧そのものを尊格とした。
打ち納めということもあり、何やら感慨深く参拝。読経を終えてお堂からですと雨が降り出してきた。お釈迦様が生誕された時、竜王が甘露の雨を降らせたのだから、この雨も西国巡礼を終えたことを賛嘆して、仏天が降らせた雨だろうと勝手に解釈した。

国宝:薬師堂
上醍醐では最古の建築で、保安2年(1121)の建物
五大堂
本尊は不動尊・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王の五大尊。堂前には柴燈護摩壇が設けられている。
堂内は護国経典の一つ『仁王般若波羅蜜多経』の教えに基づいて、諸尊が祀られる。

重文:如意輪堂

重文:開山堂
開山の理源大師と初代座主観賢僧正を祀る。理源大師は大峯の奥掛けを再興させたので、真言宗系の修験道では特に崇拝される。

上醍醐陵
白河天皇皇后はか二皇女の陵墓。

上醍醐からの眺め

山上への道には、金剛界曼荼羅三十七尊の梵字と尊名が刻まれた丁石が立っている。また常夜灯にも丁石同様に三十七尊が記されていた。


上醍醐寺(准胝堂・五大堂)納経朱印
醍醐寺の伽藍は笠取山の麓(下醍醐)と山上(上醍醐)に分けられるが、第11番札所准胝堂は上醍醐に建つ。ここへは小一時間ほど山道を登っていくしか交通手段はないので、ハイキング気分半分で打ち納めの参拝とする。
上醍醐への表参道。醍醐寺は当山派修験の本山でもあるので、山岳信仰の霊場らしく入り口には鳥居が立っている。“寺院に鳥居”というと奇異に感じるが、山岳信仰の霊場では多くその例が見える。これは楼閣建築の門が作られる以前の、原始的な聖俗を区切る門の名残が、鳥居として残ったのだろう。
山号:深雪山
寺号:醍醐寺
宗派:真言宗醍醐派(総本山)
女人堂。かつて上醍醐は女人禁制だったので、
ここで女性は山上を遙拝した。

上醍醐への山道

不動の滝
ここには小さな休憩所が設けられている。

音羽魔王大権現の祠
かつてここに「天狗杉」という杉があったが、枯れてしまったのでその跡に天狗を祀る祠を築いたという。


さらに山道は続く。
国宝:清滝宮拝殿醍醐寺の鎮守社の拝殿で懸造構造。祭神の清滝大権現は弘法大師が学んだ青龍寺の守護神という竜女。本地仏は准胝観音・如意輪観音とされる。
醍醐水醍醐寺開山の聖宝(諡号:理源大師)が地主神より湧水を与えられ、醍醐水と名付けたという。醍醐とはバターのような乳製品で最上の味を意味し、そこから仏法の、特にここでは密教の教えを差している。
残念ながら醍醐水は渇水のため飲むことはできなかった。
開山縁起や清滝大権現への信仰からみても、ここは古代水神信仰の山だったのだろう。東山沿いの西国霊場には清水寺・今熊野観音寺(泉涌寺塔頭)のように、水にかかわる札所が並ぶ。水の持つ潤いの力に観音菩薩の慈悲を重ねたのだろうか。

准胝堂(西国第11番札所)本尊は准胝観世音菩薩。観音の一つとされるが、正しくは准胝仏母と呼び、仏を生み出す智慧そのものを尊格とした。
打ち納めということもあり、何やら感慨深く参拝。読経を終えてお堂からですと雨が降り出してきた。お釈迦様が生誕された時、竜王が甘露の雨を降らせたのだから、この雨も西国巡礼を終えたことを賛嘆して、仏天が降らせた雨だろうと勝手に解釈した。

国宝:薬師堂
上醍醐では最古の建築で、保安2年(1121)の建物
五大堂本尊は不動尊・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王の五大尊。堂前には柴燈護摩壇が設けられている。
堂内は護国経典の一つ『仁王般若波羅蜜多経』の教えに基づいて、諸尊が祀られる。

重文:如意輪堂

重文:開山堂開山の理源大師と初代座主観賢僧正を祀る。理源大師は大峯の奥掛けを再興させたので、真言宗系の修験道では特に崇拝される。

上醍醐陵
白河天皇皇后はか二皇女の陵墓。

上醍醐からの眺め

山上への道には、金剛界曼荼羅三十七尊の梵字と尊名が刻まれた丁石が立っている。また常夜灯にも丁石同様に三十七尊が記されていた。

上醍醐寺(准胝堂・五大堂)納経朱印







