裏日本観察学会・突撃巡礼隊

各地の寺院や神社、霊場の参詣記、納経帳(御朱印)の記録を中心に、面白スポットや街角で見たものなども紹介します。 ※写真(サムネイル)はクリックすると拡大します。

2007-06

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長浜御坊(滋賀県長浜市) 平成19年6月30日

無礙智山大通寺(長浜御坊)・真宗大谷派
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長浜御坊は東本願寺の別院で、大通寺という。寺の近くは古い町並みを模した商店街になっていて、長浜ガラスや曳山資料館などが建ち、観光客もかなりいる。そんな門前の仲見世をすぎると、巨大な山門が出迎えてくれる。

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本尊は阿弥陀如来。本堂は元伏見城の殿舎であった東本願寺御影堂を、当地に移築してきたもの。

20070630201537.jpg書院は伏見城の威光を移してきたものが多くある。井伊家より住職内室に入ってきているので、大広間や書院などは桃山建築らしく豪華なもの。
しかし、それ以外の部屋などは壁や襖絵の剥落がかなり目立つ。維持修復はかなり大変なのだろう。

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 境内一角にあった戦没者慰霊塔と、仲見世の様子。
商店街などは古い町並みの様子を残しているようだが、観光客相手の店ばかりだったので、特に写真は撮らなかった。この後に須賀谷温泉で一休みして帰路について。

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長浜御坊納経朱印

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渡岸寺観音堂(滋賀県高月町) 平成19年6月30日

 国宝として名高い十一面観音を拝みに、高月町まで突撃巡礼に向かった。高月町は「観音の里」と観光PRしているが、ここに限らず湖北地域一帯は優れた観音像を有する寺社が多数ある。しかし、あまりあれこれと足を伸ばしすぎて慌ただしくなるよりも、場所を絞ってゆっくりする方に今回は決めた。

慈雲山向源寺(渡岸寺観音堂)・真宗大谷派
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仁王門に安置される金剛力士は平安期のもので、仁王像としては全国でもかなり早い時期のものという。

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 本堂。本尊は阿弥陀如来。国宝の十一面観音は本堂隣の収蔵庫に安置されている。観音堂を維持する向源寺(こうげんじ)住職が案内をしてくれた。もともと天台宗が勢力を持っていたが、浄土真宗の隆盛により湖北一帯の寺院は真宗が占めるようになったという。ここもそうした例で、天台宗光眼寺を浄土真宗に転宗して名を改めたという。観音などの仏像は天台宗時代のものだが、織田信長の浅井攻めによる兵火から守るために土中に埋めたという。境内にはその跡が今も残っていた。弥陀一仏の信仰が真宗の特徴だが、にもかかわらず「わが里の仏」という意識があってのことだろうと説明された。
 その後は向源寺に安置していたが、明治期に仏像の海外流出を見て、正式な什物とするよう東本願寺に届けたが、阿弥陀以外を祀ることは真宗の教義に反するとしてなかなか許可が下りず、岡倉天心やフェノロサなどの協力を得て、本堂から離れた飛び地境内に安置するならとして、やっと認められたという。その際にせめて寺らしくと、集落の名「渡岸寺」を取って渡岸寺観音堂と名付けたという。
 収蔵庫内には国宝の十一面観音立像のほかに、重文の大日如来などが安置されている。読経念誦を終えると住職いわく「真宗の宗義から普段は勤行を遠慮させてもらっているのです」とのこと。弥陀一仏というのもなかなか難しいものだと思う。しかし、その後「真宗の教えでは弥陀一仏ですが、観音を守った当時の門徒の心。真宗を熱く信仰しながらも、他の神仏も大切にする心も理解できます」と語られた。

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本堂から少し離れた場所に向源寺が建つ。渡岸寺観音堂とは対照的に、真宗寺院らしい簡素な境内。
 観音堂の近くには「観音の里歴史民俗資料館」が建つ。中には町内の観音像などの仏像をはじめ、民俗・歴史資料が展示されている。優れた仏像が展示されているが、ただし礼拝する気にはならない。先の渡岸寺観音堂の十一面観音は安置されている場所が収蔵庫とはいえ、宝前には三具足が置かれるなど、れっきとした観音堂だった。ここが信仰の対象としての仏像と、美術品・文化財としての仏像の差だろう。堂内の荘厳は信仰心を喚起させるための舞台装置かもしれない。

20070630200638.jpg観音堂前を流れる川にケヤキの大木があり、注連縄が張られていた。これは「野神さま」という風習で、集落の入口にある大木に野の神を祀って安全を祈るものだという。
ちなみにケヤキの古名は「槻(つき)」。ここ大月町はもともとケヤキが多く生えていたので、高槻といわれたという。それが槻からの発想か、大江匡房が「月」の歌を詠んだことで月の名所となり、「高月」になったという。

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渡岸寺観音堂納経朱印

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勝山の町並み(岡山県真庭市) 平成19年6月17日

20070624161451.jpg町並み保存地区は、旭川沿いの通りを南北に伸びている。いかにも観光客相手という雰囲気ではなく静かな様子。道の東側には用水路が流れている。
どこの家にも軒には菖蒲と蓬が置かれていた。しかし、これが北に進むにつれて見られなくなる。同じ町内でも地区が変われば風習が変わるのだろうか。

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 ある商家を見ると「電話貳0番」の表札が掛けられていた。今どきこんな電話番号はないだろうから、物珍しさも手伝って撮影した。

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古めかしい呉服屋の看板が掲げられている。

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南側を振り返ると、観光用の人力車が走っていた。

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家々には小粋なのれんが下がっていて、それが町みの雰囲気と調和している。

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造り酒屋「御前酒」の酒蔵。
海鼠壁の外装に、窓の部分には鏝絵で竜や獅子、虎などが描かれている。売店もあるので5号瓶を一本購入。「聞き酒もできますよ」と勧められ、おいしそうだったが車なので辞退した。あぁ運転手がほしい。

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旭川対岸から眺めた酒蔵。

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川沿い南側の町並み。
かつては高瀬舟が往来し、材木などを岡山に運んでいたそうだ。当時は水量ももっとあったのだろう。河原にはその名残か、石組みの船乗り場がある。
川では釣り人が鮎を狙っているようだ。


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化生寺・玉雲宮(岡山県真庭市) 平成19年6月17日

 ホテルでチェックアウトを済ませた後に、砂湯で朝風呂。涼しい川風が吹き抜けいつまでも入ることができる。家族連れで砂湯に入るのは、ほとんどがお父さんと子供ばかりで、お母さんは遠巻きに眺めているだけだが、たまに持参したバスローブを着て入ってくる人もいる。夫婦そろって温泉好きで、混浴慣れしているのだろうか。
 砂湯から上がり、車を走らせて再び真賀温泉へ立ち寄る。幕湯には自分を含めて4人入浴していて混雑しているのだが、それでも温泉談義が進み、1時間近く長湯した。京都市近辺は巨大な温泉施設はあっても循環湯ばかりで、小さくてもゆっくりできる良質な温泉があまりない。もっと近くにこのような場所があればいいのにな。

 今日の予定は勝山町の散策。三浦家2万3千石の城下町で古い町並みも保存されている。去年、湯原から落合に向かう途中に旭川沿いに並ぶ町並みが興味をそそったが、時間の都合で寄り道できなかった。今回はそのリベンジと、もう一つ妖怪研究家としてぜひに立ち寄りたい場所があるからだ。それは化生寺(かせいじ)。変わった寺号だが、それはあの三国を荒らした金毛九尾狐の伝説に基づく。

玉雲山化生寺・曹洞宗
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化生寺は町並み保存地区から少し外れた、旧出雲街道沿いに玉雲宮と並んで建つ。
本尊は十一面観音。禅宗寺院らしく簡素な造りの本堂。開山は源翁心昭で、殺生石を調伏したとの伝説を持つ。

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 那須野で討伐された九尾狐は死後、殺生石となって毒気を振りまいた。そこで200年後に源翁和尚がそれを封じるため、偈文を唱え金槌でたたき割った。その破片は越前・美作・豊後、それぞれの高田に飛来したという。美作高田がこの勝山であり、飛来した殺生石を玉雲大権現として祀ったのが化生寺だという。また金槌を「げんのう(玄翁)」と呼ぶのはこの話が由来だとの俗説も生まれた。
 本堂前には殺生石の塚がある。柵の内部には石が置かれているが、この石の地中深くに殺生石が封じられているという。名前は物騒だが、塚それ自体には、さほど陰鬱な雰囲気はない。さしもの九尾狐も鎮守としてすっかり昇華されたようだ。

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玉雲宮と化生寺は境内が続いているが、いったん山門を出てそれから正面鳥居を通って参拝する。

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随神門
内部には狐像が配置されている。

20070624144308.jpg祭神は玉雲大権現。
拝殿内部には奉納提灯がたくさんぶら下がっていた。初めここに来るまでは神仏分離で鎮守社と寺院が分けられたと思ったが、本堂と拝殿は回廊でつながっているなど、どうやら化生寺が今も維持しているようだ。

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本殿
周囲には弘法大師堂や三十三観音堂なども建っている。

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拝殿に掲げられていた算額絵馬。
円の何を求めているのだろうか?

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未生御流の花態絵馬。
葉蘭の株分け、柳に水仙の株分け、置き釣瓶、菊の留流し、桜散る景色、紅葉散る景色などの生花(せいか)が描かれていた。


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化生寺の周辺は寺町のようで、大きな寺院が並んで建っている。
日蓮宗妙円寺は、本堂が楼閣風でひときわ目立っている。

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本堂鴨居の上部には彩色された羅漢像がほどこされていた。

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浄土宗安養寺は、三浦家の菩提寺。
ここの3ヶ寺の中で山門(楼門)が一番大きい。




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湯原温泉(岡山県真庭市) 平成19年6月16日

20070623114711.jpg湯原温泉は去年、何の前知識無く泊まって、砂湯の雄大さに感動した。そこで今年ものんびりするため再訪。
露天風呂の砂湯は、ダムのすぐ近くにある河原にある。湯船には玉砂利が敷き詰められ、底からポコポコと源泉が沸く。湯船は3つに分かれていて、一番下の湯がややぬるめ。天気も良く川風も吹き抜けてくるので、ゆっくりと入ることができる。
 砂湯は水着厳禁のため入浴しているの男性ばかりで、女性は遠巻きに眺めているばかり。まあ当たり前だろう。しかし、ホテルで夕食を終えて、また入りにいくと若い女性の声もちらほら。もっとも辺りは暗いからほとんど見えないにもかかわらず、男性の視線は女性の声の方に向かっているのが笑えた。
 その後、ホテルに戻り寝ころびながら読書。集英社新書『中華文人食物語』(南条竹則)を読んでいたら、郷緑温泉のすっぽんのことが書かれていた。冬、温泉宿でこたつに入りながらまる鍋を食べる… 次回はここに行くぞと思いつつ、寝る前にもう一度砂湯へ。この日は砂湯へ合計5時間以上も入ったことになる。

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 温泉守護の薬師如来を祀る薬師堂。堂前には飲泉場があり、温泉にしてはやわらかく、飲みやすい味。温泉街には土産の独楽工房もあった。

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古屋不動滝(岡山県真庭市) 平成19年6月16日

 ホテルのチャックインまで、しばらく時間があるので温泉街の外れにある、古屋不動滝へと足を延ばした。狭い農道からさらに山道を走る。

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 滝は上下に分かれていて、上段の滝に成田山より勧請された不動尊が祀られる。この不動尊の由来として、案内板には次のような伝説が記されていた。

昔、蔵之介という人がこの山に猟に来た。日の暮れた帰りの山道で子供を背負った女に出会った。さては夜道に妖怪かも、と思った蔵之介は、この女に向けて鉄砲を放った。翌日村人達が行ってみると、胴が斗樽程もある大蛇が撃ち殺されていた。この事があって以来、この深山からアカテヌグイ、コテヌグイ、ヨゴローヤンなどという妖怪が出て来て、村人に災いを及ぼし出した。困った村人達は妖怪を封じるために成田不動様を勧請してこの滝に祀った。その霊験によって妖怪は現れなくなったという。これが古屋不動滝の由来である。近くに蔵之介、アカテヌグイ、コテヌグイなど不動滝由来の地名が残っている。

東屋には「アカテヌグイ」「コテヌグイ」とおぼしき手ぬぐいをかぶった赤子の妖怪が描かれた絵馬が奉納されていた。

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真賀温泉(岡山県真庭市) 平成16年6月16日

 湯原に行く途中にある、真賀温泉は湯治場の雰囲気を色濃く残し、また湯の質も大変良いというので目的地の一つとしていた。
 旭川沿いに車を進めると、山肌に数件の旅館や民家の建つ集落が見えてきた。

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「真賀温泉」と書かれたアーチをくぐり抜け、階段をしばらく上ると真賀温泉舘が建っている。なんとなくつげ義春の『ねじ式』にある「もとの村」を思わせるようだ。


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 山肌にへばりつくように建つ浴場は、ますますつげ義春風で、なんだかうれしくなる。
浴場の入口近くには温泉守護と思われる薬師堂が建っていたので、まずお参り。堂内には薬師如来と不動尊・弘法大師が祀られていた。

 さて、温泉にはいると通常より少し高い、「幕湯」という浴場がある。かつて藩主が幕を張って入浴したことに由来するという。源泉が湧いている場所なのでここに入浴。浴室は岩風呂だが大変狭く、先客のおじさんが1人入っていた。脱衣所の戸を閉めようと、「風が入って涼しいから、少し開けといてください」と言われた。
 浴槽には竹筒が一本立っていて、そこから湯がこんこんと湧き出てくる。温度は大変ぬるく、先客のおじさんはもう1時間半以上も入っているとのこと。わざわざこんなひなびた所に来る人だから、当然に温泉好き。そこから温泉談義が始まり、どこの湯が良かった。あそこは悪かったと話を続けているうちに、気が付けば1時間以上もたっていた。
 お陰で耳よりな情報も仕入れ、その人いわく、「先に入っていた夫婦(幕湯は混浴)のから聞いた話だが、この近くにある郷緑温泉はすっぽん料理が、それも一匹フルコースが付いて1泊1万円!」とのこと。これはいいことを聞いた。今度はそこに泊まることにしよう。

 風呂から上がって川を眺めながら一休み。絶えず川風が吹き込んできて気持ち良く、そこで風鈴が「チリ~ン」と鳴って本当にのどかな気持ちになった。

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神庭の滝(岡山県真庭市) 平成19年6月16日

 日光突撃巡礼隊が連日の雨のため、なんだかいまいちだった。そこで今週末は晴れると聞いて、あちこち動き回らずに、のんびりと温泉に入りたくなり美作三湯の一つ、湯原温泉に行くことにした。去年、吉備や美作の寺社を突撃巡礼した際に、なんの前知識なく湯原に立ち寄って、大変気持ち良かったからだ。

 特にうろつく予定もなかったので、いつもよりもゆっくりめに出発することにした。それでも12時過ぎには真庭市に到着したので、直接湯原を目指さずに久世ICで下り、神庭の滝へと向かった。


勝山町から旭川沿いに湯原を目指して進む途中に、神庭の滝へ伸びる道がある。そこを進むと公園入口の駐車場へ到着。そこから渓谷沿いにしばらく遊歩道を歩くと、木々の間から滝が姿を見せた。

途中、オオサンショウウオがすむ池があり、のぞきこむと60~70cmほどの体長で底にジッと潜んでいる。夜行性だから昼間は動かないようだ。

20070622183710.jpg滝の近くまで来たが、滝壺への道は落石の
危険があるためか通行止め。
落差110mとその巨大な姿をもっと眼前で見たかった。

20070622183722.jpg遊歩道の途中にも小さな滝がある。玉垂の滝は岩に付く苔の間から雫がまるで、カーテンのように絶えず垂れていた。
見た目では分からないが、山の岩肌から水が流れているのだろうか?

また川にはカジカガエルが生息しているようで、
絶えず高く澄んだきれいな鳴き声がして、涼しさがより増してくるようだ。

20070622183729.jpg公園内には野生の猿もいるようだが、この日は山奥に入っているようだ。
時折、公園職員が高く、そして遠くまで響くような声を挙げていたが、猿を呼んでいるのだろうか?

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天王寺(東京都台東区谷中) 平成19年6月11日

 山手線鶯谷で降りて天王寺へ向かう。目黒不動、湯島天神と並んで江戸の三富の一つの場所となった寺。しかも幸田露伴の『五重塔』の舞台でもある。だからさぞや立派な寺だろうと想像して行った。

護国山天王寺・天台宗
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 創建当時は感応寺という日蓮宗寺院だったが、江戸期に天台宗に改宗。名も天王寺と改める。本尊は毘沙門天。新造の本堂近くには、日蓮宗時代に造立された大仏(釈迦如来)が安置される。
 江戸でも有数の境内域を誇っていたというが、大半が明治に国に上地され、谷中霊園になったという。そのため、拍子抜けするほどの小さなお寺だった。

20070613121442.jpg毘沙門天堂
谷中七福神巡りの一つという。
参拝していると急に雨が降り出したので、山門で雨宿り。そこには初老の先客が2人いた。谷中の史跡巡りをされているようで、古図や年表を取り出しては、付近の歴史や伝承を語ってくれた。

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『五重塔』のモデルとなった寛政再建の五重塔。唱和34年に無理心中による放火で焼失。谷中霊園の交番近くの公園に、礎石の跡のみが残っている。


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とげぬき地蔵(東京都豊島区巣鴨) 平成19年6月11日

萬頂山高岩寺(とげぬき地蔵)・曹洞宗
20070613121313.jpg巣鴨に来るのも10年ぶり以上になる。「おばあちゃんの原宿」らしく、右を見ても左も見てもおばあさんばかり。男は年を取ると出不精になるようだ。

20070613121320.jpg本尊は地蔵菩薩。
針を飲み込んだ女中がここの御影札を飲むと、ぶじに針を吐き出すことができたところから「とげぬき地蔵」の愛称がある。正しくは高岩寺。
京都にも同様の伝承を持つ「釘抜き地蔵」がある。

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行列をなす洗い観音。意外にも外国人観光客が多く目に付くが、どのようにガイドは説明しているのだろう。

20070613121305.jpg参拝者でにぎわう商店街。
お菓子屋で塩豆大福を食べる。店内に入って気が付いたが、
10年前もこの店に立ち寄っていた。

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とげぬき地蔵納経朱印

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水天宮(東京都中央区) 平成19年6月11日

 日光での雨はうそのようで、すっかりいい天気。チェックアウトを済ませて隅田川周辺を散策。その後、地下鉄に乗って人形町へと向かう。どうも不案内なせいか東京の地下鉄は分かりにくい。都営浅草線に乗れば一本で行けたのに、間違えて東京メトロに乗ってしまい、回り道になった。

水天宮
20070613121153.jpg祭神は天御中主神・安徳天皇・二位の尼・建礼門院。
「人形町の水天宮」は有馬氏が江戸屋敷に、久留米の水天宮を勧請したもの。その屋敷神が流行し毎月5日に限って庶民の参拝を許したから、「情けありまの水天宮」という地口が生まれたという。

20070613121201.jpg安産守護の犬の銅像。
安産や子育ての神社として名高いだけに宮参りに訪れる人が目に付く。社務所では巫女さんが腹帯に神印を押していた。

20070613121208.jpg子育河童
水天宮の眷属は河童ともされる。
九州には、支那から渡来し球磨川に住んでいた九千坊という河童が、加藤清正の小姓を殺したために討伐を受け、有馬氏の許しを得て筑後川に移り住み水天宮の眷属になったとの伝説がある。

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水天宮納経朱印

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浅草寺(東京都台東区浅草) 平成19年6月10日

 日光から浅草に着いたのは3時半ごろ。時間も十分あるので、久しぶりに浅草寺へお参りする。「観音さま」へは10年ぶりになるだろうか。相変わらず大賑わいだが、中国や韓国からの観光客が多いような気がする。外国人からしても江戸をイメージするのは、やっぱり浅草なのだろうか。

金龍山浅草寺・聖観音宗(総本山)
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雷門
左右に風神雷神が安置されるから、正式には風雷神門。

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参道仲見世の途中には、
浅草寺本坊の伝法院が建っている。

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本堂
本尊は聖観世音菩薩。秘仏だが大きさは一寸八分と伝えられる。この大きさの由来はおそらく観音の縁日の18日からだろう。
板東三十三所の13番札所。

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淡島堂
紀州加太から勧請された淡島明神を祀る。
本地仏は虚空蔵菩薩とあった。

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池の周囲には、小さな地蔵堂や祠などが多く並ぶ。
 いろいろと廻っていると、ワンカップ片手のおっちゃんがなぜか話し掛けてきた。
「若いのに信心深いなぁ、にいさんは映画好きかあ? ワシは昨日、オールナイトの映画館で寝ようとしたけど、その映画が面白くて眠れなんだ…」
 あれこれと世間話を20分ほどするとおっちゃんは、コックリ、コックリといつの間にかうたた寝をはじめた。そこで別れを告げると「話できて面白かった、またな」と返事。
 しかし参拝者が多いにもかかわらず、なぜピンポイントで使命を受けたのだろう。

20070613120926.jpg本堂右側には浅草神社。かつては浅草寺の境内鎮守だったが、神仏分離で分けられた。
祭神は土師真中知命・桧前浜成命・桧前竹成命。本地仏は阿弥陀三尊。浜成、竹成は観音像を拾い上げた漁師、真中知は観音を祀ったとされ、三社権現と称される。
 海から仏像を拾うというのは、海の彼方から依り来る神(えびす神)の信仰が根底にあるのだろう。江戸っ子の寺のイメージある浅草寺だが、古代海洋信仰の寺ともいえる。

20070613120934.jpg本殿裏には被官稲荷神社が鎮座する。親門辰五郎が妻の病気回復のお礼に伏見から勧請した稲荷社。

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仁王門と五重塔

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日も少し暮れ、仲見世の人通りもいくらか少なくなった。日中は人、人、人の行列だった。

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浅草寺納経朱印


20070613120947.jpg今晩は浅草で一泊する。靴を脱いでよく見ると、左靴の底に割れ目があった。これが水がしみ込んだ原因だったのかと、近くの靴屋で新しいスニーカーを購入。
寿司屋で軽く済ませた後、浅草寺周辺をブラブラしていたら浅草演芸ホールに着いたので立ち寄る。
トリは「死神」。後味悪くならないように、オチをそのようにもってきたかと思った。




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中禅寺(栃木県日光市) 平成19年6月10日

 朝起きて、窓を開けると昨日以上にどしゃぶり。もしかしたら一夜開けたら雨がやんでいるかもと淡い期待をしていたが、しょせんは水の泡と消え、雫とともに流れていった。
 日光の神々に歓迎されなかったのか、それとも「もう一度、日を改めて来なさい」という意味なのか…。必殺「自分に都合良く解釈する」の技を使って後者だということにしよう。
 宿を出て中禅寺へ向かう。元は中宮祠の隣に建っていたが、明治の山津波で歌が浜に移転したという。これも神仏分離のために、神社の脇に再建できなかったためだろうか?

日光山中禅寺(輪王寺別院)・天台宗
20070613115654.jpg本尊は千手観音。勝道法師が感得した男体山権現の本地仏で、板東三十三所の18番札所。
立木観音の通称らしく、胴体部分は木そのものを生かしたような、素朴かつ力強い姿。木の持つ霊力を仏像で表現したかのように見え、修験の仏らしい。
 五来重先生は清水寺や那智山、竹生島などの例から、千手観音は水神信仰とかかわると推察していたが、中禅寺や男体山権現もその例になるのだろうか?

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本堂裏の高台には五大堂があり、五大明王が安置される。ここから晴れていれば中禅寺湖と男体山が一望できるのだろうが、この霧では湖の岸すら見えなかった。

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波之利(はしり)大黒天堂
中禅寺波上に現れた大黒天を勝道法師が感得したという。波之利は“波乗り”に通じるので運気向上の神として、また“走り”で足止めのご利益があるという。

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石造りの護摩壇。
かつて修験者が入峰の際、ここで護摩を修したという。

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鬼の石灯籠と、治病のご利益があるという巨大な木の瘤。

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中禅寺納経朱印


20070613115759.jpg華厳の滝にも足を運んだが、霧のため滝壺周辺しか見ることができなかった。
音だけを聞いて大きさを想像しよう。
もっとも雨のお陰で水量は通常よりも多かったが。


この後、駅に戻りレンタカーを返す。昼食に名物のゆば料理を食べたが、そのころになると雨はやんできた。なんだか旅を計画した時期が悪かったな。でも水不足だそうだから恵みの雨だし、しかたないようなぁと考える。
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駅のホームに咲いていたニッコウキスゲ。

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二荒山神社中宮祠(栃木県日光市) 平成19年6月9日

 いわゆる日光山内を廻り終え、時計を見るともう既に3時を過ぎていた。雨降りなのでかなり足早に廻ったつもりだったが、やっぱり日光を時間が過ぎるのを忘れてしまう。
 再び雨が強くなり、左側の靴だけがなぜか水がしみ込んできて歩きづらい。いそいで駐車場に戻り中禅寺湖を目指して車を進める。途中のいろは坂は濃霧で、まったく周囲は見えなかった。それでも中禅寺湖に近づけば霧も晴れ、雨も小降りになってきた。温泉街らしく土産物屋やホテルの並ぶ通りの交差点には、中宮祠の巨大な鳥居が立っていた。

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 鳥居から中禅寺湖を眺める。中宮祠は男体山麓と中禅寺湖畔という山と水の霊域。山は水を生み出し里を潤すので、その縁は切っても切り離せない。
もっともこの日は悪天候で、男体山の勇姿ははっきりと拝むことができなかったが…。

20070613115156.jpg祭神は二荒山大神(大巳貴命・田心姫命・味耜高彦根命)。
境内には七福神が各所に祀られていた。男体山の神が大巳貴命(大国主神)なので、本社と中宮祠でも「大国さま」として別殿が設けられていたが、それで七福神も祀られるのだろう。

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男体山への入口。
ここから山頂の奥社へ向かうことになる。



 参拝後は中禅寺温泉で一泊。湯元はさらに奥の、湯元温泉から引かれたものだが、その12kmの過程で温度が下がり、丁度良い湯加減になるという。宿は源泉掛け流し。脱衣所に入る前から硫黄臭が漂ってくるのでかなり楽しみなお湯だ。
 浴室内に入ると匂いはいっそうきつくなり、お湯は白濁している。けっこう熱めの湯なのであまり長湯はできないが、お陰で疲れが一気にぬけるようだ。何度も繰り返して入っている内に、体から自然と硫黄臭が漂ってくるようになった。

20070617215300.jpg社号:二荒山神社中宮祠
下野一宮
中宮祠納経朱印

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輪王寺・大猷院(栃木県日光市) 平成19年6月9日

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二天門
東照宮は大勢の観光客でごった返していたが、家光の霊廟大猷院はそれに比べると人が少ない。もっとも、そのお陰で落ちついて拝観ができた。

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二天門から石段を上って夜叉門へ。
周囲は杉に囲まれて静か。東照宮の喧噪がうそのようだ。

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夜叉門
四体の夜叉が鎮座している。夜叉は毘沙門天の眷属だが、このように門に安置されるのは、あまり見たことがない。天台宗では皇室の安穏を祈る法会に、毘沙門天を本尊とした鎮将夜叉神法があるが、それと関係あるのだろうか。

20070613113717.jpg拝殿
大猷院の名は家光の法名「大猷院殿」に由来する。家康に遠慮して東照宮より豪華にならないように造られたというが、それでも十分すぎるほど豪華な造り。比較する対象が違いすぎるというものだ。

20070613113727.jpg唐門と本殿
東照宮と異なり仏式に祀られるが、本殿・拝殿に分かれた霊廟形式にになっている。

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皇嘉門
この奥が家光の墓所になっているが、一般は立ち入り禁止。

20070617191244.jpg大猷院入口近くには常行堂と法華堂が並んで建つ。常行堂は阿弥陀如来の周囲を歩きながら、不断に念仏を唱えるお堂。本尊は宝冠阿弥陀如来で、大日如来の五智の一つ妙観察智を表す。また堂内には、常行念仏の守護神である摩多羅神が祀られる。

20070617215534.jpg山号:日光山
寺号:輪王寺
院号:大猷院
宗派:天台宗


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日光二荒山神社(栃木県日光市) 平成19年6月9日

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日光のシンボルの一つといえる神橋。勝道法師が大谷川を渡ろうとすると深沙大王が現れ、その腕に巻き付いた二匹の蛇が橋になったという。橋の近くには深沙大王堂(神蛇宮)が建っている。
 深沙大王は流砂に住む夜叉で、『大唐西域記』では玄奘三蔵の守護したという。『西遊記』では沙悟浄のモデルだが、流砂が後世に川と誤解されたことで、水の守護神ともなった。神橋の伝説も玄奘の説話を下敷きとしているのだろうし、また蛇の登場から見ても日光が古代水神信仰の山だったとうかがえる。

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 東照宮から二荒山神社へ、両脇に杉木立が並ぶ参道を進む。しばらく歩くと楼門が見える。扁額には修験の山らしく「日光大権現」の文字がある。

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境内域全体。
東照宮に比べて参拝者の数が少ないように見える。本当の日光の神はここに鎮座しているのに…


20070613114827.jpg社殿
祭神は二荒山大神(大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命)。本地仏は千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音。それぞれ三柱の神は男体山・女峰山・太郎山で総称して、二荒山三所大権現となる。
下野国一宮。

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本殿と、火をつけると化けたという伝説のある化灯籠。

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弘法大師お手植えという高野槙。樹齢は千年を越えるという。

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 神苑内には神輿舎やその他、摂社末社などが並び、奥には湧き水がある。日光は寺社の手水舎も湧き水だが、駅前や町中にも水が湧いていて自由に飲むことができる。水が豊富な土地だ。

20070617215058.jpg社号:日光二荒山神社・本社
下野一宮

二荒山神社納経朱印




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おまけ
境内の片隅になぜかケロちゃんが。ただ置いてあるのではなく、賽銭箱に鈴、そして背後には幣束まであり、小さいながらも立派な祠。神社公認なのだろうか?



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東照宮(栃木県日光市) 平成19年6月9日

 輪王寺の参拝を終えて東照宮へと向かう。さすがに観光客が多く、また修学旅行の小学生団体も目に付く。
 雨はまた強く振り出してきた。晴れていれば絢爛豪華な装飾も輝くのだろうが、こんなに降っていたらややくすんで見える。まあ、見た目が落ちついたと思えばいいのだろうが。

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仁王門
神社で仁王門とは…と今では不思議な取り合わせだが、東照宮自体が天台教学に基づいて建立されているので不思議ではない。それよりも、神仏分離の際に取り壊されなかった方が奇跡だろう。

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仁王門をくぐった境内風景。
こうしてみると傘がけっこう目に付く。

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三猿
すっかりここだけが有名になったが、これ以外にも猿の装飾がほどこされ、それぞれが人生訓になっているという。

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二の鳥居
扁額には「東照大権現」とある。しかし、社務所で配布していた掛け軸には「東照大神」とあった。仏教由来の権現号を使いたくないのだろうか。

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陽明門
東照宮のシンボルといえばここでしょう。

20070613114308.jpg「こんなに華美な装飾して、家康という人物は自己顕示欲が強かったのかな」と誤解されそうなほどの装飾。
本人は日光に小社を建てて祀ってほしいと遺言したが、ここまで豪華にしたのは孫の家光。家康に対する尊敬の念からだとはいうが、ここまでする情熱はどこから来たのだろう。

20070613114347.jpg唐門と社殿
拝殿に昇殿して参拝することができる。内部の装飾も凄いに尽きる。
祭神は徳川家康(東照大権現)で、豊臣秀吉・源頼朝を配祀する。もともとは天台宗にゆかりの深い山王権現と摩多羅神が配祀されていたのだが、明治に秀吉・頼朝に変えられた。家康は源氏を名乗っていたので頼朝は頷けるとしても、秀吉も祀ったのは、明治政府に対する遠慮からだろうか?

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眠り猫は奥宮へ至る門の欄間にある。ここへはまた別途拝観料が必要となる。
眠り猫はイメージよりもかなり小さい。この裏には雀の彫刻が施され、この一対で平和な世の中を象徴していると説明されていた。

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奥社への石段の一つ一つは一枚岩で、手すりも石を接ぐのではなく、巨大な岩をくりぬいて造っているという。
奥社の家康廟は青銅製の仏塔。香炉、燭台、華瓶と三具足も置かれていた。

20070613114422.jpg陽明門脇には薬師堂(本地堂)が建つ。東照大権現の本地仏の薬師如来を祀る。家康は鳳来寺山の薬師如来を信仰していたことと、また“東照”の神号から東方仏である薬師が本地とされたのだろう。
東照宮境内だが、ここは輪王寺の飛び地堂という扱いのようだ。堂内では有名な鳴龍の説明がされ、拍子木を打つと鈴のような共鳴音がした。

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鼓楼とオランダ王室から奉納されたシャンデリア。

20070613114440.jpg五重塔
境内には神仏分離をかいくぐった建築物が残っている。これも装飾が助けてくれたとみてもいいのだろうか。

20070617214755.jpg社号:東照宮
東照宮納経朱印
20070617214802.jpg寺号:輪王寺薬師堂(本地堂)
宗派:天台宗
薬師堂納経朱印

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輪王寺(栃木県日光市) 平成19年6月9日

 「日光を見ずにして、結構と言うなかれ」と言うけれど、学生時代は過度の装飾と権力誇示な雰囲気がして、いまいち足を向けようという気にならなかった。しかし時が経つにつれて、そんな考えはしょせんは誰かの受け売りをすり込んでいただけだったなとと思うようになった。
 そんな時に桃山・江戸初期は日本におけるバロック時代。そんな豪華でカラフルな時代があったからこそ、「侘び」が生まれたとの教えを受けて、日光に対するイメージを改めるようになった。

 とはいえ、なかなか関東まで行く機会もなかったが、「ええ~い、先々週長野に行ったんだから、今週は日光に行ってやれ~」と、思い立ったがハッピー・デーとばかりに出発。しかし、思い立った時期が悪かった…

 夜行バスに乗って早朝、東京に到着。東武浅草から快速電車に乗って2時間ほどで日光には着くのだが、近づくにつれて雲は厚くなり、到着時にはかなりの雨。もとより悪天候は覚悟していたが、「もしかしたら小雨ですむかも」と根拠不明な期待をしていた。
 駅前で車を借りて本日メインの二社一寺へと向かう。(なお、二社一寺については参拝順路は掲載順と同一ではありません)

20070613113557.jpg神橋から坂道を上り、本堂(三仏堂)へ着いたころは少し雨も弱くなってきた。
本尊は二荒山三所大権現の本地仏、千手観音(男体山)・阿弥陀如来(女峰山)・馬頭観音(太郎山)の三尊。内陣は天台宗独特の外陣よりも一段低い構造になっている。
古くから修験の山だった輪王寺だが、江戸期には天海(諡:慈眼大師)によって東照宮との結びつき、そして門跡寺院として東国天台の頂点に立つ。

20070613113607.jpg本堂裏の護摩堂。五大明王や十二天、七福神などが祀られる。
日光は古名は二荒山(ふたらやま)。それを音読みして「にこうさん」、そして日光山となったという。“ふたら”の語源は観音浄土の補陀落に由来するという説が、一番広く知られている。日光=東照宮と思われがちだが、本来は修験道の霊山なのだ。

20070613113743.jpg日光開祖の勝道法師像。二荒山登頂を決意し山麓で修行。14年目にしてついに男体山山頂に到達したという。弘法大師も「沙門勝道山水を歴て玄珠を瑩く」と碑文をしたためている。
今でこそ観光地として気軽に赴くが、往時の二荒山は字のごとく”荒ぶる神の宿る”山だったのだろう。

20070617214626.jpg山号:日光山
寺号:輪王寺
宗派:天台宗(大本山)

輪王寺納経朱印

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Author:山カズ大王
裏日本観察学会会長
仏歴2518年(昭和50年)生誕

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