裏日本観察学会・突撃巡礼隊

各地の寺院や神社、霊場の参詣記、納経帳(御朱印)の記録を中心に、面白スポットや街角で見たものなども紹介します。 ※写真(サムネイル)はクリックすると拡大します。

2007-09

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

妻籠宿(長野県南木曽町) 平成19年9月30日

 妻籠は中山道四十二番宿。案内板によると、昭和43年に全国でもいち早く町並みの保存に手掛けた宿場と紹介されていた。新しいものに目がいく時代にあえて古いものの着目した、それも「町並み」というその当時に住む人からすれば、目新しくもなく、文化財的価値もないと見なされやすいものを残そうとした、当時の人たちの心意気はいかに。

画像 048 画像 047
町並みの入り口付近。あいにくの空模様だが、雨にけむる木曽の山々というのも、それはそれで結構なながめだ。宿場入り口の「おしゃごじさま」の祠がある。御左口(みさぐち)神を祀るとあるが、この神は諏訪信仰にかかわるミシャグチ神と同体なのだろうか。

画像 052 画像 051
光徳寺門前の延命地蔵堂。河原の石に地蔵尊の寝姿が浮かび上がったとして建立されたとある。堂内には石があり、ちょうど左下に横たわる姿が確認できる。

画像 049

光徳寺の庫裏には、天保時代に住職が考案した人力車の祖型という車付き駕籠が保存されている。。


画像 060 画像 054
写真では観光客はまばらだが、途切れる瞬間を狙ったもの。当日は雨にもかかわらずひっきりなしに団体客が散策していた。

画像 050 画像 067
タバコ屋の玄関には万年茸(霊芝)が飾られていた。
道ばたには山水をためる水槽が幾つも置かれていたが、残念なことにどれも飲用不可だった。

画像 063 画像 065

画像 068 画像 069
枡形(幕府の方針で敵の進行を遅らせるために、わざと曲げた通路)の周囲は舗装されておらず、特に宿場町らしさがにじみ出る。
白や赤の萩が垂れ下がり、街道を彩る。

画像 070 回転画像 001
おばあさん2人が、こよりで木曽馬を作っている。1個求めると「全部手作りだから一つ一つ違うよ。一番良いのを選んで」とのこと。と言われても迷うばかりなので目をつぶって「どれにしようかな…」と指さしで決める。
選んだのを差し出すと「あら、一番きれいなのを選んだね」と笑いながら包んでくれた。
スポンサーサイト

テーマ:レトロを巡る旅 - ジャンル:旅行

寝覚の床(長野県上松町) 平成19年9月30日

画像 038昨日は一日中曇りで過ごせたが、今日は朝から雨。先に御嶽参拝を済ませておいて良かった。
王滝村から再び中山道を西にしばらく走り「寝覚の床」を見物する。木曽川の流れが、さながら寝床のような石の姿を表現した。
展望台の手前には中央本線が走っているので、どうしても架線が視界を邪魔する。そこで川近くまで坂道を下りる。


画像 037 画像 036
伝説では竜宮城から帰ってきた浦島太郎は諸国を巡り、ここに逗留していたという。そんなある時、約束を忘れて玉手箱を開いたため老人となり、さながら夢から覚めるようだったからこの名が付いたという。岩の上には浦島堂が立ち、右下手前の白い石は亀石という

画像 040 画像 041
寝覚ノ床へは臨川寺の境内を通って行くことになる。境内には浦島太郎姿見の池や弁天堂がある。

画像 045

境内には宝物館が建っているが…、これといって文化財があるわけでもないため、大正・昭和初期の民具が収められているのが実情。

画像 042

しまいには展示するものに困ったのか、カメラや牛乳瓶、ドラえもんサイダーの缶まである。

画像 044

宝物館の目玉! 「浦島太郎の釣竿」。それと愛用の硯。


画像 043

そのほかに浦島太郎関連グッズも置かれる。

画像 046

ついにはキティちゃんグッズまで展示される。

この全体に流れるゆるさがB級スポットらしさを醸し出して、実にタノチイ


テーマ:国内旅行 - ジャンル:旅行

田之原大黒天・御嶽奥宮遙拝所・三笠山神社(長野県大滝村) 平成19年9月29日

田之原大黒天
画像 022山道を登れば登るほど、ガスが発生し視界が効かない。7合目田の原に着いたころには一面の霧で、何がなにやら分からない状態。社務所に納経帳を預けて、田之原大黒天の祠までの砂利道を歩く。左右には熊笹や這い松、栂などが繁っている。
新旧五円玉の石像が置かれる、大黒天の祠に到着。祭神は大国主命。参拝前に半鐘を鳴らすと山々に余韻が響き渡る。御嶽の各社には半鐘が必ずあるのが特徴的だ。
参拝を済ませると幾分か霧も晴れてきた。ここからさらに奥社遙拝所へと向かう。


奥社遙拝所
画像 023ちょうど御嶽山頂の目前に遙拝所がある。祭神の国常立尊・大己貴命・少彦名命の神像が祀られる。もとより曇り空だったので、例え田の原まで登っても御嶽の姿は望むことはできないのは仕方がないこと。
霧の向こうに隠れる御嶽を思いながら念誦読経する。

画像 025参拝を終えて帰る道すがら振り返ってみると、見る見る雲が晴れてきた。うっすらと御嶽山頂がその姿を現す。
それはさながら神仏が地上に降臨したかのような、感動的な出来事だった。

画像 026そしてくっきりとその勇姿を目の当たりにすることができた。
まったくあきらめていた時に、思いも掛けない出来事。これこそ本当のご利益だろう。
「南無御嶽座王大権現」と山頂に向かって参礼する。そしてしばらくすると再び山は雲に包まれた。



三笠山神社
画像 029 画像 028
田の原駐車場から大黒天参道と正反対の位置に、三笠山神社参道が延びる。位置だけでなく風景も田の原とは正反対で、ブナ林と苔むす石に囲まれた隠逸な道。しばらく進むと三笠山刀利天王像を祀る祠に着く。
祭神は豊斟諄尊。刀利天(とうりてん)とは帝釈天が支配する世界・忉利天の事だろうから、帝釈天と同体なのだろうか?

画像 031 画像 033
三笠山の参道周囲は一面に苔に覆われ、まるでファンタジー作品の世界に迷い込んだような、そんな気持ちにさせられる。
 ところで、山を下りて分かったことだが三笠山神社だと思っていた場所が、まだそれより上に本社があったのだった。まるっきり石清水八幡にお参りに行った「仁和寺のある法師」だ。

大黒天 3 奥社遙拝所 5 三笠山 4
田之原大黒天・奥社遙拝所・三笠山神社納経朱印

 今晩の宿は御嶽休暇村。同施設内にあるキャンプ場の近くに温泉があるので、ひとっ風呂浴びに行く。2kmほど離れたブナ林に「こもれびの湯」という小さな温泉が立つ。飲泉場で口に含むとかすかな硫黄臭と炭酸、そして鉄の味がする。さほど大きくない浴槽にはさび色をしたお湯が掛け流され、少しぬるめのお湯のためゆっくりとつかる。目の前には徐々に闇に染まるブナの木々…
 その日の夕食は松茸尽くしと、まさに極楽気分だ。

テーマ:神社めぐり - ジャンル:旅行

清滝不動尊・十二大権現・八海山神社(長野県大滝村) 平成19年9月29日

清滝不動尊
画像 014清滝は御嶽の3合目に当たる。小さな駐車場に車を止めて、山道を少し登ると巨大な飛瀑が見えてくる。滝壺の周囲は滝行ができるように整備され、更衣室もあった。
不動堂で念誦読経の後に滝に近づくと、飛沫となった水が飛び散っている。マイナスイオンなんて疑似化学は信じないが、滝からみなぎる霊力が体全体すみずみまで浴びるような気持ちになる。
駐車場に戻ると白装束の集団が車から降りてきた。これから滝に打たれるようで、大半は女性。若い子もそれなりにいた。


十二大権現
画像 016 画像 015
清滝からさらに蛇行する道をしばらく走った4合目に、十二大権現の鳥居が見える。石段を登ると赤いさるぼこの垂れ下がった祠がある。祭神は木花開耶姫命で、子授けのご利益がある。祠に置かれたさるぼこを1個持ち帰り、願いがかなうと12個奉納するのが習わしだという。

画像 017 画像 018
十二大権現の隣には真新しい霊神碑がある。素人造りの良く言えば素朴、悪く言えば安っぽい感じの神仏像もあり、一種独特な雰囲気になる。里宮周辺は高い木々に囲まれているため、霊神碑も幽玄な雰囲気だったが、この辺りになると高山性のためか低い木しか生えず、それと相応するかのように妙に開放的な霊神碑が増える。
考えてみれば道路が整備されたから高い場所にも造立可能になったわけで、古いものほど低地に立てられるのだろう。

八海山神社
画像 019 画像 020
おんたけスキー場も近い5合目に八海山神社は鎮座する。眼病平癒のご利益があるため祠には「め」と書かれた布が数多く奉納されている。祭神は国狭槌尊。八海山大頭羅(だいずら)神王と称すが、「だいずら」とは四天王の一つ、持国天の梵名dhRtaraaSTra(提頭羅吒)のこと。
祠の背後には水が湧いているので、一口飲むと同時に目も洗った。

画像 021

参道入り口近くに生えていたきのこ。
辺りを見回すと小さなきのこが幾つも顔をのぞかせていた。
苔を踏むとふわふわと絨毯のようだ。

八海山 2
八海山神社納経朱印

テーマ:神社めぐり - ジャンル:旅行

御嶽神社(長野県王滝村) 平成19年9月29日

御嶽神社(里宮)
画像 001 画像 002
 「木曽のナァー 中乗りさん  木曽の御嶽 ナンチャラホイ」と口ずさみつつ、御嶽に突撃巡礼。朝7時前に出発して、中津川ICから中山道に入るが雨の勢いが強くなってくる。「今回もまた雨の中の旅か」と思っていたが、11時前に王滝村に着いたころには、曇り空でこそあれ雨はやんでくれた。途中、道ばたで木の実を食べている4,5匹の猿に遭遇。やっぱり山奥なんだなあ。ところで王滝(おおたき)は御嶽(おんたけ)がなまった地名なのだろうか。
 御嶽神社里宮の入り口は、田の原に至る道路沿いにある。そこから石段を登り、まず始めに社務所に納経帳を預けて社殿へと向かう。ここからさらに368段の石段を登る。

 それはそうと「中乗さん」って何なんだ?※

画像 004 画像 003
参道途中に建つ里宮大黒天の祠。祠の横には巨大な五円玉の石像が。

画像 010 画像 009
社殿近くは背後に巨岩が迫り、いやが上にも霊威を感じさせる。
石段を登り切ると御嶽の王滝口開山の木食普覚行者、黒沢口開山の覚明行者、並びに信仰の流布に努めた一山、一心両行者を祀る講祖本社が建つ。

画像 005 画像 007
岩肌から一筋の水が流れ落ち、さながら瑠璃で彩られた帳のように、キラキラと光り輝きながら苔の下をしだたり落ちる。この御神水を一口飲むと、山の霊気が体に行き渡るようだ。

画像 008社殿
祭神は国常立尊・大己貴命・少彦名命。本地仏は十一面観音・聖観音・阿弥陀如来。
御嶽座王大権現と称し、また岩戸権現ともいう。社殿背後には岩穴があり、そこに本殿が鎮座していた。
ここに来る前に少し雨が降ったのだろうか…。でも<そのお蔭で一層社頭に幽玄さが増した。


画像 011霊神社
御嶽山は祖霊の集う山。行者たちは死後、御嶽にとどまり子孫や弟子を見守る神となる。御嶽には至る所に「○○霊神」と刻んだ石碑が立っている。

画像 012 画像 013
里宮近く、一心堂付近の霊神碑。

画像 034

里宮周囲の道沿いに霊神碑は多く見られる。

画像 035

苔むしたもの、整然と並ぶもの、真新しいもの…。
大小さまざまな霊神碑。

御嶽神社 1
御嶽神社納経朱印

※「中乗さん」については、3説あるようだがどれもはっきりしないのが実情らしい。

テーマ:神社めぐり - ジャンル:旅行

気多大社(石川県羽咋市) 平成19年9月18日

気多大社(能登一宮・三十番神<五日守護>)・式内名神大社
画像 096 画像 094
 いよいよ今回の旅の最終目的地、気多大社に到着する。正面拝殿に昇殿して念誦読経する。祭神は大己貴命。伝承ではこの地を荒らしていた大蛇を退治したといわれる。社殿左右には若宮神社(事代主命)と白山神社(菊理姫命)が建つ。気多大明神(不思議智満大菩薩・若宮権現・白山権現)の本地仏は勝軍地蔵・聖観音・十一面観音。
 祭神にちなんで縁結びのご利益を謳っているので参拝者には若い女性が多く、ハートが記された絵馬が多く掛かっていた。

画像 095社殿裏には「いらずの森」があり、一般の立ち入りを禁じている。
古の神が宿る場所だろう。

画像 097神社に隣接して亀鶴蓬菜山気多大神宮寺正覚院(高野山真言宗)が建つ。
境内は工事中だったためつぶさに参詣できなかったが、かつて神宮寺だけあって門や梵鐘には注連縄が張られていた。

名称未設定 13
気多大社納経朱印

テーマ:神社めぐり - ジャンル:旅行

巌門(石川県志賀町) 平成19年9月18日

画像 089さすがに外海沿いの道だけあって、故郷を思い出させるような光景になる。波も荒々しくなり、それに伴って道も家も海岸から遠くに造られる。そんな光景を眺めながら車を走らせていると、ところどころに景勝地を示す看板が立っている。しかし、車を止めても「地震の影響で立ち入り禁止」というところが多い。遠くから望んでも、なるほど落石した箇所が多く見受けられる。
途中、大笹波水田に立ち寄る。棚田百選にも選ばれた場所だが、その美しさにしばし呆然。さながら「正しい日本の水田」という感じ。刈り入れは既に終わっていたが、たわわに実った姿もきれいだっただろうな。


画像 091能登金剛でも巌門付近は観光施設も整っているため、散策は可能だった。


画像 092散策用に巌門橋が架かっている。
磯の潮だまりには小魚も潜んでいたのを見ると、磯部で遊んでいた子どものころを思い出す。


画像 093義経一行が隠れていたなどの伝承が残る巌門。
内部は通り抜け可能でちょっとした海賊気分を味わえる。

テーマ:国内旅行 - ジャンル:旅行

総持寺祖院(石川県輪島市)平成19年9月18日

諸嶽寺総持寺祖院・曹洞宗(大本山)
画像 078和倉から能登半島の海岸沿いに車を走らせる。日本海とはいえ湾内は波も静かなので、道や家も海岸にすぐ近くにある。そんな海岸道路から半島を横断するように山道を走り、農村地帯に入ってしばらくすると総持寺祖院に着く。
三門前の朱塗りの橋は地震の影響で通行不可となったいた。


画像 084仏殿
本尊は釈迦如来。脇士は迦葉尊者・阿難尊者。総持寺は常済大師(瑩山紹瑾)開山の古刹だが、明治の出火の際に横浜市鶴見に移転し、旧境内は祖院となっている。


画像 083祖堂
遠くで見ると威厳あるたたずまいだが、近づくと門や壁などに地震の爪痕が生々しく残っている。伺うと文化財でないために国や県などの補助金が出ないため、復興するのは大変だとのこと。

画像 080常済大師の御廟。
崩れた石組みやブルーシートが痛々しい。

画像 082禅堂は壁が傾き、ひもでなんとか補強しているが、立ち入りは禁じられている。
これだけの伽藍を補助金なしで復興していくのはどれほどの時間が掛かるだろうか。

画像 086本山が移転した際に唯一当地にとどまった塔頭・芳春院。院号は前田利家の妻まつの法号であり、その菩提を弔うために建立された。堂内には弘法大師作という弁才天が安置される。

名称未設定 12
総持寺祖院納経朱印

テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

和倉温泉(石川県七尾市) 平成19年9月17日

画像 073 画像 075
 和倉温泉に到着したのは4時前。ホテル十番館にチェックインすると、まずはすっかり汗でベトベトになった服を脱ぎ洗濯。長旅には必ず洗剤と洗濯ばさみを持っているようにしている。
 浴衣に着替えた後に温泉街を散策する。加賀屋近く弁天崎公園で弁天社をまず参詣。湯元には飲泉場があり、開湯伝承ゆかりの白鷺のブロンズ像があった。口に含むとにがりのような味で口が曲がりそうになる。和倉温泉の歴史が記されたイラストプレートもあり、海中から湧く温泉なので、もともとは涌浦(わくら)と呼ばれていたとある。

画像 076地震で湯元が海中に移動する以前は薬師嶽にあったという。少比古那神社は少名彦尊を祀り、旧湯元を守護する薬師如来堂でもあったという。
境内には巨大な楠が立つ。

画像 077総湯
湯は塩辛く少し熱め。昨日は宇奈月、今日は和倉と温泉尽くしで、乾燥肌もすべすべする。宇奈月の外湯に比べて和倉の総湯の、竜宮城をイメージした浴室などとかなり大きい。もっとも、どこにでもある田舎銭湯風の方が旅情があるのだが…

 夕食は「ホントに一人分!」とびっくりするほどの量。物腰低い支配人がステーキをサービスしてくれたが、そのほかに刺身・天ぷら・蒸し物・焼き物、そしてクコの実入り鍋。具はたっぷりのカニ、エビ、練り物そして野菜。食べきれるかなと心配だったがあっさりした味付けと、なにより野菜がたくさんあったので胃にもたれることなく完食。野菜不足になりがちな旅行では何よりのもてなしだ。そのうえ食堂からは夕日に染まる海まで見えるのだから、自然と箸とグラスが進む。おみやげとして輪島塗の箸まで付けてくれて、「皆さんに能登は元気なことを伝えて下さい」とのこと。

画像 079 変更

弁天崎公園近くの港から夕日を撮影する。

テーマ:温泉旅行 - ジャンル:旅行

伊須流岐比古神社(石川県中能都町) 平成19年9月17日

伊須流岐比古(いするぎひこ)神社(能登二宮)・式内小社
画像 067高岡から氷見を経由し石動(いするぎ)山を越えて能登へと至る。その途中、当初予定はしていなかったが伊須流岐比古神社を参詣することにした。
くねくねと蛇行する林道をしばらく走ると、旧参道と天平寺跡を示す看板があり、そこからしばらくすると資料館や公園がある。そこから苔むした境内を歩くと御輿堂を移築した社殿が建つ。
祭神は伊弉諾尊。石動五社大権現(大宮・客人・火宮・梅宮・剣宮)と呼ばれ本地は虚空蔵菩薩・十一面観音・聖観音・勝軍地蔵・倶梨伽羅不動。

画像 069 画像 066
 かつては白山と並び北陸有数の修験の霊山であり、数多くの坊舎が並んでいたというが、戦国期の焼き討ちにより衰亡。そして神仏分離によって別当の天平寺は廃寺となり、境内に点在する堂塔伽藍の礎石や、苔むし砕けた石仏・石塔のみがかつての繁栄をしのばせる。
 右は弘法大師堂跡と、その奥には墓石が並んでいる。辺りを歩いていると地震で砕けたのだろうか、首の折れた地蔵尊があり痛々しかった。なんとか元の姿に戻るように試してみたがダメだった。

画像 072

近年復元された天平寺大宮坊。

画像 070

大宮坊書院。
このほか発掘された本堂跡などがある。

画像 071現在は公園として整備されているが、ここ一帯に坊舎が並んでいたという。ところどころに「○○坊跡」の標識が立っている。
それにしても凄い風が吹いてくる。まさしくフェーン現象だ。境内にはきれいな清水が湧いているので水を汲みに来ていた親子連れがいたが、「まるで台風だぁ」と子どもは驚いていた。

テーマ:神社めぐり - ジャンル:旅行

気多神社(富山県高岡市) 平成19年9月17日

気多神社(越中一宮)・式内名神大社
画像 065 画像 068
 高岡は万葉集ゆかりの地とあって、二上から伏木へと向かう道中にはそれにかかわる施設などが点在しているようだ。
 気多神社は国分寺跡のすぐ近く、山の麓に鎮座している。祭神は大己貴命・奴奈加波比賣命。能登の気多大社から勧請されたという。静かな森に包まれた神社で結構なたたずまい。本殿には弘法大師筆と伝わる「一宮」の扁額が掛かっているとあった。越中は高瀬、射水、雄山、そして当社と一宮を9称する神社が4カ所あるが、これで無事越中一宮はすべて参拝することができた。

画像 056大伴神社
越中国司であり、『万葉集』の編者であった大伴家持を祀る。

画像 061境内の一角にある総社跡伝承地。

名称未設定 11
気多神社納経朱印

テーマ:神社めぐり - ジャンル:旅行

二上射水神社(富山県高岡市) 平成19年9月17日

二上射水神社(越中総社)・式内小社
画像 064 画像 062
 市街地からはずれ、小矢部川を渡ると当たりは田畑の多い風景となった。そんな二上山の麓に二上射水神社は鎮座する。明治時代に射水神社が高岡城跡へ遷座されたが、それに反対した氏子が旧社地に分社を建立したのが、この神社の始まり。
 正直な感想だが、現在の射水神社は明治新造の大社にありがちな人工的すぎて、いまひとつ神さびた雰囲気を味わえなかったが、ここにきて本来の神が宿っていた場所であることが実感できる。
 祭神は二上神。二上三社大権現(二上・日吉・院内)本地仏は釈迦如来・薬師如来・観世音菩薩。社殿は仏殿を流用したもので、細部の飾りに神仏習合時代の名残を感じることができる。境内の一角には天の真井があったが、別段井戸があるわけではない。後で知ったことだが本殿裏手にわき水があったようだ。まさに射水(いみず)だ。

画像 063神社と隣接して金光院(真言宗智山派)が建つ。旧別当であった養老寺の現存する塔頭だが、伝承では行基菩薩が二上神を祀ったことが始まりという。
当地には築山神事大蛇・大蜘蛛退治の伝承など興味深いものが多い。

テーマ:神社めぐり - ジャンル:旅行

射水神社(富山県高岡市) 平成19年9月17日

射水神社(越中一宮)・式内名神大社
画像 060大仏からすぐ近く、高岡古城公園内に射水神社は鎮座する。
祭神は二上神(瓊瓊杵尊)で本地は釈迦如来。もともとは二上大権現と称して、ここから4㎞ほど離れた二上山に鎮座していたが、神仏分離の際に当地に遷座したという。
境内・社殿などは明治建立の神社に多い、シンメトリーな構造の神明造。

名称未設定 10
射水神社納経朱印

テーマ:神社めぐり - ジャンル:旅行

高岡大仏(富山県高岡市) 平成19年9月17日

鳳徳山大仏寺・浄土宗
画像 059 画像 058
 高岡古城公園の駐車場に車を止め、公園内を横切り高岡大仏へと向かう。それにしても暑い。先ほどまでは晴れ渡っていたのに、パラパラと通り雨が降ったお蔭で、余計にムシムシとする。
 さて、高岡は銅器の町。その高岡銅器の粋を凝らしたのが高岡大仏。奈良・鎌倉と並んで日本三大大仏と称している。商店や民家の建ち並ぶ一角に大仏(阿弥陀如来)は鎮座ましますが、行ってみると改修工事中で、尊像全体がシートで覆われていた。
 「せっかくお越し頂いたのに、残念でしたね」と尼僧さん2人から言われたが、まあ“越中にまた来なさい”ということだろうと考えて、工事シートからわずかに顔をのぞかせる大仏さんに念誦読経する。

名称未設定 9
高岡大仏納経朱印

テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

瑞龍寺(富山県高岡市) 平成19年9月17日

高岡山瑞龍寺・曹洞宗
画像 057 気持ちいいぐらいに晴れ渡る…を通り越して凄まじく暑い。フェーン現象だろうが熱風が吹き8月の盛りのような気温だ。拝観口の人に「毎年、この季節の富山ってこんなのですか?」と聞いたら、違うとのこと。雨にはたたられないが、気温にたたられた。
 瑞龍寺は加賀前田家の菩提寺。国宝の山門から一直線に仏殿、法堂とシンメトリーに並んでいる。


画像 055仏殿:国宝
本尊は釈迦如来。脇士は文殊菩薩・普賢菩薩。案内の僧侶が磬子を鳴らすと、さながら梵鐘のような余韻を漂わせ、厳粛な気持ちになる。
話を伺うと前田家は菩提寺は禅宗、祈願は真言宗、前田家の女性は浄土真宗の寺院へ裏方として嫁がせるなど、特定の宗派に片寄ることなく、勢力が分散するように務めたこと。また金沢でなく、あえて当時田舎町だった高岡に菩提寺を建立するなど、百万石を維持する工夫を説明された。


画像 053法堂:国宝
瑞龍寺は玉砂利ではなく芝が庭に敷き詰められているが、この日は空の青さ、境内の端正さ、そして芝の緑と、そのコントラストが美しい。


名称未設定 8
瑞龍寺納経朱印

テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

宇奈月温泉(富山県黒部市) 平成19年9月16日

画像 051

宇奈月駅に戻ったころには、夕刻も近くなっていた。
宇奈月温泉駅前には温泉の噴水がある。まずは外湯で散策の疲れをいやす。無色透明だがかなり熱い湯なので、疲れも吹き飛ぶようだ。外湯はまったく田舎の銭湯という雰囲気で、そのほうが温泉に来たという感じが出る。

画像 052 画像 054
温泉街も物静か…というよりなんだか閑散としたようす。あれだけ黒部にいた観光客はどこに行ったのかな?
 右は桃原山薬師寺(曹洞宗)の門前にあるお湯掛け薬師。

テーマ:♡温泉だいすき♡ - ジャンル:旅行

黒部峡谷(富山県黒部市) 平成19年9月16日

画像 040北陸道を走って宇奈月の町に着いたのは10時半ごろ。本日の宿に車と荷物を預けて、黒部峡谷鉄道宇奈月駅へと向かう。途中、昼飯用に魚屋で白海老の押し寿司を買っておいた。駅に着くとかなりの人で混雑。一番速い時間帯の列車に乗れるか心配だったが、なんとか席を確保する。
駅構内で機関車を撮影。線路幅は通常より狭いナローゲージ。


画像 041新山彦橋から黒部川を眺める。
橋を渡る音がやまびこのようだからこの名が付いたという。


画像 050黒部川の水はまるで翡翠のような緑色だ。
山の天気は変わりやすく、さっき晴れていたかと思えば急に雨になる。


画像 042 画像 049
川には水力発電所が何基も建つが、こんな山奥にこれだけのものをよく建てたものだと感心する。

画像 043出発してから1時間半ほどで終点の欅平駅に到着。
多くの人は駅周辺を散策していたが、さらに祖母谷川にそった山道を歩いて名剣温泉へと向かう。途中、峡谷を見ながら押し寿司を食べる。小指にも満たない小さな海老が飯に敷き詰められた寿司。山で食べる飯はどうしてこんなに美味しいのだろう。

画像 046 画像 047


画像 045名剣温泉は谷にへばりつくように宿が建っている。立ち寄り入浴は2時までとあったが、時間には余裕がある。谷川を眺めるように露天風呂に入る。かすかな硫黄臭がして、しかも絶好の光景。時折吹く谷風が涼しくていつまでも入っていたい気分にさせられるが、帰りの列車の時刻もあるのでそうもしていられないのが残念だ。


画像 048帰りは途中、鐘釣駅で下車した。駅から河原へとつながる道を進み、そこへ降りるとたくさんの人。河原の砂を掘ると温泉が湧くので、足湯を楽しんでいるようだ。
そんな中、あまり人目に触れない岩屋があるので服を脱いで入浴。すると「ここ人が入っているわ」と数名入ってきた。何事もきっかけなんだろうな。砂の底から熱い湯が沸いているのが実感できる野趣あふれる温泉。でも普通の人は入るの勇気がいるだろうな。周りにはカップルも結構いるし…

テーマ:国内旅行 - ジャンル:旅行

日石寺(富山県上市町) 平成19年9月16日

大岩山日石寺・真言密宗(大本山)
画像 035一夜明けて、早朝立山を右に眺めるように車を走らせ、大岩山へと向かう。山道を登り進むと日石寺へ到着。本堂はコンクリート製だが、薄暗い堂内に入ると圧巻される。
 本尊は不動尊。行基菩薩が彫ったという3.46mの磨崖仏で、本堂は崖と密着して建てられている。歴史的には藤原期の作だが、国内有数の石仏という。
 本堂前ではペットの子犬がのんきに寝そべっていた。


画像 036 画像 037
修行場の六本滝と眼病にご利益のある藤水。朝早いがこの水を汲みに来る人が、何人も来ていた。

画像 038 画像 039
高台にある三重塔。江戸期のものだが資金不足のため外壁がなく、柱組のみで作られている珍しい構造。そのお蔭で滅多と見ることのない、塔内部がよく分かる。

名称未設定 7
日石寺納経朱印

テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

雄山神社(富山県立山町) 平成19年9月15日

雄山神社中宮祈願殿(越中一宮)・式内小社
画像 024 画像 020
 南砺市から再び北陸道を走り立山町へ。ICを降りてから1時間ほど立山を目指すように進んでいくと、「立山大権現」と書かれた看板が立っていた。もっと山深い場所をイメージしていたが、ごく普通の山里の神社という雰囲気だった。しかし鳥居をくぐるとさすがに修験の道場らしく、木々に囲まれ霊気がみなぎるようだ。
 祈願殿は芦峅寺講堂を神仏分離後に社殿に利用したもの。そのため神社というより仏堂という雰囲気だ。昇殿して念誦読経する。祭神は伊弉那岐命(立山和光大権現)、天手力雄命(刀尾天神)。本地仏は阿弥陀如来・不動尊。 内部には護摩札や立山曼荼羅などが奉納され、現在も修験の伝統を伝えているようだ。

画像 021若宮
刀尾天神を祀る。苔むした岩の上に社が設けられている。
祈願殿のさらに奥に大宮もあるのだが、この日は境内で映画の撮影をしていたため、その方へは立ち入りが難しかったので遙拝とした。そんな中、撮影を見に来ていた小さな女の子2人が、社殿に向かい何度も頭を下げていた光景がありほほえましかった。


画像 022 画像 023
立山開山御廟。慈興法師が当地で入定したという。伝承では佐伯有頼が白鷹に誘われて立山に向かうと熊が現れた。その熊を射ると逃げていくので追いかけると、阿弥陀如来と不動尊に出会った。その熊は阿弥陀の化身であり、有頼は出家し立山を開いたとされる。
 山岳信仰の開山伝承には猟師が出家するという話が多いが、猟師はいにしえの山の神を祀っていた民。僧侶は山を仏教化した行者を意味する。そして山を開いた者は、その山の神と等しく神格化されるので、仏教以前の山の民を神格化したのだろう。
 御廟には亀(?)を踏む熊に乗る童子(地蔵か?)という、なんだか不思議な石像が置かれていたが、どんな由来があったのだろう。

画像 031神社のすぐ近くにはかつての宿坊・教算坊がある。現在は庭園が整備され、建物内には立山曼荼羅や立山修験にかかわる信仰資料などが展示されている。


画像 025納経朱印を戴くため宮司宅へ向かう。門には大仙坊と表札があり、ここも宿坊だったようだ。玄関には金峯山寺の護符なども貼られていたが、修験の伝統を今に伝えるように努力されているのだろうか。境内域が神社ではあるが、それでも修験的雰囲気が感じられるのも、宮司さんのそのような意識からかもしれない。


芦峅寺閻魔堂
画像 026 画像 027
立山には布橋潅頂会という女人禁制の立山で、女性のための儀式があった。この閻魔堂から布が引かれ、それに従い布橋をわたって姥堂へと至るという儀式で、擬似的に死を体験しそれが滅罪へとなる。
 起点の閻魔堂ないには本尊の閻魔大王や御姥尊などが祀られる。そして布橋へと至る石段の両脇には地蔵や観音などの石仏が立ち並ぶ。

画像 028 画像 029
布橋。この橋から向こうには立山を眺め死の世界となる。橋の長さ25間は二十五菩薩、高さ13間は十三仏、桁48本は阿弥陀の四十八願、擬宝珠6個は六道、敷板108枚は百八煩悩を表すという。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えつつ渡りきるとそこは墓地。死者の世界に来たのだろう。

雄山神社前立社殿(越中一宮)・式内小社
画像 033 画像 032
 すぐ横に常願寺川が流れる岩峅寺の集落に前立社殿は建つ。山里という芦峅寺に比べ、こちらは山の麓の農村という風情。そのためか社殿や境内も芦峅寺のような修験的色彩はなく、ごく普通の神社という感じだ。岩峅寺の「いわくら」は神の宿る磐坐(いわくら)の意味とあった。
 祭神は伊弉諾尊・天手力男尊。境内には両神の本地仏である阿弥陀と不動の梵字を記したという湯立釜があったが、あいにく梵字は判読できなかった。

画像 030 名称未設定 14
 布橋を渡りきった姥堂跡から立山を眺める。本当は山頂の本社にも参拝すべきだろうが、ここで遙拝する。右は立山牛王。熊と鷹で「立山之宝」と書かれる。

名称未設定 4 名称未設定 5 名称未設定 6
雄山神社(中宮祈願殿・前立社殿)、芦峅寺閻魔堂納経朱印

テーマ:神社めぐり - ジャンル:旅行

城端別院善徳寺(富山県南砺市) 平成19年9月15日

廓龍山善徳寺(城端別院)・真宗大谷派
画像 014 画像 015
 まったく知識がなくてこの日を選んだものだから、城端別院に行く道、行く道ことごとく通行止めとなっていた。遠回りをして町の中に入るとこの日は「むぎや祭」の初日だった。
 山門前は露天が並び、午後から始まるむぎや踊りを見物するための町の人や、観光客が往来している。

画像 016
本堂前は踊りの特設ステージとなっていて、外観はさっぱり分からない。
堂内に入って念誦読経。本尊は阿弥陀如来。
堂内では祭りの準備に疲れたらしく、居眠りするなどくつろぐ人を多数見かけた。


画像 017 画像 018
土蔵造りの経蔵と、蓮如上人像の足下にあった石造りのライオン。
目にはガラス玉がはめられていたが、唐獅子ということだろうか。

画像 019

踊りを見物しても良かったのだが、次の予定があるので先を急ぐ。門前の通りには、すすきをいけた筒が並び、祭りを飾っていた


名称未設定 3
城端別院納経朱印

テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

高瀬神社(富山県南砺市) 平成19年9月15日

高瀬神社(越中一宮)・式内小社
画像 011井波別院から田んぼの広がる道をしばらく走ると、鎮守の森に包まれた一角が見える。
越中一宮の高瀬神社の社頭だ。
白い玉砂利、森の緑、空の青さのコントラストが美しい。


画像 013社殿
祭神は大己貴命・天活玉命・五十猛命。
岩田書院の『中世諸国一宮制の基礎的研究』には高瀬大明神は、高麗(かうらい)権現とも称されていたとある。日本海側は大陸との玄関口でもあったから、海の彼方から「依り来る神」なのかもしれない。


画像 012功霊殿
砺波地方の戦没者や功労者を祀る。


名称未設定 2
高瀬神社納経朱印

テーマ:神社めぐり - ジャンル:旅行

井波別院瑞泉寺(富山県南砺市) 平成19年9月15日

 前日の夜から北陸道を走り、パーキングで仮眠。天気予報を聞くと翌日は雨の心配がされるとあり、「また雨にたたられる旅になるのかな」とやや不安になる。
 そんな不安も朝になれば吹き飛ぶ…とまではいかなくてもまずまずの空模様。再び車を走らせて南砺の穀倉地帯を抜けて、井波へと向かう。

杉谷山瑞泉寺(井波別院)・真宗大谷派
画像 001 画像 008
 「北陸門徒」といわれるように、この地方は浄土真宗の盛んな土地柄。門前町の突き当たりに、その信仰の篤さを物語るかのような巨大な山門が建つ。

画像 002本堂
本尊は阿弥陀如来。



画像 003太子堂
後小松天皇より下賜された聖徳太子二才像(南無仏太子)を祀る。
7月には太子絵伝の軸が堂内に賭けられ、絵解きが行われるという。


画像 004 画像 005

画像 006

井波は彫刻の町。案内をされた女性の話によると、この寺はたびたび焼亡し、現在の本堂、太子堂は共に明治の再建という。
その折りに、町の威信を賭けた彫刻が施されているという。


画像 009門前には彫刻職人の店が軒を並べ、朝早くから「コンコン」とのみを打つ音が聞こえる。

画像 010 画像 007


名称未設定 1
井波別院納経朱印

テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

彦根城(滋賀県彦根市) 平成19年9月9日

 彦根城に着くとさすがに観光地らしく多くの人が散策していた。城の付近の寺町は、かつての城下町を再現した造りになっていて景観を保とうとしている。さて、野洲から彦根に来る途中に結構激しい通り雨にあったが、そのせいか車から降りると蒸し暑い。天守閣を目指して城山を登るが、ねっとりとした気持ち悪い汗が出てきて、低い山にもかかわらず登るのがつらい。

彦根城(国宝)
20070909195016.jpg20070909195116.jpg
 城山を登り切ったところに天守があるが、思っていたよりも小さなもの。さまざまな形の破風が施されているのが特徴的。
 途中ぱらぱらと雨が降ってきたが、着いた時には本格的に降り出してきた。雨宿りを兼ねて天守内に入る。窓から彦根の城下を見下ろせば殿様気分だろうが、なにしろ雨の勢いが強く余り展望が良くない。その代わり吹き抜ける風は涼しく、さっきまでのいやな汗が引いていく。そうしばらく待っていたら雨もやんできた。

20070909194851.jpg

太鼓門櫓は、どこかの城の櫓を移築したものという。


再露出画像 008
左右対称の造りから天秤櫓という。
石垣は右側が築城当時の牛蒡積。左が幕末の切石積。

この後に、彦根城博物館を見学。井伊家ゆかりの品々や、復元された表御殿を見る。さて、いま彦根といえば「ひこにゃん」だが館内で撮影会などのイベントを行っていた。その行列たるや凄いもので、人気の高さがうかがえる。おかげで生ひこにゃんを撮影することはできなかった。

20070909195543.jpg
玄宮園でも再び雨に遭う。


20070909195737.jpg雨もやっとやんだので、城の前の通りを散策。いたるところにひこにゃんの姿がある。ひこにゃん様々という感じだ。
まちなか博物館というのがあったので入ってみると、引き札や郷土玩具が展示されていた。引き札は日露戦争勝利や恵比寿大黒、福助、金のなる木などが描かれ、中には荒俣宏の著書で見たのと、同じ物も展示されていた。

20070909195659.jpg20070909195748.jpg


20070909195726.jpg分福茶屋のつぶら餅。
まるでたこ焼きのように作っている。1個60円だったので買ってみると、爪楊枝に刺し、ますますたこ焼きのようだ。食べてみると表面はかりかり、中はもっちりとした薄皮で、あつあつの粒あんをつつんでいる。危うく口の中をやけどしそうになるほど、ほふほふ口の中で踊ったが、二つの異なる触感と熱さが相乗してうまい。



20070909195838.jpg夕飯用に近江牛のすき焼き肉を買って帰ろうと駅前のアルプラザに入ると、ここにもまちなか博物館として近江鉄道の展示があった。明治、大正の鉄道地図や切符などが展示され、中央には昭和30~40年代の近江鉄道沿線をイメージした、Nゲージのレイアウトが置かれている。
単線エンドレスの単調な線路配置だが、駅構内や電車区、ガーター橋の風景など丁寧に作られていて、いつまで見ても飽きない。どこかで見たレイアウトだなと思ったら『鉄道模型趣味』誌上でも発表された作品だった。

20070909195802.jpg20070909195828.jpg

テーマ:城めぐり - ジャンル:旅行

錦織寺(滋賀県野洲市) 平成19年9月9日

 野洲は三上山の麓に平野部が広がり、県内でも有数の穀倉地帯。御神神社から木部までは、収穫に向けて黄色く色づき始めた稲が実った田んぼが広がる。そんな農道風の道を進んでいくと錦織寺へと着く。

遍照山錦織寺(きんしょくじ)・真宗木辺派(本山)
20070909194404.jpg御影堂。
見真大師(親鸞)が当地で『顕浄土真実教行証文類』を書き終え、その喜びを表す正面向きの姿「ご満足の御影」が祀られる。
元禄期まで浄土真宗・浄土宗の二宗兼学だったので、両宗派の建築様式を兼ね備えた造りになっているという。

20070909194416.jpg20070909194448.jpg
 阿弥陀堂は真宗寺院らしく御影堂よりも小さめ。本尊の阿弥陀如来は親鸞聖人が霞ヶ浦で感得された尊像。
 堂内欄間には機を織る天女が飾られているが、寺伝では親鸞聖人滞在中に天女が蓮糸で錦を織って本尊に供えたという。その錦は朝廷に献上されたので四条天皇より「天神護法錦織之寺」の勅額を賜ったという。これが錦織寺の正式な寺号。

20070909194432.jpg天安堂。もともと錦織寺は、慈覚大師(円仁)が伝教大師作で鞍馬寺本尊と同木という毘沙門天像を、天安年間に「一夜で松が生えた」という当地に祀ったのが始まりという。現在の地名は木部だが、松の由来から当時は木辺と呼ばれていたという。
この毘沙門天が親鸞聖人に阿弥陀如来を当地に祀るよう願い出たとの縁起から、真宗寺院に珍しく現在も毘沙門天を安置している。


20070909194456.jpg
錦織寺納経朱印

テーマ:寺巡り - ジャンル:旅行

御神神社(滋賀県野洲市) 平成19年9月9日

御神(みかみ)神社・式内名神大社・三十番神(二十七日守護)
20070909193417.jpg20070909193308.jpg
御神神社は三上山の麓近くに鎮座する。三上山は神の鎮まります「神奈備」、また近江富士の異名らしく、低いながらも堂々とした山。まさにミカミ、つまり御神(おんかみ)の山だ。この山を大百足が巻き付いたというのだから、昔の人の発想はすごいものだ。手前の田んぼは昭和天皇即位の際に定められた悠紀斎田(ゆうきさいでん:大嘗祭に献納する米を育てる田)の跡。

御神神社は近くを国道8号線が通り、見た目には決して静かな環境とはいえないが、周囲を鎮守の森が囲み外界の喧噪を遮ってくれる。境内には三上山登山を目指す老年ハイカーが集合していた。
20070909193336.jpg檜皮葺の本殿は国宝。
祭神は天之御影大神。本地仏は阿弥陀仏とも弥勒菩薩とも不動尊ともされる。
三上山は俵藤太が竜神に依頼されて百足を退治したことで有名だが、坑道をムカデになぞらえるなどムカデ信仰は鉱山と結びつく。祭神は鍛冶の神である天目一箇神と同体とされるなど、鉱山(ムカデ)の民と琵琶湖など水(竜)の民との対立、征服を示唆するのだろうか。

20070909193352.jpg20070909193404.jpg
若宮(左)。祭神は伊弉諾尊・菅原道真公、天石戸別命・天御鉾命・野槌之命を配祀する。本地は釈迦・薬師・観音。
三ノ宮(右)。祭神は瓊瓊杵尊。本地は地蔵で山王十禅師を勧請。その隣に小さな神明社が建つ。

20070909193424.jpg
御神神社納経朱印

テーマ:神社めぐり - ジャンル:旅行

松尾大社八朔祭・嵯峨野六斎念仏(京都市右京区松尾) 平成19年9月2日

 松尾大社の八朔祭(八朔:旧暦8月1日のこと)恒例の嵯峨野六歳念仏を見物しました。午後4時からの開始とのことでしたが、到着したのは4時半ごろ。境内に近づくと、にぎやかな太鼓と鉦、笛の音がします。拝殿上では手に太鼓を持った浴衣姿で、踊りが繰り広げられていまました。周囲にはたくさんの人だかりで、中にはかつて踊り手だったのでしょうか、老人が「ホレ、しっかり踊れよ」と、威勢のいいかけ声をかけていました。

20070902211250.jpg
祇園ばやし
大きなおなかのお亀と、僧侶の姿で木魚や太鼓を叩くひょっとこの踊り。演題通りに、祇園祭の「コンチキチ」のリズムを取り入れている。

20070902211729.jpg「六歳念仏」とは言うが、ここでは「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える場面はない。
 もともとは鎮魂と除災招福のために、8、14、15、23、29、晦日の六斎日に行われていた踊り念仏が、後生に芸能化したのがものとされる。
四枚獅子
四人の囃子手が太鼓を片手に激しく踊る。

20070902211742.jpg神楽獅子
二人一組の獅子が二頭、舞台を舞う。途中で逆立ちや回転などを披露する。そして、クライマックスは碁盤乗り。
三段に積み上げられた碁盤上で逆立ちすると、周囲からは大きな拍手が。この後、獅子は舞台片隅でしばらく寝入るが、その間にうちわで風を送っていた。いくら涼しくなったとはいえ、あれだけ激しい動きなら、中は凄まじい暑さだろう。

20070902211801.jpg20070902211814.jpg
最後は土蜘蛛が現れて、寝入った獅子に糸を投げつけ、再び起こす。
細長い紙製の糸が、舞台のクライマックスを告げる格好の演出となっている。

20070902211829.jpg
奉納された灯籠が境内各所の
周囲を照らしている。

 | HOME | 

FC2Ad

 

プロフィール

山カズ大王

Author:山カズ大王
裏日本観察学会会長
仏歴2518年(昭和50年)生誕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。