裏日本観察学会・突撃巡礼隊

各地の寺院や神社、霊場の参詣記、納経帳(御朱印)の記録を中心に、面白スポットや街角で見たものなども紹介します。 ※写真(サムネイル)はクリックすると拡大します。

2007-10

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毫摂寺(福井県越前市) 平成19年10月29日

出雲路山毫摂寺・真宗出雲路派(本山)
画像 039

越前町から武生市街を抜け、静かな農村地ともいうべき清水頭に着く。
越前四カ本山巡りも最後の場所、毫摂寺へと着く。町の雰囲気とも相まって、なかなかに雰囲気の良いお寺だ。


画像 035御影堂門。
越前にありながらなぜに「出雲路」と疑問に思うが、元は京都出雲路にあった草庵を、当地へ移転したためにこの名があるという。


画像 036

御影堂。


画像 037

阿弥陀堂。
両堂は共に内拝することができた。


画像 038

阿弥陀堂門と鐘楼。


画像 040寺のすぐ横に「水の道」という案内があった。しかしすぐ横を流れる川は正直どぶ川で、とても「水の道」なんて名を冠する代物には思えなかった。しかし案内に従って進んでいくと、その川から外れて宅地の方へと誘導された。
すると、宅地の真ん中にきれいな湧水池があった。おばあさんがそこでダイコンを洗っている。


画像 041

池の底からはポコポコと水の湧く様子が見て取れる。


画像 044清水頭という地名から、水の豊富な土地なのだろうか。
水草がゆらゆらと揺らぎ、思いがけずに心が安らいだ。



 以上で今回の突撃巡礼隊も無事終了。いろいろと思いがけない、予想だにしない眼福が得られた旅だった。
 この後、武生IC近くにある製麺工場直営店「越前そばの里」でおろしソバを食う。この田舎っぽい太めの麺が食べ応えあってウマイ。地味な印象のある福井だが、なかなかに侮りがたい土地だな。
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劔神社(福井県越前町) 平成19年10月29日

劔神社(越前二宮)・式内小社
画像 030越知山から丘陵地帯を抜けて、越前町織田へと着く。ここは信長を生んだ織田氏発祥の地。
近くの文化歴史館に車を止めて、いったん表参道側に回って参拝する。参道には天満宮や庚申社が建つ。
祭神は素盞鳴大神。氣比大神・忍熊王を配祀。
社殿周囲は結構な杜に包まれていてゲニウスロキを感じる。


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奇稲田媛神社と小松建勲神社。
小松は「小松殿」こと平重盛、建勲は織田信長を指す。


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社殿右手には式内小社の織田神社が、左手には薬師神社が建つ。

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神宮寺であった旧神前院護摩堂は、御輿蔵となっている。
当社には「劔御子寺鐘神護景雲四年九月十一日」の銘がある国宝の梵鐘が伝わるので、早い時期から神宮寺があったのだろう。


劔
劔神社納経朱印

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大谷寺(福井県越前町) 平成19年10月29日

 朝風呂を浴びてゆっくりと朝食を取る。湯豆腐のだしが少し甘めだが、北陸独特の甘口しょうゆのため。漬け物やみそは自家製で、水も井戸を汲んでいるという。今日は特に急ぐ予定もないので、いつもより遅めの出立で越知山へと向かう。

越知山大長院大谷寺(おおたんじ)・天台宗
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 越知山は標高612.8mとさほど高くない山だが、白山開祖の泰澄(諡:神融禅師)ゆかりの地。大谷寺は越知山の別当になる。来るまでは「おおたに」だと思っていたら「おおたん」。先の瀧谷寺でもそうだったが、ここでは谷は「たん(だん)」と発音するようだ。
 門前には蓮池がある。案内によると蓮糸で曼荼羅を織った故事から、ここ一帯を「織田」というとあった。

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 本堂には「越知大権現」の扁額が掛かる。本尊は三所大権現本地の十一面観音(本社)・阿弥陀如来(奥院)・聖観音(別山)。堂内には地主権現本地の不動尊などが祀られる。
 住職さんが庫裏でお茶をご馳走してくれた。そこで泰澄禅師や越知山の歴史について話を伺った。曰く、明治以降の神仏分離で白山の関係者は、北陸の宗教史から修験を軽視し、泰澄も「伝説上の人物」としてとらえていない感がある。自分は越知山の歴史を調べる事で、泰澄を再評価していきたい、と。

 越知山には古代仏教の遺跡が多くあるそうで、試掘に訪れた大学生が「少し見て回っただけでこんな古いものが転がっているなんて」と驚いた話や、山中のお堂に安置する仏像を防犯対策から寺に移動した時に、丸太だと思って薪にしようと持ち帰ったら、たまたま訪れていた博物館の学芸員が「両足を直立させた古い形式の蔵王権現像の残骸だ」と鑑定してくれた話(これは同時に北陸に吉野系修験が、かなり早い時期に広まっていた事の証拠だという)や、鉈彫の西限であり「鉈彫=荒削り」の常識を覆す不動像などの興味深い話ばかりだった。
 「ここ一帯の地名を丹生と言う。本来は北陸は『越国』ではなく、但馬・丹波・丹後と連なる『丹国』。丹生は水銀であり、不老不死の霊薬。つまり大陸から見れば日本海側こそ、肥沃な土、豊富な魚介、美しい水のある「蓬莱」であり「浄土」だったと思う。それが中央集権的な大和の視点で、遠地を想像させる『越』に成ったのだ」とも語り、「ここの方言で土のことを『ベト』という。辞書にはその発音は載っていないが、今も越南と書いてベトナムと読むように、越には土という意味もあったのではないか」と持論を展開してくれた。
 その後、重文の「木造泰澄及二行者坐像」と件の蔵王権現を特別に拝観させてもらった。また本堂に掛けられる真新しい『越知山本地仏曼荼羅』は、「蓮糸の本地仏曼荼羅が寺に伝わるが、『蓮糸で織るなんて不可能だ』とよく言われたので、それでは可能か不可能か試してみようと織り上げたものです」とのこと。なかなかに行動派の住職だ。

画像 023 画像 024
寺境内と地続きで越知神社の里宮が建つ。初めは寺の鎮守社かと思ったが、そうではなく独立した神社だった。
越知山三所の祭神は伊邪那美神・大山祇神・火産霊神。ここの里宮には天照大神や思兼命、文殊菩薩、毘沙門天などを祀っているようだ。

画像 026大師堂と先師供養塔。
11月3、4の両日は万灯会を行うとのことで、それを知らせるのぼりが至る所にはためいている。

画像 025泰澄禅師が入定された御廟。
九重石塔は重文に指定されている。
ここから越知山へと至る山道が続いているが、現在「越知山」と呼ばれる山ではなく、もともとの越知山は標高200mほどのこちら側だという。

大谷
大谷寺納経朱印


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芦原温泉の薬師堂(福井県あわら市) 平成19年10月28日

 再び芦原温泉に戻り町内を散策。ここは、ごく普通の町にホテルや旅館が建っているので、温泉情緒ある町並みはないが、それでも温泉守護の薬師堂が3カ所あるためそれらを巡った。

二面薬師堂
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コンクリート製の小堂。三薬師の中で一番仏堂らしい作りになっている。
境内には小さな池と地蔵堂がある。


舟津薬師堂
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温泉街の中心部の公園の一角に建つ。もともと明治までは神社だった地に建てられているためか、作りは神殿風。


田中薬師神社
画像 019

本地仏の薬師如来の名を冠した神社で、祭神は少名彦命。
不動尊を祀る祠もある。


 今晩の宿は駅前にある旅館「米和」。宿そのものは「昭和の旅館」という感じで豪華さのない作りだが、芦原では数少ない源泉掛け流し。
 さほど広くない大浴場に入るとかすかな硫黄臭が漂う。少し熱いめの湯は大変柔らかく、肌触りが良い。飲泉場もあるので飲むと、にがりのようなえぐみと甘みが混じったような味で、体の中から効きそうだった。湯上がり後もいつまでも体はほかほかするし、肌もすべすべになる。

 休憩所でのんびり本棚を眺めていると、芦原温泉の歴史を述べた一冊を見つけた。新聞連載をまとめたもので刊行は昭和47年。パラパラと眺めていると「好色CM作戦」という面白い内容が。
 概略はというと、近くの山代や片山津など加賀温泉は過激なお色気広告をTVで放送し、団体観光客をどんどん受け入れている。対して芦原の広告は品行方正なものばかりだ。小人数の観光客ならこんなCMでも良いが、巨大団体を受け入れるには芦原ももっとお色気に力を入れるべきだ、という内容。当時は大都市部でない限りは、温泉地に行かなければ「お父さん方」は羽目を外すことができなかった時代だったろうが、今ではそうやって売り出していた温泉地が、逆に観光客の減少に悩んでいる。時代の流れというものをしみじみと感じさせる内容だった。

 今度は岩風呂に入る。給湯口のある岩には注連縄が張られていた。ここの旅館は自家源泉なのでいつも新鮮な湯が楽しめる寸法だ。ただ浴槽だけで、こざかしい施設は何もないが、そういう宿が「湯」そのものが楽しめて好きだ。

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瀧谷寺(福井県あわら市) 平成19年10月28日

摩尼宝山法幢院瀧谷寺(たきだんじ)・真言宗智山派
画像 016 画像 013
 今晩泊まる旅館に車を置き、それから電車に乗って三国まで行く。広々とした田園地帯を一両編成のローカル電車に揺られると、一昔前の「いいちこ」や「ニッカウヰスキー」のCM気分だ。三国駅を下りるとそれから歩いて瀧谷寺へ向かう。ずっと「たきだに」だと思っていたが「たきだん」だと知った。
 うっそうと茂るツバキに囲まれた参道を歩き山門をくぐると、苔むした前栽が印象的な境内へと着いた。古びた堂宇と調和した、ここまで見事な苔庭だと思っても見なかったため、実に印象的。本堂に上がると、歴代の福井領主の祈願所だった事や、いままで火事にあったという記録がない事など簡単な寺内説明があった。
 本尊は薬師如来。念誦読経していると、ネコが一匹上がり込み外陣をのっそりと歩いていた。

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 観音堂の本尊は如意輪観音。堂の前栽は心字の石庭、そして東側には石塔や石仏が並んでいる。
 本堂裏には国名勝の築山式庭園となっている。

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室町時代に作られた重文の鎮守堂。
この後に宝物館で国宝「金銅毛彫宝相華文磬」や重文の「絹本着色地蔵菩薩図像」、「天乃図」を拝観する。地方の寺社では国宝を有していても、普段は観覧できない事が多いが、ここは常に見る事ができるようなので、思いもよらない眼福だった。


瀧谷
瀧谷寺納経朱印

 瀧谷寺を後にして少し遅めの昼食とする。目に付いたすし屋でちょっとリッチに海鮮丼とビール。甘エビ、生ウニそして越前米がうまい。すっかり満腹、満足になると、早起きと運転の疲れも出たのか少し眠くなる。港の方も散策しようと思っていたが、予定を早めて芦原行きのバスに乗った。

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専照寺(福井市) 平成19年10月28日

 福井電鉄の路面電車と併走して車を運転していたら、市内に架かる幸橋周辺には何人かシャッターを構える人がいた。朝の風景を撮っているのかと思っていたら、その後に聞いたニュースで、今日が6年ぶりに橋の架け替えが完成した日だったと知った。記念の特別電車も走らせていたようなので、それを狙っていたのかな?

鹿苑山専照寺・真宗三門徒派(本山)
画像 010専照寺は市内中央、フェニックス通りから少し中に入った場所に建つ。
山門、御影堂は大きく立派だが、境内の奥行きは建物の大きさに比べて、やや狭いように感じた。昭和23年の震災では天保年間に建てられた御影堂を残して、すべての堂宇が倒壊したという。現在も復興中とのことで、庫裏や宗務所の工事を行っていた。


画像 011阿弥陀堂が並んで建つ。
浄土真宗の本山は基本的にがらんとした境内に、巨大な御影堂と小さな阿弥陀堂が並ぶという構造が多い。
この日は境内では骨董市が行われていたが、正直並んでいるものは、大層に「骨董」というよりも、「ガラクタ」と言った方がふさわしいようなものばかりで、一々眺めていて実にタノチイ。

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證誠寺(福井県鯖江市) 平成19年10月28日

 「北陸門徒」と言われるように、福井・石川・富山と浄土真宗が盛んな地域。武生・鯖江・福井には「越前四カ本山」と呼ばれる真宗四派の本山がある。證誠寺もその一つで鯖江の市街地から東に外れた、田園地帯に建っている。

山元山護念院證誠寺・真宗山元派(本山)
画像 009本山とはあるが先の誠照寺に比べると境内も格段に狭く、山門や建物も最近になって建てられたものばかりだった。
境内正面には御影堂が建つ。この御影堂の裏には、中央から直線上に並ぶように御廟があり、ちょうど拝殿のような感じで建っていた。


画像 008左側には一回り小さな阿弥陀堂。共に堂内には入れなかった。内拝希望者は寺務所までとの張り紙もあったが、そのまま外で礼拝する。
境内にはイチョウの巨木がじっと立っていた。

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誠照寺(福井県鯖江市) 平成19年10月28日

 仕事で数年前から取り組んでいたプロジェクトが、やっと終わり一安心。ほっとするため温泉にでも行きたいな、できれば源泉掛け流しの、同時に突撃巡礼ができて、そしてうまい魚が食えて、なおかつ3時間以内で行ける場所…。そんなご都合主義的な所はないだろうと考えていたら、ありました。
 それは芦原温泉。
 昨年、永平寺や加賀温泉に突撃した際、帰りにふらりと立ち寄った程度で、じっくりと腰を据えていないので、仕事の疲れもどこやらと向かう事にしました。


上野山誠照寺・真宗誠照寺派(本山)
画像 001 画像 002
 鯖江ICを下りると、ところどころにメガネ関連の看板が目立つ。市街地に向かって西へと進み、北陸本線をまたぐ高架橋を越えて商店街の付近に誠照寺は建つ。思ったよりも早く着いたので町には人の姿はあまりなく、町中なのに静かな境内だ。
 四足門に施されている竜は左甚五郎作だと伝わっている。

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正面には親鸞聖人像を安置する巨大な御影堂。その左側には二回りほど小さな阿弥陀堂が建つ。共に自由に堂内拝観ができるので中に入と、真宗寺院独特の金箔が施された内陣。誰もいないお堂で一人静かに念誦読経する。


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阿弥陀堂と鐘楼

画像 007阿弥陀堂の裏は墓地になっている。そこに真宗寺院には珍しい、五輪塔や地蔵尊などの石仏が集められた小堂があった。この石塔や石仏は、ダムによって沈んだ岐阜県徳山村にあったもの。村の住民の多くが誠照寺門徒だった縁から当地に移されて安置されているという。

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赤間神宮(山口県下関市) 平成19年10月8日

赤間神宮
画像 084昔、学研に「劇画サスペンスシリーズ」という海外SFやミステリーなどを漫画化した全集があり、その中にみやぞえ郁雄画の『怪談』が収められていた。その一編、「耳なし芳一」での耳を引きちぎられるシーンが、幼心にトラウマだった。
赤間神宮はそんな平家一門滅亡の地、壇ノ浦を見つめるかのごとく、海に面した社頭。
竜宮城かのような水天門は、安徳天皇が水天宮として祀られることに由来して、建立されている。

画像 089祭神は安徳天皇。
池に浮かぶ拝殿など、社殿周辺は、なんとなく厳島神社をイメージしたかのような作りになっていた。厳島は平氏の氏神だからモデルにしたのだろうか? それとも『平家物語』「灌頂巻」に、安徳天皇と平家一門は竜宮に転生したとあるから、竜宮城の様子なのだろうか。そうであれば、「竜畜経のなかに見えて侍らふ。よくよく後世をとぶらひ給へ」※の通り、心静かに念誦読経する。
※建礼門院が竜宮は「めでたかりける所かな。是には苦はなきか」との問いに対しての、二位尼の答え。『竜畜経』は架空の経典だが、竜も畜生であり、三熱の苦から免れないというのが中世的思考。

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平家一門の供養塔、七盛塚と芳一堂の耳なし芳一像。
もともとは当地にあった阿弥陀寺で安徳天皇の菩提が弔われていたが、神仏分離によって廃寺となり、御影堂は神社に改められた。

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 社殿右側には日本西門鎮守八幡宮が鎮座する。大安寺行教法師が宇佐から石清水へ八幡神を勧請する途中、阿弥陀寺とともに建立したという。後生、八幡神は源氏の氏神とされるが、壇ノ浦に祀られているのも皮肉なものだ。
 さらにその奥へと坂道を上ると大連神社が建つ。満州国大連に祀られたいたが戦後に当地に遷座された。

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境内の左側には、安徳天皇阿弥陀寺陵(あみだじのみささぎ)が鎮まっている。

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赤間神宮納経朱印


  以上で今回の旅も無事終了。近くのレストランで新鮮な魚を食べることにする。最近、下関ではフグだけではなく、イカも名物として売り出しているようなのでそれを楽しみにしていたが、いけすが品切れとのこと。どうやら連休なので漁も休みだったのだろう。何とも残念と思いつつ、フグ刺しを突く。運転してなきゃ、一杯やれるのになぁ。
 そこからレンタカーを返しに小郡へ。なんとか返却時間には間に合ったので、帰りの新幹線が着くまで駅でお土産を物色する。しかし、名物はういろうぐらいしかないため、いまいち心が動かない(個人的にういろうという食べ物は、この世に存在しても、しなくてもどちらでもいいと思っている)。フグとかウニは高すぎて気軽なお土産という感ではなく、瓦ソバも旅先で食べるからいいのであって家では風情がないし…。結局、朝食で食べてうまかった千崎のかまぼこを購入する。魅力的な場所は多いのに、いまひとつ山口ってイメージがわきにくいのは、全国的に通用するお土産がないという点もあるのだろうか?


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功山寺(山口県下関市) 平成19年10月8日

金山功山寺・曹洞宗
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 住吉神社から功山寺は、狭い路地を何度も曲がりながら進むこととなる。途中、長府の町並みうあ毛利屋敷址など、車を止めて散策したい場所もあったが、駐車場が見あたらないし、それにどうしても3時までに新山口駅に帰らないといけないので、心引かれつつも通過する。
 功山寺の駐車場は本堂に隣接しているが、あえて正面参道まで下りてから参詣する。木々に囲まれた三門周辺には石仏が点在して、しっとりと落ち着いた雰囲気。
 三門をくぐり石段を登ると、国宝の仏殿と法堂が並び立っている。法堂前には名水が湧いているので、柄杓ですくってのどを潤す。

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本尊は千手観世音菩薩で、中国三十三観音霊場の第十九番札所。
国宝の仏殿は、鎌倉時代建立の数少ない禅宗様建築なのだが、建物の傷みがかなり激しいように見られる。維持、修復はかなりたいへんなのだろう。

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高杉晋作回天義拳像
当寺は晋作が元治元年(1864)12月16日に、長州藩に向けて挙兵した場所。
境内では観光協会の人が、新作の生涯を紙芝居で語っていた。

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功山寺納経朱印

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住吉神社(山口県下関市) 平成19年10月8日

住吉神社(長門一宮)・式内並名神大社(住吉坐荒御魂神社三座)
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 曇天模様の中、「降るな、降るな」と念じつつ長門から下関へとひた走る。天も感応、鬼神も納受してくれたのか、到着したころには幾分か日も差してくれた。
 長門一宮の住吉神社は宅地に囲まれた場所に、一カ所のみ杜に包まれた丘に鎮座する。参道を進んでいくと、大阪の住吉大社ほどではないが、真ん中に小さな太鼓橋が架けられている。 

画像 078拝殿には「住吉荒魂本宮」の扁額が掛かる。
『日本書紀』では三韓征伐の際に神宮皇后が、住吉三神からの「我(わ)が荒魂(あらみたま)をば、穴門(あなと)の山田邑(やまだのむら)に祭(いは)はしめよ」との神託に従い、「祠(やしろ)を穴門の山田邑に立(た)つ」とある。
「荒魂」は、神霊の持つ威力そのものを神格化したものだが、大学時代に教授から、死後間もない祖霊は、ケガレが多くタタリやすい。つまり「新しい御魂」は同時に「荒ぶる御魂」であり、祭祀を繰り返し行うことで浄化されて和魂(にぎみたま)になる。それが荒魂(新魂)信仰の基礎だと教わった。


住吉本殿
国宝の本殿は九間社流造。
五殿が連なり、主祭神の住吉大神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)荒魂は左端の第一殿に鎮座。順に応神天皇・武内宿祢命・神宮皇后・建御名方命が祀られる。
境内はさほど広くはないが、杜がうっそうとしているためか、町の中とはいえゲニウスロキ風情がある。

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住吉神社納経朱印

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長門湯本温泉(山口県長門市) 平成19年10月7日

画像 070ホテルに荷物を置いて、温泉街へと向かう。雨もやんでくれたお蔭でのんびりと散策できる。
外湯の一つ、「恩湯」は唐破風のある昔ながらの銭湯という外観。円筒型のポストやネオンサインが「昭和」のまま時代が止まっているようにさえ感じさせる。
さほど広くない浴室内には開湯伝承に登場する住吉明神と思われる、衣冠束帯の神像が置かれている。ぬるめのアルカリ泉なので、いつまでものんびりと入っていられる。老人たちが楽しそうに世地元の間話をしている中に混じっていると、「あぁ、こうして今旅に来ているんだな」とあらためて実感できる。

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恩湯の裏には開湯伝承の住吉神社が鎮座する。住吉明神が大寧寺に参禅し、その報恩に報いるために温泉を与えたという。社の右隣には松陰山興阿寺が建つ。寺といっても小堂で地蔵菩薩を本尊としている。
住吉神社からさらに奥にはもう一つの外湯「礼湯」があった。

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川を真ん中に挟んで温泉街は連なるが、これといって観光客相手の店があるわけでもなく、のんびりとした風情。
この日も宿での食事がかなわなかったので、居酒屋に立ち寄って夕食。ウニの巻きずし、カレイの一夜干しがうまい!


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大寧寺(山口県長門市) 平成19年10月7日

瑞雲萬歳山大寧護国禅寺(大寧寺)・曹洞宗
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大寧寺は大内氏によって開かれた、長門最初の曹洞宗寺院。湯本温泉の奥に静まり、境内も木々に囲まれて落ち着いた様子。山門跡から本堂を眺めると、雨上がりというだけあって、より心が静まる。
本尊は釈迦如来。

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かつては「西の高野」と呼ばれたほどの寺域があったとのことだ。
毛利氏の君臣の苔むした墓地が霊気漂うように立ち並ぶ。

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境内の奥には豊川稲荷堂が建つ。
本堂や墓地周辺とは雰囲気はがらりと変わっている。惜しむらくは例えペンキとはいえ、外装は赤ではなく朱に塗れば良かったのにと思う。

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盤石橋は、江戸前期に自然石を組み合わせただけで造られた橋。
実際に渡ることもできるが、雨に濡れているので滑らないように、ゆっくりと歩く。

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大寧寺納経朱印


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俵山温泉(山口県長門市) 平成19年10月7日

画像 062今晩の宿、長門湯本の温泉街を抜けて、さらに山道を進んでいくと、俵山の小さな温泉街へと着く。街の入り口の駐車場に車を止めて散策しようとしたが、雨がパラパラと落ちてきだしたので、急ぎ足で外湯へと向かう。
俵山は現在も旅館に内湯がなく、宿泊客も外湯に入るという昔ながらの形態を守っている。長期滞在向けの宿も多いようだ。3カ所ある外湯のうち、一番外観の古そうな「川の湯」を選んだ。
アルカリ泉のため肌はツルツルするが、なんだか様子がおかしいと思ったら循環だった。しかも2つある湯船は一つしか湯が張られていないし、湯の花だと思ったのはよく見ればゴミや体毛。観光HPトップには「源泉掛け流し」とあったのに…。

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開湯伝説の場所である薬師堂などを巡るつもりだったが、雨がかなり激しく降りだして散策もままならない。
家の軒先、軒先へと飛び移りながら車に戻ることにした。

 後日、再度調べたら、もう2カ所の外湯「町の湯」と観光客向け施設「白猿の湯」が掛け流しだという。しかも「白猿の湯」のために「川の湯」の源泉が取られて湯量も湯温も減ったという。
 あくまでも温泉は地元民のためのもの。観光客はそのおすそ分けをもらっていると自戒している自分としては、こんな地元施設をないがしろにする本末転倒な措置と、俵山温泉のHPトップに「源泉掛け流し」と掲げて、さも全湯がそうであるかのように誤読を誘うようなやりかたに、極めて不満を覚えた。

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秋芳洞・秋吉台(山口県秋芳町) 平成19年10月7日

画像 034秋芳洞はさすがの姿だったが、なにぶん暗い。どうしてこんなに暗いのだろうと思うと、これ以上光量を上げると苔やカビが生え、洞窟内の生態系が変わる危険性があるからだという。
いろいろ頑張ってシャッターを切ったが、なんとか写っているのは数点だけでなんとも残念だ。売店で売っていた、洞窟内でも撮影できるという「写るんです」を買えばよかった。


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秋芳台
秋吉台展望台からの風景。
今さら気が付いたのだが、同じ「あきよし」でも洞窟は「芳」、台地は「吉」と異なっている。なぜだろう?

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秋吉台スカイラインを通って、次の目的地の長門市へと向かう。

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こういう道を走ってみるたびに、「日本もまだまだ広いな」と思う。


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洞春寺(山口市) 平成19年10月7日

正宗山洞春寺・臨済宗建仁寺派
画像 032

瑠璃光寺からは香山公園を横切って、毛利氏の菩提寺である洞春寺へと歩く。先と異なり観光客はほとんどいない静かなお寺。

画像 033観音堂
本尊は十一面観世音菩薩。元は観音寺の本堂を大正時代に移築したもので、中国三十三所の十六番札所。
堂内の厨子は巨大な岩屋状。このような形の厨子は禅宗寺院でたびたび見るが、どのような由来があるのだろうか。

画像 031

途中、香山公園には毛利氏歴代の墓地がある。
ここに至る参道は「鶯張りの石畳」と呼ばれ、大きく足踏みや手をたたくと石段と反響して、「キュ」というか、ともかく一種独特な音がする。

名称未設定 6
洞春寺納経朱印

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瑠璃光寺(山口市) 平成19年10月7日

 世に「小京都」と名付けられる観光地はあまたとあるが、その元祖とも言えるのがここ山口市。大内氏全盛のころは「西の京」と称された町だが…。少なくとも現在の山口で、いわゆる小京都の風情を味わおうとすれば期待を裏切られる。それなら萩や津和野の方が存分に観光受けするだろう。
 でも考えてみれば当時、「まるで京のようだ」という賛辞は、現代でいうところの「リトル・トーキョー」。時代の最先端を行く街という意味合いであって、古い町並みが残っているというという「小京都」という観光用語とは真逆だと思うが。

保寧山瑠璃光寺・曹洞宗
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山口のシンボルともいえる国宝の五重塔。
すっきりとした姿で「西の京」の面目躍如といった風情だ。
塔内には阿弥陀如来と大内義弘の位牌を安置する。桧皮屋根がこの塔の特色だ。

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本堂
本尊は薬師如来。朝早い参拝だったがけっこう多くの観光客でにぎわっていた。

画像 028境内はさほど広くはないが、山門と本堂を回廊で結ぶなど、禅寺らしい様式。
もともと毛利盛見が兄義弘の菩提を弔うために香積寺を建立し、五重塔もその一つだったが、後に寺は塔を残して萩に移転。寺跡に仁保の瑠璃光寺を移したという。
香積寺どの寺観がどの程度だったかは分からないが、瑠璃光寺は塔の後に寺を建立したためか、また塔の姿が良すぎるためか、境内配置や堂宇とのバランスが一点豪華のためか、いまいちちぐはぐな感がしないでもない。

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瑠璃光寺納経朱印

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湯田温泉(山口市) 平成19年10月6日

 湯田温泉で第1日目は一泊する。ホテルに入るとまずは下着などを洗濯して、それから大浴場へ。アルカリ泉なので湯船につかると肌はつるつる、すべすべ。いつまでも入っていたいが、ひとまずは汗を流す程度とする。

画像 023湯田の開湯伝説は、白狐が寺の池に湧く温泉を見つけ、そこから薬師如来を感得したとのこと。町の至る所にはマスコットキャラが使われている。
しかし、古い歴史ある温泉ならたいていは温泉守護の寺社があるはずだが、この温泉街には見あたらない。もちろん気づかなかっただけかもしれないが、観光地図にも紹介されていない。
どうしてだろうか?

画像 022 画像 024
湯田温泉ゆかりの中原中也と種田山頭火の歌碑(共に碑文は自筆から)。

 童謡 中原中也

 しののめの
 よるのうみにて
 汽笛■鳴る。
 こころよ
 起きよ
 目を醒ませ。

 しののめの
 よるのうみにて
 汽笛鳴る。
 像の目玉の
 汽笛鳴る。
    1933.9.22
(※第3節の「■」はペンでかき消した誤記)



 ちんぽ古も
 おそそも湧いて
 あふれる湯
    山頭火

「ちんぽこ」と「おそそ(女陰)」を詠んだ句が、歌碑として残されるとは山頭火も思いもよらなかっただろう。ただ現在の湯田温泉にはそんなのどかな温泉街の風情はなく、ごくごく普通の町中に温泉も湧いていると言った方がふさわしい感じがする。

外湯に入った後に、居酒屋に立ち寄って刺身やフグ鍋を突きつつ杯を重ねる。ハモのつみれが実に上品な味。

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山口ザビエル記念聖堂(山口市) 平成19年10月6日

山口ザビエル記念聖堂
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 突撃巡礼隊では数多くの神社仏閣に参詣しているが、キリスト教の教会は今回が初めて。教会の外観は幕屋(テント)をイメージしたものだが、これは8年前に旧聖堂が焼失したために再建されたもの。焼失ニュースはなぜか記憶の片隅に残っていて、信者が涙を流しながら炎に包まれる教会を見ていたシーンを覚えている。
 内部は1階が資料館でザビエルや日本でのキリスト教ゆかりの品が展示されている。ザビエルはもともと貴族出身だったと初めて知った。また興味深い展示品として、ザビエルによる布教を赦す書面に“西方から新しい仏教が伝わったので、仏法興隆のために云々”と書かれていたこと。当時はキリスト教を仏教の一派と誤解していたようだ。
 聖堂内は近代的な模様のステンドグラスと空中につり下げられた十字架など、通常イメージするカトリック教会とは違っていた。キリスト教は信仰の対象ではないが、先賢に敬意を表して合掌礼拝する。
 教会を見つめるように、隣接する亀山公園近くには井戸端で布教するザビエルの銅像が立っている。

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阿弥陀寺(山口県防府市) 平成19年10月6日

華宮山阿弥陀寺(東大寺別院)・華厳宗
画像 019彼岸花が土手を彩る、そんな田園地帯を走り抜け山の麓へと阿弥陀寺に至る。東大寺復興の大勧進であった俊乗房重源ゆかりの寺。
茅葺きの山門が出迎え、そこから木々に囲まれた参道をしばらく歩くことになる。


画像 014

参道途中には石風呂がある。


画像 013重源法師が施浴のために作られた風呂で、内部は石製の浴槽がある。湯船にはいるのではなく、湧かした湯を体に掛けるという入浴法のようだ。実際に現在も月に一度は入浴できるようだ。


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本尊は阿弥陀如来。堂内に上がって念誦読経していると、山から吹き下りる風と、池から聞こえる水音ですがすがしい気持ちになる。
奈良以外で華厳宗寺院は珍しいが、住職に伺うと儀式などは真言宗に準じているという。

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重源法師を祀る開山堂と念仏堂。重源は真言僧だが、各地の霊山霊場を巡り、自ら「南無阿弥陀仏」と名乗る念仏聖でもある。61才で大勧進となり周防の杣山にも分け入ったという強靱的な人物。その念仏は専修念仏と異なり、作善による滅罪と念仏による往生というもっと土俗的なものだったのだろう。

名称未設定 4
阿弥陀寺納経朱印


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周防国分寺(山口県防府市) 平成19年10月6日

浄瑠璃山金光明四天王護国之寺(周防国国分寺)・高野山真言宗
画像 009 画像 012
防府天満宮から、民家の間をぬうような路地を進んで国分寺を目指す。駐車場に車を止め、漆喰の取れた土塀に沿って歩くと、二本の大木に挟まれるように国分寺の山門が見える。
 門をくぐり境内に足を踏み入れると、住宅地の中とは思えないような広大な敷地。かつては堂塔伽藍が甍を並べていたのだろうが、現在は二重入り母屋造りの金堂があるのみだが、堂宇自体がどっしりした感じがあるためか、古代寺院を思わせる雰囲気は漂う。
 現在も国分寺の名を冠する寺は多くあるが、大半は廃絶した国分寺の名を近隣の寺が継承したもので、現在の寺域と旧境内は離れているものが多い。その中で周防国分寺は、金堂の位置が移動していない。つまり創建当時の境内域に堂宇が残る数少ない国分寺だ。

 本尊は薬師如来、脇士は日光菩薩・月光菩薩。須弥壇には十二神将や四天王が配される。薬師如来の薬壺には、丁子や人参、五穀などの薬が実際に入っていたという、全国でも珍しい例だという。また十二天立像や、高麗より伝わった如来形の金銅毘盧舎那如来(大日如来)と、滅多に目にすることのない仏像が安置されていた。

名称未設定 3
国分寺納経朱印

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防府天満宮(山口県防府市) 平成19年10月6日

防府天満宮
画像 005 画像 006
「扶桑菅廟最初」と謳う防府天満宮は市街地を見下ろす高台に鎮座する。防府観光の中心でもあるので、先の玉祖神社とは対照的に観光客が多い。
重厚な朱塗りの楼門をくぐると、それとは対照的に簡素な造りの社殿が迎える。主祭神は菅原道真(天満大自在天神)。本地仏は十一面観音。社殿では太宰府に左遷された道真がその道中、当地に一時滞在していたという。その縁によって死の翌年には霊廟が建立されたことが始まりという。

画像 007春風楼
文政・天保年間に長州藩によって五重塔が建立される予定だったが中止され、その後に設計を変更し楼閣としたもの。
ここからは市街を見渡すちょうどいい展望台になる。建立当時は風光明媚だったのだろう「春風」にふさわしい眺めだったのかもしれないが、今はごく普通の地方都市という観しか望めない。ただ、吹き抜ける風は名前とは逆に涼やかな秋風で心地いい。

画像 008

大専坊跡
表参道の両脇には、かつての別当寺(酒垂山万福寺)の遺構が残っている。

画像 010境内東に隣接して天神本地観音堂が建つ。本尊は十一面観音、脇士は不動尊・毘沙門天。周防国三十三所の二十四番札所とあった。神仏分離によって神社の管理ではなく、近くの寺院によって維持されているが、それでも本地堂が現存する希有な例に出会えた。


名称未設定 2
防府天満宮納経朱印

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玉祖神社(山口県防府市) 平成19年10月6日

玉祖(たまのおや)神社・式内名神大社(周防一宮)
画像 001

新山口駅からレンタカーを走らせ防府市へと向かう。一宮は市街地から外れ田畑が広がる場所に、一角だけ杜に包まれた場所に鎮座する。

画像 002

祭神は玉祖命ともう一座未詳の二座。本地仏は薬師如来。
祭神の「玉」にちなみ、宝石やガラス、メガネ関係者の信仰が篤いようで、境内には眼鏡塚もあった。
 社務所で納経朱印を申し出た際に京都から来たことを話すと、「わざわざ、どうしてお参りに?」と驚きの様子。確かに他府県から観光客が来るようなタイプの神社ではなく、極めて普通の、どこにでもある社だろう。一宮参拝をしていなければ、自分も立ち寄ってはいないだろうから。

画像 003

境内には日本鶏の一種で天然記念物の「黒柏」が飼われている。玉祖命が天孫降臨の際に連れてきたとし、当地は「黒柏発祥の地」だという。
名前のように真っ黒な姿だ。

名称未設定 1
玉祖神社納経朱印

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山カズ大王

Author:山カズ大王
裏日本観察学会会長
仏歴2518年(昭和50年)生誕

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